Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『クレイジー・ホース(Crazy Horse)/クレイジー・ホース(Crazy Horse)』

クレイジー・ホースと言えばニール・ヤングのバックバンドとして広く知れ渡っていますが、自身でもアルバムを5枚ほど出しています。

その中では何といっても、ダニー・ウィッテンが在籍していたファーストアルバム『Crazy Horse』にとどめを刺します。1971年リリースです。

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この時のメンバーは

ダニー・ウィッテン(Danny Whitten,g,vo)

ジャック・ニッチェ(Jack Nitzsche,p,vo)

ラルフ・モリーナ(Ralph Molina,ds,vo)

ビリー・タルボット(Billy Talbot,b)

そして正式メンバーではありませんが、

ニルス・ロフグレン(Nils Lofgren,g,vo)が全面参加しています。

その他にゲストミュージシャンとして、ライ・クーダー(slide g)と後にフライング・バリット・ブラザースに参加する、ギブ・ギルボー(Gib Gilbo,fiddle)が参加しています。

 

Side A

1. Gone Dead Train
2. Dance, Dance, Dance
3. Look at All the Things
4. Beggars Day
5. I Don't Want To Talk About It

 

Side B
1. Downtown
2. Carolay
3. Dirty, Dirty
4. Nobody
5. I'll Get By
6. Crow Jane Lady

ジャック・ニッチェニール・ヤングのソロデビューの時からの付き合いです。そのアルバムの2曲でアレンジャーとプロデューサーとして参加しています。また、あのフィル・スペクターの重要な協力者としても知られています。

また、ローリング・ストーンズの初期のアルバムではピアノ、オルガンで参加しています。

 

ギタリストのダニー・ウィッテンニール・ヤングの親友でした。しかし、ダニーはリュウマチを患っており、その苦しみから逃れるためにヘロインに溺れていました。ニール・ヤングはそんな彼を何とか救おうとしましたが、バンドの演奏にも支障が出るほどになり、結局解雇せざるを得ませんでした。それでもニールは彼の身の安全を心していましたが、結局、リュウマチの薬とヘロイン中毒を克服するために多飲したアルコールのため死亡しました。1972年、若干29歳でした。

悲しみに包まれたニールは先に発売される予定だった『Tonight's The Night(今宵その夜)』を発売延期にして、『On The Beach(渚にて)』を先に発売しました。これは『Tonight The Night』が明らかにダニー・ウィッテンに捧げらたアルバムだったからでしょう。

ニール・ヤングの悲しみが伝わるアルバムとなっています。

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lynyrdburitto.hatenablog.com

さて、アルバム内容に戻りますが、全11曲の内、ダニー・ウィッテンが5曲、ジャック・ニッチェが3曲、ニルス・ロフグレンが2曲、ニール・ヤングが1曲となっています。

A-2 ニール・ヤングの曲で珍しくラルフ・モリーナがヴォーカルを執っています。    ニール・ヤングも時々ライブで歌っています。

A-4 ニルス・ロフグレンの曲。

A-5 名作「もう何も話したくない」です。ロッド・スチュワート、リタ・クーリッジ   のカバーで有名ですが、ダニーの枯れた歌声も素晴らしい。静かなしっとりとし   た曲です。ライ・クーダーのスライドギターがいいです。

B-1 ニール・ヤングの『Tonight's The Night』にもライブ演奏で入っていました。

B-3 ダニーの曲で、ライ・クーダーのスライドが聴けます。

B-6 ジャック・ニッチェの曲。

 

全体として地味な作りですが、いぶし銀の渋さが溢れて、通好みとなっています。

 

ここでもう一人忘れてならないのは、ギタリスト、ニルス・ロフグレンです。

彼はニール・ヤングと親密でニールの初期のアルバム『After The Gold Rush』の頃からの付き合いです。クレイジーホースの正式メンバーではありませんでしたが、ほぼメンバーと同格の存在でした。

1971年には「グリン」を結成し、アルバムを4枚リリースしました。グリン解散後はソロ活動にて数多くのアルバムを出しました。

また1984年にはブルース・スプリングスティーンのE Street Bandに加入し、Born In USAツアーにも参加しました。

現在も活躍中です。

グリンの『ファースト』と4th『Gone Crazy』。ソロの『ファースト』と『ライブ』。

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クレイジー・ホースの『Loose』『At Crocked Lake』『Crazy Moon

       

クレイジ―・ホースはダニー亡き後、フランク・サンペドロが加入し、この3人で長いこと活動しました。今現在も解散はしておりません。活動していると思います。

 


CRAZY HORSE • I Don't Want To Talk About It • 1972

 


Crazy Horse - Downtown

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

ハイセイコーの無念を晴らす!

