Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

幻の名盤!『ヴァシティ・バニヤン(Vashti Bunyan)/Just Another Diamond Day』

1970年、ヴァシティ・バニヤン(Vashti Bunyan)が残したたった1枚のレコードは、その後ヴァシティ・バニヤンが音楽界から姿を消したこともあって、またプレス数の少なさもあって、後に”幻の名盤”と騒がれ、30万円とも40万ともいわれるほどの値がつきました。今でも当時のレコードには相当な値がついていると思います。

それが2000年にCDとアナログ盤で再発されました。当然私も再発盤で入手したわけですが、なるほど騒がれるだけのことはあると感心しました。

 

ヴァシティ・バニヤンは1945年にイギリスのニューカッスルに生まれ、すぐにロンドンに移住しました。

18歳でニューヨークに渡り、ボブ・ディランの音楽に触れ、衝撃を受けミュージシャンになる決心をしました。

ロンドンに戻り音楽に専念し、ザ・ローリング・ストーンズのマネージャー、アンドリュー・オールダムに見いだされ、1965年にジャガー・リチャーズの共作曲Some Things Just Your Mindをレコーディングします。

その後ヴァシティはTwice as Muchの「Coldest Night of the Year」という曲のレコーディングに参加して、アンドリュー・オールダムの元を去ります。

ヴァシティはドノヴァンに会うために恋人と一緒に旅に出ます。この旅の期間中に曲作りを始めます。

旅行中にフェアポート・コンベンションやピンク・フロイドなどを手掛けたプロデューサー、ジョー・ボイドに出会います。そしてフェアポート・コンベンションのサイモン・ニコルデイブ・スワブリック、インクレダブル・ストリングバンドのロビン・ウィルソン、さらにはサンディ・デニーのストリングス・アレンジャーのロバート・カービィらと共に、旅行期間中に作った曲のレコーディングを始めました。

 

そしてフィリップスと契約しファーストソロアルバムをリリースします。それが『Just Another Diamond Day』です。

01.Diamond Day

02.Grow Worms

03.Lily Pond

04.Timothy Grub

05.Where I Like To Stand

06.Swallow Song

07.Window Over The Bay

08.Rose Hip November

09.Come Wind Come Rain

10.Hebridean Sun

11.Raibow River

12.Trawlerman's Song

13.Jog Along Bess

14.Iris's Song For Us

15.Love Song

16.I'd Like To Walk Around In Your Mind

17.Winter Is Blue

18.Iris's Song(Version 2)

 

15~18はCD用のエキストラトラックです。

 

メンバーは

クリストファー・サイクス(Christopher Sykes,p,organ)

ジョン・ジェイムス(John James.(dulcichord)

ロビン・ウィリアムスン(Robin Williams,fidle,mandolin,harp)

デイヴ・スワブリック(Dave Swarbrick,fidle,mandolin)

サイモン・ニコル(Simon Nicol,banjo)

ロバート・カービィ(Robert Kirby,string & recorder arrangement)

 

プロデュースはジョー・ボイド(Joe Boyed)です。

 

なお、ジャケットのデザインはクリストファーとジョンの手によるものです。馬車による旅の途中の風景です。

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03は「キラキラ星」です。

余分な音は全くなく、ヴァシティ・バニヤンの透き通った美しい声にマンドリンバンジョー、ピアノ、オルガン、フィドルそれにストリングスが被さってきます。これぞ素朴なブリティッシュフォークです。

 

しかしこのアルバムはほとんど注目されませんでした。失意のヴァシティは音楽界を去り、子育てに専念します。

 

1990年代の後半になり、自分の歌が評判を呼ぶようになるとヴァシティも音楽に対する意欲が湧いてきました。そしてCDが再発されたのです。

 

そして2005年に35年ぶりとなるアルバム『Lookaftering』をリリースします。

変わらぬ歌声でした。

 

さらに9年後の2014年に3枚目のアルバム『Heartleap』をリリースします。

残念ながら未購入です。情報によると、本人はこれをラストアルバムにするそうです。

もったいない話です。早く入手しないと。また廃盤になったりしたら大変です。

 

心が疲れた時にこのような音楽を聴くと本当に癒されます。私も何度癒されたことか。

 


Vashti Bunyan - Just Another Diamond Day


Vashti Bunyan - Lily Pond


Vashti Bunyan - Rose Hip November

 

