Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『モリのいる場所』を観る & 訃報 加藤剛さん

今日のキネ旬シアターはモリのいる場所でした。

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監督:沖田修一

主演:山﨑努、樹木希林

制作:日本 2018年公開

 

日本の画家、熊谷守一の晩年のある一日を描いた作品です。熊谷守一は約30年間ほとんど家を出ることなく過ごしたらしいです。ただひたすら庭の植物や昆虫を見つめながら暮らしています。「画壇の仙人」と呼ばれたそうです。

私も勉強不足で、熊谷守一は名前を知っている程度でした。彼の実家は紡績業を営む富裕層で、父親は衆議院議員まで勤めた岐阜の名士でしたが、本人は極貧生活で 、5人の子を授かりますが3人を失いました。

文化勲章も勲三等の叙勲も辞退した変わり者でした。

 

この映画はそんな彼の1974年の夏のある一日を切り取って、朝食の風景から夜寝るまでの日常を描いています。したがってストーリーなどは特別ありません。

 

朝食を終えて、庭に散歩に出かけ、昆虫、鳥、池の魚、植物などあらゆる生き物を見つめます。時には地べたに寝転がって蟻の動きを見つめます。

『モリのいる場所』 ©2017「モリのいる場所」製作委員会

 

その間、来客が絶えません。妻と美恵ちゃんという人が応対します。熊谷に旅館の看板文字を書いてもらいたくて訪ねてくる人や、家の前にマンションを建てるオーナー、熊谷を撮り続けているカメラマンなど、ひっきりなしです。

『モリのいる場所』 ©2017「モリのいる場所」製作委員会

昼食の時に電話がかかってきて、妻が出ると、文化勲章に決定したとのこと。客人たちはびっくり。妻が熊谷に「どうしますか?」と尋ねると、熊谷は「そんなのもらったらまた人がいっぱい来るから困る」と断ります。妻は「いらないそうです」と電話の相手に応えます。このシーンががおかしくてたまりません。他にも思わず笑ってしまうシーンがいっぱいあります。

最後にはファンタジックなシーンまで登場します。

「モリのいる場所 ロケ地」の画像検索結果

 

そんなこんなで映画は淡々と進み、後日、家の前に大きなマンションが建って、そのマンションの屋上から熊谷邸を俯瞰するシーンで終わります。

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実際の家は豊島区の椎名町にあったようですが、ロケでは古民家を改装して作ったようです。実際は30坪程度の狭いに派だったようです。

数々の昆虫が出て来て、珍しい動きを写しますが、よくぞここまで撮ったと拍手です。

 

山﨑努と樹木希林は同じ文学座に所属し、50年以上の付合いながら初共演だそうです。さすがに息はぴったりです。

 

この映画は熊谷守一という人物のユニークさもさることながら、山﨑努の演技力の素晴らしさに感動します。熊谷守一に成り切っています。この演技を観るだけでもこの映画の勝は十分にあると思います。樹木希林もいい味を出していました。

 

山﨑努は私の大好きな俳優の一人です。黒澤明『天国と地獄』からのファンでその演技力には感動さえ覚えます。

 

私の好きな男優、それは緒形拳、仲代達也、山﨑努、原田芳雄松田優作そして加藤剛等々です。

このうちすでに緒形拳原田芳雄松田優作は亡くなっています。そして昨日、加藤剛さんの訃報が入りました。80歳でした。

 

残念です。ただあの痩せ方を見ると、どこか悪いのだろうなとは思っていました。

加藤剛と言えば、古い話ですが、テレビドラマの三匹の侍で初めて観ました。確か丹波哲郎の後釜だったと思います。なんて精悍な男性だろうと思ったことを憶えています。あとはやはり映画砂の器でしょうか。和賀英良を演じる加藤剛ははまり役でした。残念ながらテレビドラマの『人間の条件』は古すぎて観ていませんが、映画では仲代達也が主演でした。これも何かの縁ですね。