「競馬 写真」の画像検索結果

 

1979年の4歳(今で言う3歳)牡馬クラシック戦線は、前年の朝日杯3歳ステークスを勝ったビンゴガルー、そして明けて4歳クラシック路線で重賞3連勝のリキアイオーの争いと見られていました。リキアイオーは朝日杯3歳ステークスはビンゴガルーの6着、正月の京成杯ファーストアモンの6着と振るいませんでしたが、自走のオープン戦を勝ち、続く東京4歳ステークス、弥生賞皐月賞トライアルのスプリングステークスまで4連勝と勢いが止まりません。すべて逃切り勝ちで、ビンゴガルーには3度先着しています。

本番の皐月賞は当然リキアイオーが1番人気、ビンゴガルーは前走スプリングステークス5着敗戦が嫌われ3番人気でした。レースのほうはリキアイオーが予想通り逃げて、直線に向きますが、ハードなローテーションが響いたのか失速します。場内騒然。そこにビンゴガルーが襲い掛かり、さらにゴール寸前、カツラノハイセイコが差してきましたがビンゴガルーが押し切り優勝、カツラノハイセイコが2着、3着にネーハイジェット、1番人気のリキアイオーは4着に敗れました。

2着に入ったカツラノハイセイコはあのハイセイコーの子供です。ハイセイコなのは馬名が9文字に制限されているため「-」が付けられなかったのです。

カツラノハイセイコ関西馬で3歳時にはなかなか勝てず4戦目の未勝利戦でようやく勝ち上がり、明け4歳になって特別戦を3連勝して、東上しスプリングステークスをリキアイオーの2着になり出走権を得ました。皐月賞の人気は5番人気でした。まだまだ人気はありませんでした。

皐月賞での追い込みがファンの目に留まり、ダービーでは僅差ながら1番人気に押されました。もちろんハイセイコーの子供ということで、「ハイセイコーのダービーでの無念を晴らせ」との応援も入っていたことでしょう。皐月賞馬のビンゴガルーが2番人気になりました。ダービートライアルのNHK杯を勝ったテルテンリュウが3番人気になりました。カツラノハイセイコNHK杯出走も3着でした。

レースの方はリキアイオーが逃げられず押さえ、カシマセイカンの逃げで始まりました。カツラノハイセイコビンゴガルーは中団を進みます。4コーナーでリキアイオーがようやく先頭に立ち、直線に入りますが、そこにカツラノハイセイコが並びかけ、外からテルテンリュウも上がって3頭の叩き合いでしたが、テルテンリュウが内にささり、リキアイオーが進路をふさがれる形になり後退。一緒に上がってきたリンドプルバンもその煽りを喰いました。ビンゴガルーはその後ろ。カツラノハイセイコが先頭に立つと、内からテルテンリュウを交わし、リンドプルバンが態勢を立て直し猛然と追い込んできました。そして並んだところがゴール板でした。写真判定の結果、ハナ差でカツラノハイセイコが優勝しました。ビンゴガルーは4着に敗れました。

ハイセイコーの夢を追った私もカツラノハイセイコと好きなジョッキーの島田功リンドプルバンを勝って的中でした。枠連1560円はダービーにしてはまずまずでした。

この後、カツラノハイセイコは体調を崩し夏場休養、秋初戦の京都新聞杯に出走も10着と惨敗。これは脚部不安の影響で、その後菊花賞も回避し休養に入ります。

約1年の休養の後、5歳の9月、オープン特別のサファイアステークスに出走し2着、続く京都大賞典3着、目黒記念1着ときて、秋の天皇賞に向かいました。当然の1番人気ながら重馬場の東京競馬場プリティキャストの大逃げの前に屈して6着。暮れの有馬記念ホウヨウボーイのハナ差の2着でした。

明けて6歳。3月のマイラーズカップから始動しました。3番人気ながら快勝。続くサンケイ大阪杯を1番人気で6着に敗れ、春の天皇賞に黄色信号が付きます。

1番人気は宿敵リンドプルバン、カツラノハイセイコは2番人気でした。レースはサンシードールの逃げで始まり、一団となって直線へ。カツアールカツラノハイセイコが抜けだし、叩き合いの末、カツラノハイセイコが優勝、2着にカツアール、リンドプルバンは4着でした。

