Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』を観る

今年早くも3作目。今日のキネ旬シアターは『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』でした。

ロダン カミーユと永遠のアトリエ

 

監督:ジャック・ドワイヨン

主演:バンサン・ランドン、イジア・イジュラン

制作:フランス、2017年公開

 

見始めてからちょっと後悔しました。オーギュスト・ロダンについて少し知識を叩きこんで来ればよかったと。なにしろロダンについては『考える人』を作った人ぐらいの知識しかありませんでしたから。

ロダン没後100年を記念して制作された映画のようです。

ストーリーはロダンが40歳にしてようやく世間に認められ、政府から『地獄の門』の製作を依頼されるあたりから始まります。

ロダンにはカミーユ・クローデルという弟子がいて、このカミーユは同時にロダンの愛人でもあります。カミーユは彫刻家としても有能でロダンも一目置いています。

ロダンには正式に結婚はしていませんが事実上の妻ローズがいます。ロダンはローズとも別れられません。カミーユは何度も妻と別れてくれと頼みますが、ロダンは煮え切れないままです。ロダンは妻と別れるという契約書までカミーユに書かされますが、カミーユとローズの間で苦悩します。

カミーユは自分の作品がロダンの弟子ということで正当に評価されないという不満と、ロダンが妻と別れるという約束を守らないことに腹を立て、とうとうロダンの元を去って行きます。その後ロダンは創作活動にのめり込んでいきます。

あえてストーリーと言えばこの程度です。その間に、ヴィクトル・ユーゴーの像の制作やバルザックの像の創作の過程が描かれたりします。簡単に言えば創作と恋愛の苦悩を描いた映画ということになります。

また、セザンヌやモネ、ミルボーが登場したり、ゾラなどの名前がどんどん出てきて、この時代の芸術家たちの交流が垣間見えたりして興味深いものが有りました。

 

愛人のカミーユ・クローデルは以前彼女自身が映画化されています。観ていませんが。

 

本物の写真

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映画では描かれていませんがカミーユロダンと別れた後、精神に異常をきたし、精神病院に死ぬまで入院することになります。

ロダンは内縁の妻ローズとローズが73歳の時に正式に結婚するも、その16日後に死去、ロダンも9か月後に亡くなったそうです。77歳でした。

カミーユと別れた後のロダンは創作活動も盛んでしたがモデルたちとの遊びも盛んだったようです。

 

映画のラストで箱根の彫刻の森美術館にロダンの「バルザック」像が展示されているのが映し出されていました。何年か前にそこを訪ねているのですが全く記憶にありません。興味が無いというのはこういう事ですね、恐ろしいことです。

「バルザック像」の画像検索結果

 

歴史に関する映画を観る時は、事前に多少の知識を入れておいたほうがより一層楽しくみられることは間違いありません。判っているはずなのに今日は怠けました。反省。

 


映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』予告編

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ポコ(Poco)/カントリー・ロックの貴公子・ポコ誕生! (Pickin' Up The Pices)』

今日はウェストコーストロックを語るにはどうしても外せないバンド『ポコ』について書いてみたいと思います。ポコについては以前の記事で若干触れていますので参考までに載せておきます。

lynyrdburitto.hatenablog.com

バッファロー・スプリングフィールド解散後、メンバーのリッチー・ヒューレイ(Richie Furay,vo,g)ジム・メッシーナ(Jim Messina,gvo)は新しいバンドを結成すべくメンバーを集めました。集まったメンバーは

ランディ・マイズナー(Randy Meisner,b,vo)

ラスティ・ヤング(Rusty Young,g,steel,vo)

ジョージ・グランサム(George Grantham,ds,vo)

でした。

1969年にファーストアルバムを録音しますが、その作業中にランディー・マイズナーはリッチーとジムが編集作業に自分を参加させないことに憤慨して、リリース前に脱退し、イーグルスの結成に参加してしまいます。従ってアルバムジャケットからはランディーの顔は外されています。こうしてファーストアルバム『Pickin' Up The Pices』はリリースされます。