三匹の侍を演じた丹波哲郎長門勇平幹二郎もすでに亡くなっています。

昭和の名優が次々と亡くなっていきます。昭和生まれの人間には何とも寂しい気持ちです。

なんとか仲代達也、山﨑努両氏には1作でも多く作品を残していただきたいと願うばかりです。

 

加藤剛さんの冥福を心よりお祈りいたします。合掌

映画記事と訃報記事が一緒くたんになってしまいました。どっちつかずで中途半端になってしまって、反省しきりです。

 


映画『モリのいる場所』予告編

 

 

それでは今日はこの辺で。

遅すぎなかったよ! 『キャロル・キング(Carole King)/つづれ織り(Tapestry)』

世の中に名盤と呼ばれるアルバムは数多くありますが、その中でもこれは間違いなく1970年代の名盤に選ばれるであろうアルバムだと思います。

 キャロル・キング(Carole King)/つづれ織り(Tapestry)』です。

 

私がキャロル・キングを知ったのは1970年代に入ってからでしたが、実は彼女は1950年代からデビューしていたのでした。

1942年生まれの彼女は1958年にはABCからシングルデビュー、続いてRCAからもシングルを出しますが鳴かず飛ばずでした。ここで一旦歌手を諦めます。

1960年代に入ると、夫のジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)と共にソングライティングで多くのヒット曲を輩出するようになります。

最初のヒット曲はシュレルズの「Will You Love Me Tomorrow」で全米1位を記録します。さらにスティーヴ・ローレンスの「Go Away Little Girl」も同じく1位を記録しました。その他1960年から1963年までの間に20曲に及ぶ全米トップ40に入る曲を作っています。

そしてキャロル自身が歌ったIt Might as Well Rain Until Septemberは全米22位、全英3位を記録しました。

しかし、レコード会社の解散などもあり、キャロル・キングの名は1963年の後半から見られなくなりました。そしてジェリー・ゴフィンとの離婚もありました。

しかし、1968年にルー・アドラーのオード・レコードが彼女との専属契約を結び、ザ・シティというバンドを結成、アルバムを発表します。このバンドはこの1枚で終わります。

1970年になると、ジェイムス・テイラー『Sweet Baby James』キャロル・キングのクレジットされているのが見られ、さらに多くのアーティストのレコーディングに参加するようになりました。もちろん彼女の楽曲はそれまでもたくさん取り上げられていました。

 

そして1970年、改めてのソロアルバム『Writer』が、そして1971年にはセカンドアルバム『つづれ織り(Tapestry)』がリリースされるのでした。

 

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Side A

1.I Feel The Earth Move

2.So Far Away

3.It's Too Late

4.Home Again

5.Beautiful

6.Way Over Yonder

 

Side B

1.You've Got A Friend

2.Where You Lead

3.Will You Love Me Tomorrow?

4.Smackwater Jack

5.Tapestry

6.(You Make Me Feel Like) A Natural Woman

 

ミュージシャンは

 

キャロル・キング(Carole King,vo,p,key)

ダニー・コーチマー(Daniel Kortchmar,g,bvo)

チャールズ・ラーキー(Charles Larkey,b)

ラス・カンケル(Russ Kunkel,ds)

ジェイムス・テイラー(James Taylor,g,bvo)

ジョエル・オブライエン(Joel O'Brien,ds)

デヴィッド・キャンベル(David Cambell,cell,viola)

テリー・キング(Terry King,sax,cello)

ラルフ・シュケット(Ralph Shuckett,p)

メリー・クレイトン(Merry Clayton,bvo)

ジョニ・ミッチェル(Joni MItchell,bvo)

 

プロデュースはルー・アドラー(Lou Adler)です。

 

このアルバムは全米で15週連続1位という驚異的な記録を打ち立てました。グラミー賞も4部門で受賞。シングル「Its Too Late」は5週連続1位となりました。決して遅すぎませんでしたね。