この後、カツラノハイセイコ宝塚記念に出走、天皇賞で下したカツアールに屈して2着。その後再び脚部不安が発生してそのまま引退となりました。

ハイセイコーの悲願だった日本ダービー天皇賞制覇を息子が果たしました。ドラマですね。ハイセイコーは地方上がりの野武士ということで絶大なる人気を博しましたが、日本ダービー天皇賞も宿敵タテホープに阻まれ、悔しい思いをしました。ハイセイコーほどの人気ではありませんでしたが、カツラノハイセイコも十分競馬の面白さを味あわせてくれました。

戦績は23戦8勝、2着7回、3着3回 日本ダービー天皇賞(春)

種牡馬としての成績は中央での重賞勝ち馬1頭を輩出しました。

 

 


1979年 カツラノハイセイコー  日本ダービー.mp4

この頃のダービーは28頭フルゲートでしたので位置取りが大変でした。

 


1981 天皇賞(春) カツラノハイセイコ

 

このブログはこの後、以下のブログに移動します。よろしくお願いします。

lynyrdb

それでは今日はこの辺で。

映画 『みじかくも美しく燃え』を観る

今日の映画は『みじかくも美しく燃え』です。

 

監督:ボー・ヴィーデルベリ

主演:ピア・デゲルマルク、トミー・ベルグレン

制作:スウェーデン、1968年(日本)公開

 

またまた古い映画で恐縮です。最近CS放送で観ました。この映画も高校生時代に観たものです。この当時は恋愛映画などあまり観ませんでしたが、何かとの同時上映だったと思います。ロードショーでないことは確かです。ロードショーなどめったに観れませんでしたから。

 

ストーリーは、スウェーデンの伯爵で軍の中尉であるシクステン・スパーレとサーカスの綱渡りの名人エルヴィラ・マディガンが恋に落ち、デンマークに駆け落ちしたところから始まります。二人は野原でピクニックをしており、仲睦まじく、幸せの絶頂です。

二人は田舎のホテルに宿泊しますが、こんな田舎でも二人の逃避行は話題になっており、親切なホテルの従業員が、二人の正体がバレていると教えてくれます。そして二人の逃亡劇が始まります。

シクステンは伯爵で軍人、捕まれば脱走兵として処分されます。ボートに乗りたどり着いた先に親友が待ち構えていました。親友はシクステンが残してきた妻子の状況を知らせます。シクステンには妻と2人の子供がいたのです。しかし、シクステンは一番大事な人はエルヴィラだと言って聞きません。翌朝、親友はエルヴィラが聞いているのを知りつつ、妻が自殺未遂したとシクステンに告げます。ショックを受けたエルヴィラは姿を消します。親友の策略に気付いたシクステンは親友に絶交宣言をし、探しに行きます。農家の屋根裏部屋に隠れていたエルヴィラを発見すると、すべて作り話だといい、誤解が解かれ、2人の愛はさらに深まります。

しかし、愛だけでは暮らしていけません。持ってきたお金は底をつき始めました。働いた経験のないシクステンは金を稼ぐ手段がありません。見かねたエルヴィラは踊り子をして金を稼ぎます。しかし、シクステンはエルヴィラが観客に膝を見せたとして、怒りなじります。それでも何とか仲直りをして、さらに田舎へと逃亡します。木の実や葉っぱやキノコを食べて飢えをしのぎます。ついにエルヴィラがささやきます。「私たちはそろそろ覚悟を決めないといけない」と。

覚悟を決めた2人は、最後に手に入れたパンと卵とワインを持って、野原にピクニックに出かけます。乾杯をして、シクステンにもたれかかるエルヴィラ。シクステンはバスケットに手を伸ばし拳銃を手にします。エルヴィラのこめかみに銃口を向けますが、撃てません。エルヴィラは「撃つのよ」と促します。「撃てない」とシクステンはうなだれます。エルヴィラは体を起こし、飛んできた蝶を追いかけ始めます。それに向かってシクステンが銃口を向けます。そして無邪気に蝶を追いかけるエルヴィラの姿のストップモーション。そして銃声。さらにもう一発の銃声。

 

この心中事件は実話に基づいています。ヨーロッパの三大心中事件の一つです。もう一つがカトリーヌ・ドヌーブ主演の『うたかたの恋』です。マイヤーリンク事件と呼ばれるオーストリア皇太子と男爵令嬢マリーとの謎の死。

 

はは~ん、こんな映画だったかなと、ほとんど憶えていなかったことの衝撃と、新作を観たような新鮮さとで複雑な気持ちにさせられました。

 