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Side A

1.Foreward

2.What A Day

3.Nobody's Fool

4.Calico Lady

5.First Love

6.Make Me A Smile

7.Short Changed

 

Side B

1.Pickin' Up The Pieces

2.Grand Junction

3.Oh Yeah

4.Just In Case It Happens, Yes Indeed

5.Tomorrow

6.Consequently, So Long

 

プロデュースはジム・メッシーナです。

 

間違いなくカントリーロックの名盤に数え上げられるアルバムです。

ほとんどの曲はリッチーが書いており、ジムとの共作が数曲、ラスティの曲が1曲という構成です。

リッチーの甲高いヴォーカルときれいなハーモニー、ラスティのペダルスティールを聴いただけで、あっ、ポコだとわかります。バッファローとも、バーズとも、CSN&Yとも、イーグルスとも違うカントリーロックを樹立しました。

 

ランディーの後任にはティモシー・B・シュミット(Timothy B. Schmit,b)が加入します。後にランディーがイーグルスを脱退すると、今度は代わりにティモシーがイーグルスに加入するという不思議なめぐりあわせがあります。

そして1970年にセカンド『Poco』、1971年にはライブアルバム『Deliverrin'』をリリースします。ライブではリッチーのバッファロー時代の名曲「Kind Woman」が聴けます。

 

しかしここで、ジム・メッシーナとリッチー・ヒューレイの間でいざこざがあり、ジムが脱退してしまいます。ジムはその後『ロギンス&メッシーナ』を結成し大成功を収めます。ジムの代わりにポール・コットン(Paul Cotton,g,vo)が加入します。

 

そして1971年に4枚目『From The Inside』、1972年には『Good Feelin' To Know』をリリースします。

   

『Good Feelin' To Know』は期待して発表したアルバムでしたが、商業的にはいまひとつでした。私は好きなアルバムですが。このアルバムレコードジャケットは黄色です。

そしてこの後6枚目のアルバム『Crazy Eyes』をリリースしてリッチーがグループを去ります。

 

この後、リッチーはジョン・デヴィッド・サウザー、クリス・ヒルマンと「サウザー・ヒルマン・ヒューレイ・バンド」を結成します。このあたりはいずれ記事にしたいと思います。

 

リッチーが抜けて4人になったポコはその後も活動を続け、メンバーチェンジを繰り返しながらも存続しています。リッチーが抜けた後の方が商業的には成功したようで、1978年の『Regend』はポコ最大のヒットアルバムになりました。この頃のポコが一番いいという人も多いようです。私個人的にはやはりリッチー在籍時がポコだという印象が強く、その後はレコードは買いましたが途中で止めました。

ポコはウェストコースト・ロックの一時代を築いたのは間違いありません。

 


Poco / Pickin' Up the Pieces

 


Kind Woman - Poco


POCO - A Good Feelin' To Know

 

それでは今日はこの辺で。

映画『僕のワンダフル・ライフ』を観る

今日のキネ旬シアターは『僕のワンダフルライフ』でした。

画像検索結果

 

監督:ラッセ・ハルストレム

主演:デニス・クエイドペギー・リプトンブリット・ロバートソン、K・J・アパ

制作:アメリカ合衆国 2017年公開

 

この映画、原題は『A Dog's Purpose』といい、監督は『HACHI 約束の犬』『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』など犬を扱った映画で知られています。

観るまえに嫌な予感がしていました。昨日、TV番組「はじめてのおつかい」で泣かされたばかりなのに、犬の映画ときてはひょっとしたらまた泣かされるかもと、思ったのでしたが案の定でした。

 

ベイリーというゴールデンレトリバーの子犬は命の危険をイーサンという少年に助けられます。そしてベイリーと名付けられた子犬はイーサン一家に飼われることになります。イーサンとベイリーは大の仲良しになり、いつでも一緒に行動します。

しかし、イーサンも大学生になって家を出ることになり、ベイリーとは離れ離れになってしまいます。そして犬の寿命は短く、やがてベイリーも助かりようもない病気になり、イーサンに看取られ亡くなります。