ベーシストのチャールズ・ラーキーは彼女の新しい夫です。

彼女のこれまでの人生を振り返って、様々な思いを歌に託したような、そんなまとまりを持ったアルバムになっています。サウンドといいメロディーといい文句なしの名盤です。

A-3は大ヒット曲。B-1はジェイムス・テイラーがカバーしてこれまた全米1位になりました。B-3は彼女のソングライターとしての最初のヒット曲。B-6はアレサ・フランクリンでヒットした曲。

 

この後もキャロル・キングの快進撃は続きます。日本でも五輪真弓のプロデュースに関わったことで有名になりました。五輪真弓は日本のキャロル・キングなどと呼ばれました。

 

彼女は都合4回結婚し、子供は5人。いずれもミュージシャンや芸術家になっています。現在76歳。あの声は健在でしょうか。

 

 


Carole King - It's Too Late (Audio)


Carole King, You've got a friend


Carole King - I Feel the Earth Move (Audio)


Carole King - So Far Away (Audio)

 

それでは今日はこの辺で。

うつろな愛は?『カーリー・サイモン(Carly Simon)/Carly Simon's Greatest Hits』

ジェイムス・テイラーに続いては、昔彼の奥方だったカーリー・サイモン(Carly Simon)です。

カーリー・サイモンは1945年にニューヨークで裕福な家庭のもとで生まれました。父親はクラシックのピアニスト、母親は歌手でした。

1964年には姉のルーシーとフォークデュオ、サイモン・シスターズでシングルやアルバムも発表していました。

 

1971年にはソロとして正式にデビューを飾りました。ファーストアルバム『Carly Simon』から「幸福のノクターン(That's the Way I've Always Heard It Should Be)」がヒットし、グラミー賞の最優秀新人賞を獲得しました。

 

続いて同年、セカンドアルバム『Anticipation』をリリースします。

フォークからポップスへと進化する過程が垣間見えます。

 

そして翌年、大ヒット曲を乗せてアルバム『No Secrets』がリリースされます。

 

この中の「うつろな愛(You're So Vain)」が大ヒットとなりました。これにはミック・ジャガーもバッキングヴォーカルで参加しています。シングル、アルバム共に全米1位を獲得します。相手はミック・ジャガーか、はたまたウォーレン・ビーティか、と諸説ありました。たぶんミック・ジャガーじゃないかと想像します。リンダ・ロンシュタッドもいたんですけどね。

この歌は今でも時々口ずさんでしまいます。

 このアルバムにはミック・ジャガーの他、ポール&リンダ・マッカートニー、ニッキー・ホプキンス、ロウエル・ジョージ、ビル・ペイン、ボニー・ブラムレット、ボビー・キーズ、ジム・ゴードンジム・ケルトナージェイムス・テイラーなど錚々たるメンバーが参加しています。

1973年にはジェイムス・テイラーと結婚、2児の母となります。

 

1974年には4枚目のアルバム『Hotcakes』をリリースします。

この中から、シングル「愛のモッキンバード(Mockingbird)」が大ヒットします。これはジェイムス・テイラーが詩を書き、2人でデュエットしています。

ここでもドクター・ジョン、ロビー・ロバートソン、マイケル・ブレッカージム・ケルトナージム・ゴードン、ポール・バクマスター、ビリー・コブハム、ボビー・キーズ、ラス・カンケル、デヴィッド・スピノザ、クラウス・ヴァウマンなどこれまた凄いメンバーが顔を揃えました。

 

今日紹介するのは、ここまでの4枚からセレクトされたベスト盤です。『Carly Simon's Greatest Hits』です。おそらく日本独自の編集盤だと思われます。1976年の発売です。

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Side A

1.You're So Vain(うつろな愛)

2.Haven't Got Time For The Pain(夢のような愛)

3.That's The Way I've Always Heard It Should Be(幸福のノクターン

4.His Friends Are More Fond of Robin

5.We Have No Secrets

 

Side B

1.Mockingbird(愛のモッキンバード

2.Hotcakes

3.The Right Thing To Do(愛する喜び)

4.When You Close Your Eyes(瞳を閉じて)

5.Legend In Your Own Time(悲しい伝説)

6.Anticipation

 