確かに美しいのです。映像と音楽と女優が。特に冒頭のピクニックシーンの美しさと言ったら表現のしようがありません。それとラストのピクニックシーンのエルヴィラの美しさ。この二つのピクニックシーンに2人の幸せの絶頂から、最悪の結末までを凝縮させているのではないでしょうか。

この女優、ピア・デゲルマルクはその後もあまり見かけませんでしたが、割と早く引退したらしいです。もったいないです。

 

スウェーデン映画というと、真っ先にイングマール・ベルイマン監督を思い出します。う~ん、同時上映はベルイマンだったかもしれません。

 


Ronnie Aldrich  映画「みじかくも美しく燃え」 Elvira Madigan

 


Elvira Madigan And Sixten Sparre: Serenade - Franz Schubert

 

問題のラストシーン。


Elvira Madigan (1967)

それでは今日はこの辺で。

 

ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones) 『ブルー&ロンサム(Blue & Lonesome)』を聴く

ローリング・ストーンズはデビューアルバムから2005年のスタジオアルバム『A Bigger Bang』まで欠かさず買っていましたが、今回のこのアルバムは何故か買いそびれてしまいました。

ということで、遅ればせながら『Blue & Lonesome』を購入しました。2016年の発売です。1年も遅れました。

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驚きのブルースアルバムです。発売当時、disk unionで流れているのを聴いて、これは絶対買わなければと思っていたのですが、なんやかんやで今になってしまいました。実情は新譜を買う余裕が無くなったというのが本音です。今回Amazonギフト券が手に入ったので早速購入という訳です。

 

今更メンバー紹介でもないですが一応

ミック・ジャガー(Mick Jagger,vo,harp)

キース・リチャーズ(Keith Richards,g)

ロニー・ウッド(Ronnie Wood,g)

チャーリー・ワッツ(Charlie Watts,ds)

 

その他

チャック・リーヴェル(Chuck Leavell,key)

ダリル・ジョーンズ(Darryl Jones,b)

マット・クリフォード(Matt Cliford,key)

エリック・クラプトン(Eric Clapton,g,06,12)

ジム・ケルトナー(Jim Keltner,perc,09)

です。

 

プロデュースはWas(Not Was)のドン・ウォズグリマー・ツインズです。

 

01.Just Your Fool  (Walter Jacobs)

02.Commit A Crime  (Chester Burnett)

03.Blue And Lonesome  (Walter Jacobs)

04.All Of Your Love  (Samuel Maghett)

05.I Gotta Go  (Walter Jacobs)

06.Everybody Knows About My Good Thing  (Miles Grayson/Lermon Horton)

07.Ride 'Em On Down  (Eddie Taylor)

08.Hate To See You Go  (Walter Jacobs)

09.Hoo Doo Blues  (Otis Hicks/Jerry West)

10.Little Rain  (Ewart Abner/Jimmy Reed)

11.Just Like I Treat You  (Willie Dixon)

12.I Can't Quit You Baby  (Willie Dixon)

 

ストーンズのここまでのブルース一辺倒のアルバムは初めてではないでしょうか。元々ストーンズはブルース、R&Bに根差した音楽で定評がありましたが、ここまで徹底したのは原点回帰という事でしょうか。たった3日間のレコーディングですべて一発録りだというからますます驚きです。

賛否はあるでしょうが、私は大歓迎です。ミックのヴォーカルはもちろんですが、ハープの素晴らしさを改めて見直しました。キースのギターもふんだんに聴けるし言うこと無いです。

たまたま隣のスタジオでレコーディングしていたというエリック・クラプトンが参加している2曲もクラプトンのスライドが聴ける06、いいですね。

ストーンズが全曲ブルースでカバーすると聞いて、ひょっとするとヨレヨレになっているんじゃないかなどと心配しましたが、まったくの杞憂に終わりました。みんな元気すぎます。ミック74歳、キース73歳、チャーリー76歳、ロン70歳、化け物たちです。メンバーから外れましたがビル・ワイマンは81歳、ミック・テイラーは68歳です。27才で亡くなったブライアン・ジョーンズを思うと複雑です。

ミックの声は74歳とは思えません。まだまだ行けそうです。とにかく続けているだけでいいんです。

 


THE ROLLING STONES Blue and Lonesome (Blue and Lonesome ) 03-12

 


THE ROLLING STONES - Everybody Knows About My Good Thing (Blue and Lonesome) 06-12

 


THE ROLLING STONES - I Can't Quit You Baby( Blue and Lonesome) 12-12

 