ベイリーは自分を救ってくれたイーサンに再び会うために次にベイリーは警察犬のシェパードとして生まれ変わります。警察犬として大活躍しますが、犯罪者に拳銃で撃たれて死んでしまいます。

次に、今度はコーギー犬として生まれ変わり、若い黒人女性に飼われます。この孤独な黒人女性に恋人を作るきっかけを作り、やがて女性は結婚し家庭を作り幸せな人生を送りますが、犬は寿命で亡くなります。

今度はセントバーナードに生まれ変わり、女性に飼われますが、大きくなりすぎたため、邪魔者扱いされ女性の夫に捨てられてしまいます。

そして犬は放浪の旅に出ます。さ迷い歩くうちに、ある女性にかつて嗅いだ匂いを感じます。さらに旅を続けると、以前確かに来たことがある場所にたどり着きました。そしてそこにイーサンを見つけました。イーサンは一人で祖父の農場を経営していました。すでに老年に近い年齢になっていました。犬は喜んでイーサンに駆け寄り飛びつきましたが、イーサンにはわかるはずもありません。食事を与えてもらって、帰りなさいと促されます。しかし犬は帰りません。

イーサンは止む無く犬を家に入れ、泊めてあげますが飼うことはできないよと、言い聞かせます。翌日、犬の取引所のようなところに預けてしまいます。しかし、イーサンは何となく気になり、翌日取引所に犬を引き取りに行きます。犬は大喜びです。イーサンは犬にバディと名付けます。

バディはイーサンの寂しそうな様子が気になって仕方がありません。そして思い出します。かつて嗅いだ匂いのことを。その女性を探しに行きます。そして見つけます。その女性はイーサンの遠い昔の恋人ハンナです。訳があって別れてしまいました。ハンナはバディの首輪についている飼い主の名を見て驚きます。そしてバディを車に乗せイーサンの家までやってきます。何十年かぶりの再会です。彼女には娘がおり、もうすぐ孫が生まれます。夫は既に他界していました。

イーサンはハンナにかつてのことを謝りもう一度やり直したいと告白します。ハンナも受け入れます。バディもおおはしゃぎです。

バディは何とか自分がベイリーだということをイーサンにわかってもらいたくて、昔2人で遊んだボール投げの遊びに誘います。イーサンは相手にしませんでしたが、バディがしつこくせがむのでやってみると、なんでこんなことが出来るんだと驚きます。そして「お前はボス犬か(ベイリーのあだ名)?」と問います。するとベイリーが「そうだ」と吠えます。こうしてバディは再びベイリー戻りました。

 

この映画はベイリーのナレーションで進行していきます。犬生(犬の人生)の目的はなんだとい命題をベイリーが考えていくというストーリーです。ベイリーの最初の死の時に「イーサンを幸せにすることが目的だったのに、逆に悲しませてしまった」と後悔します。

そしてラストの場面でベイリーは、犬生の目的は「ただ今を一緒に生きること(Be here now)」だと悟ります。この犬の賢さには脱帽です。

 

犬が最初の飼い主に会いたい一心で3回生まれ変わります。この原作は大ベストセラーになったそうですが、飼い主が死んだ犬に対し戻ってきて欲しいという気持ちを込めて書いたものが共感を呼んだのでしょう。

私も飼い犬と2度死別していますが、ペットの死はやはり悲しいものです。犬・猫は長くても人間の寿命の4分の1ですから、大抵はペットの死と向き合わなければなりません。

ペットロスなどという社会現象も起きているほどです。人間よりもペットの方がかわいいというのもわからないではありませんが、世の中大分変りましたね。

おそらく人間を除く動物は未来のことなどは考えないでしょう。先のことを考え、悩んだり、くよくよするのは人間だけでしょう。ベイリーのように「ただ今を生きればいい」と達観できるよう、心の修行に励みましょう。

 

予想通り涙があふれて困りました。「はじめてのおつかい」で子供の逞しさに泣き、今日の映画では犬の健気さに泣き、ぐじゃぐじゃです。

音楽もサイモン&ガーファンクルやビージーズなど懐かしかったです。

 


映画『僕のワンダフル・ライフ』予告

 