A-3はアルバム『Carly Simon』から

B-5、6はアルバム『Anticipation』から

A-1、4、5、B-3、4はアルバム『No Secrets』から

A-2、B-1、2はアルバム『Hotcakes』から

の選曲になります。

 

この当時女性のシンガーソングライターと言うとどちらかというとちょっと暗めな内省的なシンガーが多かった中で、カーリー・サイモンは徐々にポップな曲が多くなり、明るいイメージになっていきました。

 

その後も続々とヒットを飛ばし、19989年には映画「ワーキングガール」の主題歌「ステップ・バイ・ステップ(Let the River Run)」でアカデミー賞歌曲賞を受賞しています。

 

私はベスト盤はあまり買わないほうなのですが、このようにヒット曲が多い歌手については、手っ取り早くヒット曲が聴けるということでベスト盤を買っています。

 

この後もカーリー・サイモンは買っていますが、私が好きなのはこの頃のカーリー・サイモンです。

1983年にはジェイムス・テイラーと離婚しています。現在72歳。

 

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それでは今日はこの辺で。

苦悩の果てに 『ジェイムス・テイラー(James Taylor)/Sweet Baby James』

今日の『この1枚は 』はジェイムス・テイラー(James Taylor)の2枚目のアルバム、ジェイムス・テイラーの名を知らしめた、ワーナー移籍後第1弾のアルバム『Sweet Baby James』です。

 

彼は1948年にボストンで生まれました。父親は医師、母親は結婚するまではオペラ歌手でした。

彼の兄、アレックス、弟リヴィングストン、妹ケイトヒュー、全員ミュージシャンです。

 ジェイムスは12歳の頃習っていたチェロをギターに変えました。14歳のころダニー・コーチマーと知り合い一緒にプレイするようになりました。この頃には曲を書くようになっていました。

高校生の頃には兄アレックスのバンドに参加し、曲も書いていました。

彼は学力優秀な生徒でしたが、精神は不安定でした。大学に入るとうつ病を発症しました。そして精神病院に入院しました。そして約9カ月の入院生活を送りました。この経験が後のジェイムスの音楽活動に大きな影響を与えました。

しかし今度は薬物(ヘロイン)による中毒に悩まされるようになり、両親は彼をロンドンに移住させることにしました。

ロンドンではダニー・コーチマーの紹介でピーター・アッシャーと知り合いになりました。ピーターはビートルズが立ち上げたレーベル・アップルの幹部でポール・マッカートニーの恋人ジェーンの兄でした。そういう関係でピーターがジェイムスのデモ・テープをポールとジョージ・ハリソンに聴かせたところ、いたく感動しアップルのオーディションを受け契約が成立しました。

そして1968年にファーストアルバムJames Taylorがリリースされました。

このアルバムにはポール・マッカートニーも参加しており、ピーター・アッシャーがプロデュースしました。好評を得たものの商業的には成功しませんでした。

しかしニューポート・フォークフェスティバルでは人気を博し、今後に期待が集まりました。。その後ジェイムスはバイク事故を起こし、両手を負傷してしまいます。さらにアップル騒動でアップル・レコードをピーター・アッシャーと共に追い出されてしまいます。不運の連続でした。

 

しかしその後、ワーナーと契約を結びます。人気の方もジェイムスの地味な音楽活動が実り、ファンは増えていきました。そして1970年にセカンドアルバム『Sweet Baby James』がリリースされました。

 

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Side A

1.Sweet Baby James

2.Lo And Behold

3.Sunny Skies

4.Steamroller

5.Country Road

6.Oh, Susannah

 

Side B

1.Fire And Rain

2.Blossom

3.Anywhere Like Heaven

4.Oh Baby, Don't You Loose Your Lip On Me

5.Suite For 20G

 

参加メンバーは

 

ダニー・クーチ・コーチマー(Danny Kortchmar,g)

ランディ・マイズナー(Randy Meisner,b)

ボビー・ウェスト(Bobby West,b)

ジョン・ロンドン(John London,b)

ラス・カンケル(Russ Kunkel,ds)

クリス・ダロウ(Chris Darrow,fidle)