それでは今日はこの辺で。

スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood) 『Greatest Hits Live』を聴く

今でも新譜が出ると必ず買うアーティストが何人(何組)かいます。その中の一人が大好きなスティーヴ・ウィンウッドです。彼はスペンサー・デイヴィス・グループやトラフィックのメンバーでしたがトラフィック解散後はソロとして活動しています。その辺のことは以前の記事を参考にして頂ければと思います。

lynyrdburitto.hatenablog.com

その彼が、2009年にエリック・クラプトンとの競演ライヴ『Live from Madison Square Garden』をリリースして以来、久しぶりにアルバムをリリースしました。といってもスタジオアルバムではなくライブアルバムです。「グレーテストヒッツ」とあるように、スペンサー・デイヴィス・グループ時代のものから、トラフィックブラインド・フェイス、そしてソロ時代まで満遍なく選曲されたライブ盤です。録音日時等の記載が全くありませんが、メンバーと写真からして最近のライブの編集と思われます。

9月の発売でしたが、Amazon経由で海外取り寄せだったもので遅くなりました。その代わり値段は2枚組で1200円と格安でした。今は2000円近くに値上がりしています。ラッキーでした。

 

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メンバーは

Steve Winwood (vocalsGuitar, hammond B3, mandolin,)

Jose Neto(guitar)

Richard Bailey (drums)

Paul Booth (flute, hammond B3, saxophone)

Edson Da Silva (Percussion)

 

ジョゼ・ネト (Jose Neto)はソロ7作目(ツトムヤマシタとの『Go』を除く)の『Junction Seven』からの付き合いで、ジャズ・ギタリストです。

リチャード・ベイリー(Richard Bailey)はソロ8作目の『About Time』からの付き合いで、ジャズ・ドラマーです。スノウィー・ホワイトやジェフ・ベックのレコーディングにもよく参加しています。

ポール・ブース(Paul Booth)エドソン・ダ・シルバ(Edson Da Silva) もジャズ・ミュージシャンです。

 

 

CD1

01.I'm a Man

02.Them Changes

03.Fly

04.Can't Find My Way Home

05.Had to Cry Today

06.Low Spark of High Heeled Boys

07.Empty Pages

08.Back in the High Life Again

09.Higher Love

10.Dear Mr. Fantasy

11.Gimme Some Lovin

 

CD2

01.Rainmaker

02.Pearly Queen

03.Glad

04.Why Can't We Live Together

05.40,000 Headmen

06.Walking in the Wind

07.Medicated Goo

08.John Barleycorn

09.While You See a Chance

10.Arc of a Diver

11.Freedom Overspill

12.Roll with It

 

CD1

01はスペンサー・デイヴィス・グループ時代の代表曲です。イントロからは何の曲か全くわかりません。ジャジーな雰囲気で始まり、ようやくメインテーマがのヴォーカルが聴けます。

02は01のエンディングがに引き続き始まるバディ・マイルスの曲でクラプトンとのライブアルバム『Live from Madison Square Garden』でも演奏していた曲です。

03は2008年の『Nine Lives』収録のしっとりした曲。ポールのサックスが渋い。

04、05はブラインド・フェイス時代の曲。相変わらず伸びのあるヴォーカルが聴けます。それでもほんの若干高音域が下がったような。

06はトラフィックのアルバム『Low Spark of High Heeled Boys』からのタイトル曲。

07はトラフィックのアルバム『John Barleycorn Must Die』から。

08は1986年のソロ第4作『Back in the High Life』から。ウィンウッドがマンドリンを弾いています。このアルバムは全米3位を記録します。

09も『Back in the High Life』から。名盤の誉れ高いこのアルバムから名曲が2曲続きます。この曲は全米1位を記録します。

10はトラフィックのデビューアルバム『Mr.Fantasy』から。

11はスペンサー・デイヴィス・グループの代表曲。

 

CD2

01はアルバム『Low Spark of High Heeled Boys』から。このフルートを聴くと亡くなったクリス・ウッドを思い出します。もちろん奏者は違いますが。

02はトラフィックセカンドアルバム『Traffic』から。これは名曲。デイヴ・メイソンも必ず取り上げます。その他多くのミュージシャンにカバーされています。

03はトラフィックのアルバム『John Barleycorn Must Die』から。インストの名曲。

04はソロ8作目の『About Time』から。

05はセカンドアルバム『Traffic』から。またトラフィックのライブアルバム『Welcome to the Canteen』でも取り上げています。またデイブ・メイソンもライブではたびたび演奏しています。