それでは今日はこの辺で。

 

シスコサウンドの最高峰 『モビー・グレイプ(Moby Grape)』

1966年、ジェファーソン・エアプレインの初代ドラマーだったスキップ・スペンス(Skip Spence,vo,g)がドラム担当であることに不満でバンドを脱退し、放浪しているときにジェファーソンのマネージャーだったマシュー・カッツに新バンドの結成を促され、スキップは知り合いのジェリー・ミラー(Jerry Miller,g,vo)、ドン・スティーヴンソン(Don  Stevenson,ds,vo)、ピート・ルイス(Pete Lewis,vo,g)、ボブ・モズレー(Bob Mosley,vo,b)に声をかけ、モビー・グレイプが結成されます。

全員がヴォーカルをとり、曲も作れ、当時は珍しいトリプルギターというメンバー構成でした。

この珍しいバンドに早速コロムビアレコードが飛びつき契約を交わします。そして1967年にファーストアルバム『Moby Grape』が発表されます。

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今でもサイケデリックロックの最高峰と評価されているアルバムです。今聴くとさすがに古臭さは否めませんが、それでも当時としての斬新さはひしひしと伝わってきます。

ジェリー・ミラーとドン・スティーヴンソンの曲から始まって、ボブ・モズレー、ピート・ルイス、スキップ・スペンスの曲と次々と曲調も変わり、ヴォーカルも変わるという、次はどんなのが出てくるのかという期待が膨らみます。「8.05」などの小曲も実にそれまでと打って変わってメロディアスでドキッとします。

さらに同年「モンタレー・ポップ・フェスティバル」への出演で決定的な人気を獲得しました。

 

続いて1968年にセカンドアルバム『WOW』を発表します。発売当初は『Grape Jam』が付属する2枚組として発売されたようですが、後にバラバラに発売されるようになりました。

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『WOW』の方は、ファーストのサイケデリックはやや後退し、カントリー、ブルース、R&Bなどアメリカのルーツミュージックに根差したアルバムづくりを目指そうという姿勢は感じられたものの、スタジオエフェクトが多く、日本の『帰ってきたヨッパライ』並みの曲まで飛び出します。おまけに78回転じゃないと聴けない曲まであり、私などはCDが発売されるまでその曲は聴けませんでした。それでも「Three-Four」などの名曲もあり、「Miller's Blues」のジェリー・ミラーの素晴らしいブルースギターも聴くことが出来ます。

『Grape Jam』の方は、アル・クーパーとマイケル・ブルームフィールドがゲスト参加した、ブルースセッションアルバムになっています。アル・クーパーとマイケル・ブルームフィールドはこの後の歴史的名作『スーパーセッション』のヒントになったと述懐しています。

 

この後、スキップ・スペンスが麻薬取締法で起訴、病院に収容されてしまいます。

残った4人は契約上の義務であるところの3枚目のアルバムを制作しました。そして1969年『Moby Grape'69』を発表します。

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リーダー役のスキップ・スペンスを欠いたモビー・グレイプはジャケットからもわかるように、落ち行く夕陽を眺めるような虚脱感を感じさせますが、アルバムの内容も同じように、ゆるいフォーク調の曲が目立ちます。

 

この後、ボブ・モズレーが脱退します。それでも契約上の最後のアルバム制作に取り掛かります。プロデューサーにボブ・ディランなどで有名なあのボブ・ジョンストンを迎え、同じ年に4枚目として『Truly Fine Citizenを発表します。

Truly Fine Citizen

ベースにはセッションマンのボブ・ムーアを迎えたこのアルバムは、ほとんど知られずに終わり、この後解散します。

 

バンドとしての生命は短かったですが、多くのミュージシャンに与えた影響は大きかったようです。レッド・ツェッペリンロバート・プラントやドゥービー・ブラザースのパトリック・シモンズ、日本でもはっぴいえんどのメンバーたちが口を揃えて、あの時代のサンフランシスコ・バンドの最高峰の一つだと語っています。

 