キャロル・キング(Carole King,p)

レッド・ローズ(Red Rhodes,steel)

 

プロデュースはピーター・アッシャー(Peter Asher)です。

 

このアルバムからシングルの「Fire And Rain」が全米3を記録する大ヒットとなり、一躍スターダムにのし上がりました。アルバムも300万枚を売り上げました。

 

このアルバムは単なるフォークアルバムではなく、カントリータッチのものからゴスペル調、R&B、ブルースまで幅広い音楽性を持ったアルバムになっています。1曲だけフォスターの「オー、スザンナ」が取り上げられていますが、あとは全てオリジナルです。

A-5はアル・クーパーが、B-1はBS&Tがそれぞれカバーしています。

 

翌年の『 Mud Slide Slim and the Blue Horizon』からのシングル、キャロル・キングの曲「君の友達(You've Got A Friend)」が全米1位の大ヒットとなり、名実ともにアメリカを代表するシンガーソングライターになりました。 

 

ジェイムス・テイラーの楽曲は彼の体験が元になって作られている曲が多いのです。鬱病や再三の薬物中毒、離婚など苦しい体験が歌となって結晶しているものが数多くあります。それが人の心を引き付けるのでしょう。

ジェイムスはカーリー・サイモン(Carly Simon)と結婚し(その後離婚)2人の子供が生まれました。2人とも現在はミュージシャンとして活動しています。 

ジェイムスの兄弟、兄のアレックスは亡くなりましたが、他の3人は現在も活動中です。

 

その後もジェイムスは『Gorilla』JTなど名作を数多く残しています。

 

 

シンガーソングライターという言葉は、おそらく1970年代の前半頃から使われ始めたように記憶していますが、ジェイムス・テイラーはそのスタート時期から先頭を走り続けてきました。グラミー賞も獲得しアメリカを代表するシンガーソングライターです。現在70歳。まだまだやるでしょう。

 


James Taylor - Fire and Rain


James Taylor - Sweet Baby James


Country Road - James Taylor - Lyrics / HD


James Taylor You've Got a Friend lyrics

 

それでは今日はこの辺で。

惜しまれる早世 『ジム・クロウチ(Jim Croce)/去りし男の伝説(Photographs & Memories(His Greatest Hits))』

今や伝説と化してしまった男、ジム・クロウチ(Jim Croce)。彼がこの世に残したのは実質上3枚(自主制作と夫婦デュオアルバム除く)のソロアルバム。そして愛妻のイングリッドと息子のエイドリアンでした。

 

ジム・クロウチは1943年、フィラデルフィアに生まれました。家はイタリア系の中流家庭です。

大学に進学すると、ザ・スパーアーズというバンドに所属します。そしてこのバンドのリーダーだったトミー・ウェストと知り合います。

大学卒業後は選抜されて中東、アフリカに遊学します。ここでの体験が後に彼の作る歌に大きな影響を与えたと本人も告白しています。

イタリア系の家庭がたいていそうであるように、卒業後は良い仕事に就くように望まれていました。在学中からさまざまな仕事をこなし、家にお金を入れる傍ら、音楽活動も続けており、レコーディングなどもしていました。

一方トミー・ウェストはABCレコードに仕事を得て、ここでテリー・キャッシュマンと知り合いプロデュースの仕事を初め、これがうまくいってジム・クロウチをニューヨークに呼び寄せました。

このころジムはイングリッドと結婚しており、彼女と共にニューヨークへ向かいました。結婚時にはお祝い金で自主制作盤『Facets』を作っていました。

1969年にイングリッドとのデュオアルバム『Croce』をリリースしました。しかしこれは全く売れず、ジムは失意のどん底に叩き落されます。そしてペンシルベニアの田舎に引っ込んでしまいます。そして食うためにさまざまの仕事をこなします。

そして再びフィラデルフィアに戻ったジムはシンガー兼リードギタリストのモーリー・ミューライゼンと知り合い、いくつかの曲を書くようになります。そしてそれをトミー・ウェストに送ります。トミーはそれに感じるものが有り、ABCレコードとの契約を結ぶことにしました。