06はトラフィックのラストアルバム『When the Eagle Flies 』から。

07は第1期トラフィックのラストアルバム『Last Exit』から。このアルバムは片面ライブです。

08は名作中の名作『John Barleycorn Must Die』から。ブリティッシュ・トラッドを取り入れた名曲です。

09、10はこれも名盤の誉れ高いソロ2作目の『Arc Of A Diver』から。アルバムは全米3位を記録します。

11は『Back in the High Life』から

12は1988年のソロ第5作目の『Roll With It』から。アルバム、シングル共に全米1位を記録します。シングルは4週連続1位でした。

 

このライブアルバムはスティーヴのキャリアをほぼ網羅する様な曲構成になっています。惜しむらくはトラフィック時代のアルバム『Shoot Out at the Fantasy Factory』から「(Sometimes I Feel So) Uninspired」を入れて欲しかったのですが、欲張りすぎですね。2CDで150分を超えるボリュームです。文句を言ったらバチが当たりますか。

とにかくバックを務めるメンバーがいずれもジャズ・ミュージシャンということでジャズアルバムといってもおかしくないくらいにジャジーで聴きごたえたっぷりです。69歳とは思えない声の張りとギター、オルガンの演奏力。やっぱり天才少年と言われただけのことはあり、今でも天才老年です。

まだまだスタジオアルバムを期待しています。

 


Steve Winwood - "Can't Find My Way Home (Live)"

 

これは珍しい、ジム・キャパルディとの「John Barleycorn」フルートはクリス・ウッドではないと思います。ジムには死相が漂っているような。


Traffic-John Barleycorn ......Must Die

 

ソロではありません。トラフィック時代のアルバムから。この曲には随分救われました。なんとこの曲、ガヴァメント・ミュールもカバーしています。


TRAFFIC -( Sometimes I Feel So) Uninspired

 

最近、二女からプレゼントでAmazonギフト券を頂いたので、何枚か新譜を買っています。追々紹介します。

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『灯ともし頃/浅川マキ』

今まで音楽の記事をいろいろ書いてきましたが、気が付けば日本のミュージシャンについては5組しか書いていませんでした(懐メロは除いて)。加川良の訃報記事、岡林信康山崎ハコシルクロード、それと遠藤賢司の訃報記事、これだけです。

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もう少し日本のミュージシャンンも書いてみようかなと思い立ったところ、浅川マキの名前が浮かびました。

浅川マキのアルバムは数が多くどれにするか迷いましたが、比較的古くて地味なアルバムですがとても気に入っているアルバムを選びました。

1976年の通算7枚目のアルバム、『灯ともし頃』です。

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Side A

1.夕凪のとき

2.あなたなしで Trying to live my life with-out you

3.それはスポットライトではない  It's not the spotlight

4.

 

Side B

1.Just Another Honky

2.思いがけない夜に

3.センチメンタル・ジャーニー Sentimental Journey

4.何処へ行くの

 

参加ミュージシャン

萩原信義  アコースティック&エレクトリック・ギター

杉浦芳博  アコースティック・ギター

白井幹夫  ピアノ

吉田 建  エレクトリック・ベース

坂本龍一  オルガン

角田 順  エレクトリック・ギター

つのだひろ ドラムス

向井滋春  トロンボーン

近藤俊則  トランペット

 

1975年12月5日~10日、西荻窪アケタの店」で録音

 

ライブハウスでの録音ですが、スタジオライブのような感覚です。この店は今でも健在です。

英語のタイトルが付いていない曲は浅川マキのオリジナルです。その他はカバー曲ですが訳詞はすべて浅川マキです。これが実にうまい。

A-3はバリー・ゴールドバーグの曲でボビー・ブルー・ブランドもカバーしていて、それを聴いて彼女も歌いたくなったらしいのですが、ちょうどロッド・スチュワートの新譜『Atlantic Crossing』が手に入り、聴いてみたらちょうどこの歌を歌っていてびっくりしたが、そのまま歌うことにした、と本人のライナーノーツで書いています。いかにも浅川マキらしい歌い方で、他の人とは比べられない魅力があります。ロッド・スチュワート・バージョンも好きですが。そういえば彼女は「ガソリンアレイ」もカバーしていましたね。

B-1もロッドのFaces時代のカバーです。よほどロッド・スチュワートが好きなんですね。

浅川マキの音楽はブルースでもなく、ジャズでもなく、フォークでもなく、ロックでもなく、ジャンル浅川マキという感じです。独特の世界を持っています。

 