1976年にボブ・モズレーとジェリー・ミラーが組んで『ファイン・ワイン』なるバンドを結成します。メンバーマイケル・ビーン(Michael Been,vo,g)ジョン・クラヴィオット(John Craviotto,ds)を迎え、アルバム『Fine Wine』をリリースします。

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モビー・グレープ時代の名曲「8.05」なども入っていて、私は大いに気に入り、この後にも期待したのでしたが、やはりこれっきりでした。残念です。

 

今回、モビー・グレイプのCDを紹介しようとしてAmazonを検索してみましたが、恐ろしく高価な中古値段が付いていて驚きました。『Fine Wine』などはCD化もされていませんでした。どういう訳でしょう。まあ、『Fine Wine』などを聴く人はいないだろうというレコード会社の判断ですね。

モビー・グレイプに関してはベストアルバム『VIntage』がいいと思います。2枚組で未発表音源も結構収録されています。78回転の曲も聴けます。ただし、不思議なことに名曲「Three-Four」が入っていません。これは謎です。名曲だと思っているのは私だけということでしょうか。

 


Moby Grape - 8:05


Three-Four - Moby Grape - HQ

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ファイアーフォール(Firefall)/ファイアーフォール(Firefall)』

1976年、イーグルスが『ホテル・カリフォルニア』を、ドゥービー・ブラザースが『ドゥービー・ストリート』をそれぞれリリースした年、ウェストコーストロックは全盛期を迎えたようで実は既に衰退の時期に入っていたのではないでしょうか。

ザ・バーズは既に無く、フライング・バリット(FBB)もグラム・パーソンズが抜け、CSN&Yも無く、イーグルスもドゥービーも先のアルバムリリースの後、煮詰まってしまいます。ニール・ヤングもスティヴン・スティルスとのスティルス・ヤングバンドの結成などで話題を取ろうともがいていました。

そんな中、現れたのが『ファイアーフォール』です。このバンドはそれまでのウェストコースト、特にロス系のバンドの特徴である泥臭いカントリー・ロックやフォーク・ロックとは違って、どちらかというとそれ以降流行するAORに近い都会的センスを兼ね備えたバンドでした。

とはいっても、構成メンバーはグラム・パーソンズの後任としてFBBに在席していたリック・ロバーツ(Rick Roberts,vo,g)ジョック・バートリー(Jock Bartley,g,vo)がバンドを作る相談を始め、ジョ・ジョ・ガンにいたマーク・アンデス(Mark Andes,b,vo)ラリー・バーネット(Larry Burnett,g,vo)に連絡を取り、最後にザ・バーズとFBBにいたマイケル・クラーク(Michael Clarke、ds)に話を持ち掛け、1974年に正式に結成されたバンドで、まさにウェストコーストロックの申し子たちのバンドでした。

ジョック・バートリーはグラム・パーソンズの『The Fallen Angels』のメンバーで、その時リックロ・バーツと知り合ったようです。ラリー・バーネットはワシントンDCのSSWでギタリストです。

そして1976年に年にファーストアルバム『Firefall』がリリースされます。

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Side A

1.It Doesn't Matter

2.Love Isn't All

3.Livin' Ain't Livin'

4.No Way Out

5.Dolphin's Lullaby

 

Side B

1.Cinderella

2.Sad Ol' Love Song

3.You Are the Woman

4.Mexico

5.Do What You Want

 

A-1 スティヴン・スティルスの『マナサス』に入っていた曲。スティルスとクリス・ヒルマンの共作。後にクリス・ヒルマンも自身のソロアルバムで取り上げています。叙情的な名曲です。

A-2 ラリー・バーネットの曲。バンドというよりはSSWのような雰囲気。静かです。

A-3 リック・ロバーツの曲。リックの高音ヴォーカルが耳に残ります。カントリーでもなく、フォークでもなく、ポップスに近い。

A-4 ラリー・バーネットの曲。ファンキーなロック。都会的です。

A-5 リック・ロバーツの曲。メロディアスで叙情的なリックの名曲。

B-1 ラリー・バーネットの曲。ハープを導入したブルース・ベースの曲。

B-2 ラリー・バーネットの曲。これも静かなSSW調の曲。

B-3 リック・ロバーツの曲。爽やかなフォークロック。

B-4 リック・ロバーツの曲。A-1と並んでこのアルバムの目玉曲です。ドゥービーを思わせます。

B-5 ラリー・バーネットの曲。ファンキーなロックンロールナンバー。

 