 

そして1972年にファーストソロ『ジムに手を出すな(You Don't Mess Around with Jim)』がリリースされます。この中のタイトル曲がブレイク、全米8位を記録します。さらに「Operator」も17位とヒットします。

続いて1973年に『Life And Times』をリリース。この中から『リロイ・ブラウンは悪い奴』が全米1位の大ヒットになりました。

これによってジム・クロウチは押しも押されぬ人気歌手になりました。

そして3枚目のアルバム『美しすぎる遺作(I Got A Name)』のレコーディングが終わった1週間後、1973年9月20日、ジムの乗った飛行機が墜落、死亡しました。僅か30歳の若さでした。残されたのは3枚目のアルバムと愛妻と愛息でした。

死亡の翌日に発売されたのが、シングル「I Got A Name」でした。当然ながらヒットしました。さらにファーストアルバムの中の「Time In A Bottle」が全米1位の大ヒットとなりました。

  

 

 

 そして亡くなった翌年に発売されたのが『去りし男の伝説(Photographs & Memories(His Greatest Hits))』です。 

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Side A

1.Bad, Bad Leroy Brown(リロイ・ブラウンは悪い奴)

2.Operator

3.Photographs And Memories(写真と思い出)

4.Rapid Roy (The Stock Car Boy)

5.ime In A Bottle

6.New York's Not My Home(ニュートークは好きじゃない)

7.Workin' At The Car Wash Blues

 

Side B

1.I Got A Name

2.I'll Have To Say I Love You In A Song(歌にしたくて)

3.You Don't Mess Around With Jim(ジムに手を出すな)

4.Lover's Cross

5.One Less Set Of Footstep(朝の足音)

6.These Dreams

7.Roller Derby Queen

 

3枚のアルバムから選択されたベスト盤です。

リードギターモーリー・ミューライゼン(Maury Muehleisen)です。

プロデュースはテリー・キャッシュマン(Terry Cashman)トミー・ウェスト(Tommy West)です。

 

ファーストからA-2、A-3、A-4、A-5、A-6、B-3

セカンドからA-7、B-5、B-6、B-7

サードからA-1、A-7、B-2、B-4

となっています。

 

ヒット曲目白押しの文句なしのベスト盤です。

A-1やA-5、B-3を聴くとジム・クロウチの何とも言えない、人の好さそうな顔が浮かんできます。歌は悲しくて哀愁のある、一方で元気が出る独特のメロディーと張りのあるヴォーカルがとても心地よく聞こえます。

 

飛行機事故で亡くなったミュージシャン。バディー・ホリー、オーティス・レディング、ロニー・ヴァン・ザント、スティーヴ・ゲインズ、キャシー・ゲインズ(以上レーナード・スキナード)、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ランディー・ローズ、坂本九などなど。なんとも惜しい人たちばかりです。

 

ジム・クロウチ、苦労を重ねて、人気が出てからあっという間の1年間でした。愛息エイドリアンはミュージシャンとしてA.J. Croceの名前で頑張っています。

 


Jim Croce - Bad Bad Leroy Brown


Jim Croce - Time in a bottle - 1973


Jim Croce - I Got a Name (1973)


Jim Croce - You Don't Mess Around with Jim

 

それでは今日はこの辺で。

ピート・タウンゼントに見初められた『サンダークラップ・ニューマン(Thunderclap Newman)』

たった1枚、歴史的名盤と呼ばれたアルバムを残して消えたサンダークラップ・ニューマン(Thunderclap Newman)

 

メンバーはジョン・スピーディ・キーン(John "Speedy" Keen,vo,ds)アンディ・サンダークラップ・ニューマン(Andy "Thunderclap" Newman,p)それにこの時若干15歳のジェイムス・ジミー・マカロック(James "Jimmy" McCulloch,g)です。