私が初めて彼女の歌を聴いたのは、何かの映画の挿入歌だったような気がします。曲は「夜が明けたら」と「かもめ」だったと思います。それから北山修の「赤い橋」なども印象に残っていました。1973~4年の頃だったと思いますが、明大前の「キッドアイラックホール」(喜怒哀楽のもじり?)で初めてライブを見ました。凄い迫力というか存在感だったのを憶えています。

 

このアルバムには若かりし頃の坂本龍一も参加していますが、彼女も彼のことを「坂本龍一のオルガンは、いつも豊かなベースになっていた」とほめています。

それからドラムのつのだひろについても「つのだひろの大きなドラムの音は、こちらを決して疲れさせなかった」と言っています。

トランペットの近藤俊則には初対面だったらしいのですが電話で「センチメンタル・ジャーニー」を吹いてほしいと、いきなり頼んだらしいです。近藤俊則は当時フリー・ジャズの旗手だったのにオーソドックスな曲を依頼したが引き受けてくれたと書いています。

オリジナル曲はまさに浅川マキの世界です。ブルースかジャズかと言われれば、日本のブルースかな、という感じなのです。

アケタの店」についてはそのライナーノーツで次のように書いています。

「「あけたの店」の中はすさまじいものだった。録音機械の一部は、すでに店内からはみ出して便所の前に据えられた。ドラムセット、ベースとギターのアンプ、オルガンやエレキピアノが並び、床には無数のコード線がはいずって、足の踏み場もない。異様な雰囲気のなかに一番に入ってきたのが、つのだひろだった。彼は大きなからだで、軋む階段を降りて、この地下へやってきたのである。彼にとって、ジャズ喫茶でプレイするのは久しぶりのことに違いない」・・・

当時の時代風景が頭に浮かぶようです。

 

浅川マキ自筆の歌詞カード。

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浅川マキのライナーノーツ

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参加メンバー。若かりし頃の坂本龍一、近藤俊則、つのだひろなどが写っています。

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浅川マキが亡くなってはや7年ですか。彼女のような歌手はもう現れないかもしれません。

 

 

 


Maki Asakawa 浅川マキ 「 JUST ANOTHER HONKY(歌詞付) 」

 


Maki Asakawa 浅川マキ 「ふしあわせという名の猫 (歌詞付) 」

 


Maki Asakawa 浅川マキ 「 赤い橋(歌詞付) 」

 

 

 

動画を探していたらきりが無くなりました。いい曲が多すぎます。

これからも日本のミュージシャンを取り上げていきます。

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジョー・コッカー(Joe Cocker)/ウィズ・ア・リトル・ヘルプ(With A Little Help From My Friends)』

ジョー・コッカーと言えば、1970年公開の映画『ウッドストック』での今でいう、派手なエアギターのパフォーマンスで、ビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ」を汗を噴き出しながら、声を絞り上げるように熱唱する姿が頭にこびり付いています。

ウッドストック・フェスティバルの前年、シングル「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ」で全英1位を獲得した、ジョー・コッカーはアルバム『With A Little Help From My Friends(ウィズ・ア・リトル・ヘルプ)』をリリースします。

ジョーは16歳でセントラル技術学校を辞め、ガス工夫として働きながら、プロのミュージシャンを目指します。友人のクリス・ステイントンらとともに「グリース・バンド」を結成し、ライブ活動を行います。やがてジョーの歌いぶりが評判になり、ステイントンと共作した「マージョリーヌ」がトップ50に入るヒットになります。

そして1969年にアルバム『With A Little Help From My Friends』のリリースにこぎつけます。そしてウッド・ストック・フェスティバルへの出演が決まります。

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参加メンバーが凄いです。

ジミー・ペイジレッド・ツェッペリン)  ギター

スティーヴ・ウィンウッドトラフィック)  オルガン

マシュー・フィッシャー(プロコル・ハルム)  オルガン

B.J ウィルソン(プロコル・ハルム)  ドラムス

ヘンリー・マックロー(グリース・バンド)  ギター

クリス・ステイントン(グリース・バンド)  ベース、ピアノ、オルガン

マイク・ケリー(グリース・バンド)  ドラムス

プロデュース デニー・コーデル

豪華版です。

 

Side A

1.With A Little Help From My Friends
2.Sandpaper Cadillac
3. Don't Let Me Be Misunderstood 
4. Do I Still Figure in Your Life? 
5. I Shall Be Released 
 