こうしてみると、ラリー・バーネットが半分の曲を作っています。ラリー・バーネットはワシントンDC出身であることから、ウェストコーストロックに刺激を与えているのかもしれません。

ウェストコーストロックもこの頃はロスアンゼルスからコロラドの方にその中心が移りつつありました。ロスで活躍していた連中が続々とコロラドに移り住むようになりました。リック・ロバーツもコロラドの出身で、FBBのサードアルバムでは「コロラド」という大名曲を送り出しています。

 

この後、ファイアーフォールは1977年にセカンドアルバム『Luna Sea』をリリースします。

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このアルバムではますますAOR的なサウンドになっていきます。そして人気の方もうなぎ上りになって、アルバムは全米27位まで上昇し。シングルの「 Just Remember I Love You 」は全米ACの1位を獲得します。

 

その後はメンバーチェンジを繰り返し、マイケル・クラークとマーク・アンデスは1980年に、リック・ロバーツとラリー・バーネットは1981年にそれぞれ退団します。オリジナルメンバーではジョック・バートリー一人がバンドを率いてきました。

リック・ロバーツは一時期戻りましたが、再び退団。マーク・アンデスは現在復帰しています。

ファイアーフォールとしては現在も活動中のようです。デビューしたころは、どうせまたすぐ解散するのだろうな、などと思っていましたが、なんのなんのまだまだ頑張っています。お見それ致しました。


Firefall - It Doesn't Matter


Firefall - Dolphin's Lullaby

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

この人の、この1枚 『ダグ・サム(Doug Sahm)/ダグ・サム&バンド(Doug Sahm & Band)』

ダグ・サムと言えばテックス・メックスの第1人者で知られていますが、アメリカン・ルーツ・ミュージックにも精通しており、カントリー、ブルース、R&B、ロックンロールなど幅広い音楽を取り上げています。

バンド活動も『Sir Douglas Quintet』、『Doug Sahm & Band』、『Texas Tornados』『Sir Douglas Band』などいくつも名前を変え活動しています。

彼は1941年、テキサス州サンアントニオの出身で、5歳の時からカントリー&ウェスタンに興味を持ち、ギターを始め、6歳の時にはフィドルマンドリン、トリプル・ネックのスティールギターをはじめ、7歳の時にはクラブで働いていたといいますから驚きです。さらに、8歳で作曲を始め、9歳でトッププレイヤーのバックを務め、天才少年として広く知られていたというのです。そして今度はT・ボーン・ウォーカーやボビー・ブルー・ブランドなどのブルース、R&Bに興味を持ち、さらにロックンロールにも興味を持ち、1955年にはザ・ナイツなるロックロールバンドを結成します。

そしてマッスルショールズのミュージシャン、ジミー・ジョンソンと知り合いグループに参加したりしながら、自身のグループを持ったりと音楽活動を続けます。

1964年に『Sir Douglas Quintet』を結成し、「メンドシーノ」のヒットを飛ばします。4枚のアルバムも発表しますが、本人の思ったような成功を収めることが出来ず、バンドを解散させてしまいます。そんな彼に目をつけていたのがアトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーです。そしてアトランティックと契約を結び、レコーディングに入ります。かつての『Sir Douglas Quintet』のメンバーに加え、ニューヨークで知り合ったボブ・ディランと親交を深めていたため、ディランがデビッド・ブロンバーグなどを誘いレコーディングに参加することになりました。

前置きが長くなりましたが、こうして生まれたのが1973年の『Doug Sahm & Band』です。

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ディランが恥ずかしそうに陰に隠れているのが面白いです。

 

Side A

1.(Is Anybody Going To) San Antone

2.It's Gonna Be Easy

3.Your Friends

4.Poison Love

5.Wallflower

6.Dealer's Blues

 