そもそものきっかけは、ザ・フーが3枚目のアルバム『Who Sell Out』のA面の1曲目にスピーディ・キーンの曲「Armenia City in the Sky」を取り上げたことです。この風変わりな曲を気に入ったピート・タウンゼントがスピーディー・キーンを入れたバンドを作ろうと思い、他の二人を誘い込みこのバンドが結成されました。

アンディ・ニューマンはピート・タウンゼントの友人でジャズピアニストです。

ジミー・マカロックは11歳の時に「ワン・イン・ア・ミリオン」というバンドを結成し、1967年のザ・フーのツアーでサポートを務め、ピートタウンゼントに見初められました。バンド加入の時は若干15才でした。

 

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そして1969年にこの3人によるバンド、サンダークラップ・ニューマンが結成されピート・タウンゼントのプロデュースの元、シングル「Something In The Airをリリースし、一躍全英1位を獲得する大ヒットとなり、続いて1970年にアルバム『Hollywood Dream』がリリースされました。

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Side A

1.Hollywood #1

2.The Reason

3.Open The Door, Homer

4.Look Around

5.Accidents

 

Side B

1.Wild Country

2.When I Think

3.The Old Cornmill

4.I Don't Know

5.Hollywood Dream

6.Hollywood #2

7.Something In The Air

 

なお、このアルバムジャケットは1974年のMCAからの再発盤です。

オリジナルジャケットは下記です。

これはCDですがレコードの初版ジャケットと同じです。CDにはボーナストラックが付いておりお得だと思います。

 

ピート・タウンゼントはやはりこういう音楽を好んでいたのかな、と思わせるような極上のポップアルバムに仕上がっています。ザ・フーの初期のモッズ・サウンドとかサイケデリック・サウンドとかが程よく交じり合って、ほのぼのとするようなアルバムです。スピーディー・キーンのハイトーンな歌声は好き嫌いが出そうです。

A-3はボブ・ディラン。B-5のタイトル曲はジミー・マカロック。その他は全てスピーディー・キーンの曲になっています。

 

B-7の「Something In The Air」は後に映画『いちご白書』でも使われました。またトム・ペティ―やライトニング・シーズもカバーしています。珍しいところでは、ジャズのハービー・マンが取り上げています。

 

サンダークラップ・ニューマンはこのアルバム1枚を残し解散します。もともとそんなに続けようとする意志はなかったとは思いますが。

 

アンディ―・ニューマンは1971年にソロアルバムをリリースしています。2016年73歳で亡くなりました。

 

スピーディー・キーンは1975年までに2枚のソロアルバムをリリースし、2002年に亡くなりました。57歳でした。2枚目のアルバムはアイランドからのリリースでジミー・マカロックも参加しました。

 

そのジミー・マカロックはその後、自身のバンドを結成したり、ストーン・ザ・クロウズに参加したり、多くのミュージシャンのセッションに参加します。そして1973年から1977まではポール・マッカートニーウィングスにリードギタリストとして参加します。その後も再結成したスモール・フェイセスに参加したりと活躍しましたが、1979年に薬物の過剰摂取で亡くなりました。僅か26歳でした。デビューも早かったですが退場も早かった。

 

たった1枚ですが50年近くたっても、こうしてCD化されて残っているというのは、やはりそれなりに魅力があるのでしょう。

 


Thunderclap Newman - Something In The Air


Thunderclap Newman: Open The Door, Homer


1970 THUNDERCLAP NEWMAN:LOOK AROUND

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ロビン・トロワー(Robin Trower)/魂のギター(Bridge of Sighs)』

ジミ・ヘンドリックスに憑りつかれた男、ロビン・トロワー(Robin Trower)はイギリスはロンドンに1945年に生まれました。

小さい頃からB.Bキングやオーティス・ラッシュなどのブルース・ギタリストに憧れていました。

1963年にゲイリー・ブルッカー達とパラマウンツ(The Paramounts)を結成します。しかしR&Bのバンドとしての評判は良かったもののなかなかヒット曲が生まれず1966年には解散します。

その後ゲイリー・ブルッカープロコル・ハルム(Procol Harum)を結成、いきなりシングル「青い影」が大ヒットします。しかし、アルバムレコーディン中にギタリストとドラマーが脱退。ゲイリーはパラマウンツで一緒だったロビン・トロワーを誘い、加入させました。