B Side
1.Feeling Alright 
2. Bye Bye Blackbird 
3. Change in Louise
4. Marjorine
5. Just Like a Woman
 
A-1 タイトル曲。もちろんビートルズナンバー。全英ナンバーワンヒットです。ジミー・ペイジのギターが最高。
A-2 ジョーとクリス・ステイントンの共作。これもジミー・ペイジのギター。ピアノはステイントン。バラードの名曲。
A-3 「アニマルズ」でゆうめいな「悲しき願い」。ギターはヘンリー・マックロー。
A-4 「ハニーバス」のシングル・ヒット。オルガンにスティーヴ・ウィンウッド、ギターにヘンリー・マックロー。バラードナンバー。
A-5 これはご存じボブ・ディランの曲。ザ・バンドもカヴァーしています。ジョー・コッカーは「最も好きなシンガーはレイ・チャールズ、最も好きな作曲家はボブ・ディラン」と言っています。彼のアルバムにはディランの曲が数多く登場します。オルガンにスティーヴ・ウィンウッド、ギターにヘンリー・マックロー。
B-1 「トラフィック」の名曲。デイブ・メイソンの作品。ジョー・コッカーはなにより選曲がいいです。
B-2 ジャズのスタンダードナンバー。ジミーペイジがギターソロを執っています。ピアノはクリス・ステイントン。
B-3 ジョーとクリス・ステイントンの共作。ギターはヘンリー・マックロー。ピアノはクリス・ステイントン
B-4 最初のシングルヒット曲。ここにはギターでジミー・ペイジと共にアルバート・リーが参加しています。
B-5 再びディランの曲。ドラムにB.J ウィルソン、オルガンにマシュー・フィッシャー、ギターにジミー・ペイジ。不思議なもので、ジョー・コッカーがディランの曲を歌っても全く違う曲に聞こえます。独特のしわがれた声で、絞り出すように歌う唱法がオリジナリティを感じさせるのでしょう。
 
ここに紹介しましたアルバムは当時日本で発売されたレコードです。CDを見てみると曲順がだいぶ違っています。CDの方が原盤どうりだとすると、日本発売は編集し直したものかもしれません。ご注意をお願いします。多分ウッドストック・フェスティバルでのジョー・コッカーの活躍を観て、急遽発売を検討したのかもしれません。発売が1971年になっています。本国での発売が1969年ですから、かなり遅れています。
 
このあと、本国ではセカンドアルバムが同じ年に発売されるのですが、これもかなり遅れて発売されたと記憶しています。

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 なにせタイトルは『joe cocker !』なのに、日本盤は『ジョー・コッカーレオン・ラッセル』なのです。これはおそらく、1970年のレオン・ラッセルなどを帯同した大掛かりなツアー「マッドドグス&イングリッシュメン」の成功を見て、このようなタイトルをつけたのではないかと思います。

このセカンドも豪華な顔ぶれです。レオン・ラッセルの他に「グリース・バンド」としてクリス・ステイントン、ヘンリー・マックロー、アラン・スペンサー、ブルース・ローランド、それにザ・バーズクラレンス・ホワイト、フライング・バリットのスヌーキー・ピートなどです。

なお、イギリスのジョー・コッカーとアメリカのレオン・ラッセルを引き合わせたのはプロデューサーのデニー・コーデルのようです。

この成功でデニス・コーデルとレオン・ラッセルはシェルター・レコードを設立することになります。

 

そしてこのあと、あの歴史的名盤『Mad Dogs & Englishmen』がリリースされます。1970年です。

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しかし、ジョー・コッカーの絶頂期はこの頃までで、レオン・ラッセルと離れ、グリース・バンドとも別れ、麻薬に溺れます。

1974年に発表した『I Can Stand a Little Rain 』からヒット曲「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が生まれ立ち直ります。続く、『Jamaica Say You Will 』でも健在ぶりを示しました。

1982年には映画『愛と青春の旅だち』の主題歌『Up Where We Belong』が全米1位となる大ヒットとなりました。これはジェニファー・ウォーンズとのデュエットソングです。これ以降、ジョー・コッカーAORの歌手として第一線で活躍することになります。

2014年肺がんのため、70歳で亡くなりました。

元祖、エアギターでした。セカンドのジャケットの顔写真は若い頃の三国連太郎そっくりではないでしょうか。


With A Little Help Of My Friends Joe Cocker

 

アニマルズ、ニーナ・シモンのカバー


JOE COCKER - Don't Let Me Be Misunderstood★♥

 

 

それでは今日はこの辺で。