Side B

1.Faded Love

2.Blues Stay Away from Me

3.Papa Ain't Salty

4.Me and Paul

5.Don't Turn Around

6.I Get Off

 

バンドメンバーは

ケン・コサック        フィドル

ジョージ・レインズ      ドラムス 

ジャック・ハーバー      ベース、ドラムス

オージー・メイヤー      ピアノ、ギター

ボブ・ディラン        ヴォーカル、ギター、ハープ、オルガン

ドクター・ジョン       オルガン、ピアノ

デヴィッド・ブロンバーグ   ドブロ、スライドギター

アリフ・マーディン      ピアノ

フラコ・ジメネス       アコーディオン

アトウッド・アレン      ヴォーカル、ギター

チャーリー・オーウェンス   スティールギター

アンディ・スタットマン    マンドリン

メンフィスホーンのメンバー  ホーンセクション

 

プロデュースはジェリー・ウェクスラー、アリフ・マーディン、ダグ・サム

ジェリー・ウェクスラーと言えばデラニー&ボニーの発掘、スワンプ・ミュージックの生みの親です。

 

A-1 カントリーロックです。ディランとダグのヴォーカルです。

A-2 これもカントリー・ロック。アトウッド・アレンの曲です。

A-3 ブルースナンバー。ダグ・サムのギターがしびれます。

A-4 ケイジャン風の曲。デヴィッド・ブロンバーグのドブロ。

A-5 ボブ・ディランの曲。ディランとダグのヴォーカル。ギターはディラン。デ  ヴィッド・ブロンバーグのドブロ。これもケイジャン風。

A-6 ダグの曲。ソウルミュージック。ダグのリードギター

B-1 カントリーロック仕立て。

B-2 デルモア・ブラザースのカントリー。

B-3 T・ボーン・ウォーカーのブルースナンバー。ダグのリードギター

B-4 ウィリー・ネルソンのカントリーソング。ディランのハープが入ります。

B-5 ダグの曲。ロックンロールです。

B-6 これもダグの曲。ファンキーなソウル風ナンバー。

 

このアルバムが発表された1973年頃はちょうどアメリカ南部のレイドバックした音楽が流行っていた頃で、これもその時流に乗った好アルバムとなっりました。

 

この同じ年に、Sir Douglas Bandとして『Texas Tornado』が発表されます。

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ここには名曲「Blue Horizon」と「Texas Tornado」が収録されています。

 

1976年にはSir Doug & The Texas Tornadosとして『Texas Rock For Country Rollers』なるアルバムを発表します。

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なお、Sir Douglas Quintet時代の代表作はやはり『Mendocino』でしょう。テックス・メックスの代表作です。

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ダグサムは類まれなる才能の持ち主でした。1999年59歳で亡くなりました。

 


DOUG SAHM (San Antonio, Texas, U.S.A) - Your Friends

 


Doug Sahm - Dealers Blues

大好きな曲


Doug Sahm - Blue horizon

それでは今日はこの辺で。

映画『ヒトラーに屈しなかった国王』を観る

今年最初のキネマ旬報シアターは『ヒトラーに屈しなかった国王』でした。何故かヒトラー関連が多いです。但し、題名にヒトラーと付いていますが直接ヒトラーが出てくるわけではありません。第二次世界大戦時のノルウェー国王の決断を描いた映画です。

 

画像検索結果

 

監督:エリック・ポッペ

主演:イェスパー・クリステンセン、カール・マルコヴィクス、アンドレス・バースモ・クリスティアンセン

制作:ノルウェー、2017年公開

 

1905年、ノルウェーは隣国スウェーデンから独立し、国民投票により立憲君主制の国家に生まれ変わりました。国王は議会の満場一致でデンマークのカール王子を迎え入れました。カール王子はホーコン7世として即位しました。

それから35年経った1940年、第二次世界大戦の戦火はノルウェーまで忍び寄ってきました。英仏との戦争においてナチス・ドイツにとってノルウェーは地理的に重要な位置を占めていました。ヒトラーは何としてもノルウェーを我が手に落とそうと躍起になっていました。そしてノルウェー沖に軍艦を進め、威嚇してきました。ノルウェーはこれを敵とみなし軍艦を砲撃し沈めました。これを機にドイツはノルウェーに対し攻撃を仕掛けてきました。