これがロビン・トロワーのメジャーなスタートとなりました。

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しかし、現実はロビン・トロワーが考えていたものとはちょっと違いました。トロワーはプロコル・ハルムのブルース・フィーリング溢れる演奏を望んだのですが、プロコルはどちらかというとクラシック寄りの曲を多く手掛けていました。それでも中にはハードロック色の強い曲もあり、トロワーはバンドに残りました。

そして1970年にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスと競演する機会を得ました。そこでジミ・ヘンドリックスのギタープレイを聴いて大きなショックを受けました。と同時に新たな自分の方向性を見つけたのです。

ジミ・ヘンドリックスが亡くなった後、1971年にプロコル・ハルムの第5作としてリリースされた『Broken Barricades』の中で「Song For Dreamer」ジミ・ヘンドリックスに捧げるとして発表しました。このアルバムはロビン・トロワーが前面に出たハードロックアルバムになりました。しかし、彼はバンドの進む方向性との違いを感じ、プロコル・ハルムを脱退しました。1971年でした。

 

その後、ストーン・ザ・クロウズ(Stone The Crows)のベーシスト・ヴォーカリストジェイムス・デュワー(James Dewar,b,vo)ジェスロ・タルのドラマー、クライヴ・バンカーJudeというバンドを結成しますが、短期間で解散します。

そして今度はジェイムス・デュワーとレグ・イシドア(Reg Isidore,ds)を誘いロビン・トロワー・バンドとしてスタートすることになりました。

そして1973年クリサリス・レコードからファーストアルバム『Twice Removed from Yesterday』をリリースします。

プロデュースは一足先にプロコル・ハルムを脱退したマシュー・フィッシャー(Mathew Fisher)が担当しました。 このアルバムはジミヘンの影響が随所に見られましたが、商業的には成功しませんでした。

 

翌1974年にセカンドアルバム『Bridge of Sighs』がリリースされます。

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Side A

1.Day of the Eagle

2.Bridge of Sighs

3.In This Place

4.The Fool and Me

 

Side B

1.Too Rolling Stoned

2.About to Begin

3.Lady Love

4.Little Bit of Sympathy

 

プロデュースは前作に引き続きマシュー・フィッシャーです。

 

前作ではジェイムス・デュワーの曲もしくは共作がほとんどでしたが、このアルバムではほとんどがロビン・トロワーの曲になっています。

 

A-1はアップテンポのロックンロールナンバー。

A-2はスローテンポのジミヘンを思わせるギターが炸裂。

A-3は静かな、しかし重いロックナンバー。ジェームス・デュワーの声はポール・ロジャースにちょっと似てて、こういうギターにはピッタリです。

A-4はファンキーなロックンロール。

B-1もファンキーです。

B-2は叙情的なロビン・トロワーのギターが印象的。

B-3は正統派ロック。

B-4はファンキーなロックナンバー。ここでもギターが光ります。

 

前作に比べファンキーな曲が増えたように思います。もちろん前作のジミヘンばりのギターは健在です。

このアルバムは全米でも7位のゴールドディスクに輝くヒットとなりました。

 

この後も、ロビン・トロワーはコンスタントにアルバムを出し続けています。

1981年にはジャック・ブルースとのトリオを組み、2枚のアルバムを発表しています。

また1991年にはプロコル・ハルムの再結成にも参加しました。その後もブライアン・フェリーのレコーディングやツアーにも参加。ソロアルバムも制作と精力的に活動しています。現在73歳、まだまだ元気です。


Robin Trower - Bridge of Sighs - 01 - Day Of The Eagle


Robin Trower - Bridge Of Sighs - 08 - Little Bit Of Sympathy


Robin Trower - Bridge Of Sighs - 07 - Lady Love


ROBIN TROWER - Bridge Of Sighs (1974 UK TV Appearance) ~ HIGH QUALITY HQ ~

 

それでは今日はこの辺で。