ノルウェーの内閣は首相が弱腰で内閣総辞職を願い出ますが、議長がこれを認めません。本来、国王は政治に対する権限はないのですが、この時は異例の措置で、議長に同意し内閣の継続を要求します。

そうこうしているうちに、ドイツの空襲は激しくなり、国王一家と政府は首都オスロから脱出し北部の街へと移動します。

一方、ドイツのノルウェー駐在公使ブロイアーは本国からノルウェー政府に対しドイツの要求を受け入れるよう説得しろとの命令が下ります。ノルウェー外相は我が国は独立国であるとしてこれを拒否します。

ここでノルウェー国内でクーデターが起きます。政府がオスロを去ったのを機にこれまでの野党が政権を奪取したと宣言します。そして新政権はドイツの侵攻を認めます。しかしこの政権は国民に認められたわけではありません。国王が信任する手続きは出来ていません。

ブロイアーはドイツ外相のリッペンドロップに電話して「あの政権を国王に認めさせることは無理、考え直してほしい」と依頼しますが、途中でヒトラーに電話が代わり、「何とかして来い」と言われます。ヒトラーに命令されたら従わざるを得ません。

何とか国王に会える手はずをして、国王と面会します。ブロイアーはドイツの侵攻さえ認めてくれれば、新政権を認めなくてもよい、それさえ認めればヒトラーも納得するはずだと、国王に迫ります。しかし、国王は我が国は民主国家だ、私が決めることはできない、議会に相談して返事をすると突っぱねます。そして議会はこれを拒絶します。

途端に国王、政府に対する空爆が始まります。そして戦争へと突入します。

1945年のドイツ降伏によって第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は終了します。

その間、国王と皇太子はイギリスに亡命、皇太子妃と王子たちはアメリカに亡命していました。そして終戦とともにノルウェーに帰還しました。

国王はノルウェーの民主主義を守った英雄になりました。一方ブロイアーは交渉失敗の責任を取らされて東部戦線に送られソ連の捕虜となり、1969年に死亡しました。

国王はヒトラーに屈服することでノルウェー国民の命を守るか、ノルウェーの民主主義を守るかの二者択一で悩みました。国王の兄、デンマーク国王はやはりドイツに攻められ、国民の命を守るためにあっという間に降伏しました。ブロイアーがそのことを国王に進言すると国王は烈火のごとく怒り、兄とは関係ないと一喝します。あくまでも自分は民主主義の国民投票で選ばれた初めての国王であり、その民主主義を守らなければならないとの強い使命感があったのでしょう。

世界の歴史の中で、このようにその後の国家や世界の将来を左右する様な判断をしなければならない場面というのは数多くあるのでしょうが、その判断が正解なのかあるいは誤りなのかはその後の歴史の評価に委ねるしかないことなのでしょう。

ノルウェーにとって、ホーコン7世の存在は今でも燦然と輝く星のような存在のようで、この映画もノルウェー人の7人に1人が鑑賞するという大ヒット作となり、アカデミー賞外国語映画賞ノルウェー代表作に選ばれるなど、多くの映画賞を受賞しました。

 

ブロイアー役のカール・マルコヴィクスは『ヒトラーの贋札』に、ブロイアーの妻役のカタリーナ・シュットラーは『ヒトラー暗殺/13分の誤算』に、ブロイアーの秘書役のユリアーネ・ケーラーは『ヒトラー~最期の12日間~』にそれぞれ出演していて、ヒトラー映画との縁も深いです。

 

この映画はドイツ侵攻後の緊迫の3日間を中心に描いています。ノルウェーの歴史には詳しくなかったので大変興味深く観ることが出来ました。136分と比較的長い映画でしたが全く飽きることなく鑑賞できました。

 


「ヒトラーに屈しなかった国王」予告編

 

今年一発目の映画は気合が入りました。これからが楽しみです。

 

それでは今日はこの辺で。