それでは今日はこの辺で。

懐かしの映画 松竹編

いよいよ「懐かしの映画」も最終回です。今日は『松竹編』です。

この『松竹』は前回の『東映』よりも子供の頃の馴染みが無かったかもしれません。

松竹ヌーヴェルヴァーグ大島渚吉田喜重篠田正浩等)は高校生になってからの再上映で観たし、『寅さんシリーズ』も高校生になってからです。

それ以前に観たものを思い出していますがなかなか浮かびません。と、思っていたらようやく思い出しました。

 

『思い出の指輪』

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1968年公開、監督:斉藤耕一、出演:ヴィレッジ・シンガーズ、尾崎奈々

グループサウンズ映画です。内容はほとんど憶えていません。ただヴィレッジ・シンガーズが好きだったので観に行きました。特にこの歌は好きでした。

 

『虹の中のレモン』

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1968年公開、監督:斉藤耕一、出演:竹脇無我、尾崎奈々、V・シンガーズ

これも同じヴィレッジ・シンガーズのヒット曲の映画化。内容は憶えていません。

 

『小さなスナック』

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1968年公開、監督:斉藤耕一、出演:藤岡弘、尾崎奈々、パープル・シャドウズ

パープルシャドウズのヒット曲の映画化。ここにもヴィレッジ・シンガーズが出ていました。パープル・シャドウズは特に好きでもありませんでしたが、成り行きで観に行ったのかもしれません。

 

恋の季節

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1969年公開、監督:井上梅次、主演:ピンキーとキラーズ森田健作、奈美悦子

ピンキラの大ヒット曲の映画化。森田健作です。千葉県知事です。『おれは男だ!』で共演する早瀬久美も出ていました。ほとんど記憶がありません。この後『涙の季節』というのもあったのですが、日活でした。

 

『落ち葉とくちづけ』

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1969年公開、監督:斉藤耕一、出演:藤岡弘、尾崎奈々、V・シンガーズ

これもヴィレッジ・シンガーズです。オックスも出ていました。漫才のてんや・わんやが出ていました。これが目的だったかも。

 

『馬鹿まるだし』

関連画像

1964年公開、監督:山田洋次、主演:ハナ肇桑野みゆき

ハナ肇の『馬鹿シリーズ』第1弾。クレージーキャッツのリーダーハナ肇が松竹で主役を務めました。クレージー東宝ですから、この辺が面白いところです。クレージーからは植木等谷啓を除くメンバーが出演しています。山田洋次の3作目の作品。

ハナ肇はこの年3本の『馬鹿シリーズ』に出演します。その後も多くの松竹作品で主役を務めます。

 

このように松竹映画には子供の頃はあまり縁がなかったようです。この劇場がピンク映画館と入り口が隣り合っていたというのも原因かもしれません。ウブでしたから。

 

高校生になると大島渚吉田喜重篠田正浩の松竹時代の映画を再上映ですが夢中になって観ました。小津安二郎を観出すのはまだまだ先でした。仲代達也の『人間の条件』も観たのは社会人になってからでした。

 

以上、5回にわたって『懐かしの映画』を書いてきましたが、単なる羅列で終わりました。それでも全然足りないのですが、感想を書き出したら一つの記事では収まりませんのでやむを得ないとは思っております。やはりこの企画無理があったかもしれません。もっとも内容を覚えている映画は数少ないですが。

それでも、こうして振り返ってみると、中学生までは娯楽映画一辺倒だったのがよくわかります。これが思春期を迎え、さらに青年期になると趣向がガラッと変わっていきます。映画一つを取ってみても自分の歴史が分かって意外と面白いものでした。

 

今回は小・中学校までに観た懐かしい映画に限定して書いてきましたが、次回は高校・大学生時代の思い出の映画について書いてみたいと思います。いつのことになるやらわかりませんが。


それでは今日はこの辺で。

 

 

フランシス・レイ 逝く!

昨日、突然訃報が入ってきました。フランスの映画音楽の巨匠、フランシス・レイがとうとう86歳で逝ってしまいました。

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青春時代の思い出がいっぱい詰まった数々の映画音楽を残してくれました。このブログでも『懐かしのメロディ 映画音楽編』で何曲か取り上げました。

今日は彼の作品を振り返りながら、青春時代を懐かしんでみたいと思います。

 

まずは何といっても『男と女』でしょう。といっても、この映画はリアルタイムでは観ていません。1966年ですから、まだまだ洋画には目覚めていませんでした。ただ曲だけは知っていました。あまりにも有名ですから。クロード・ルルーシュ監督。


「男と女 Un Homme Et Une Femme」サウンドトラック、Soundtrack

 

次は『パリのめぐり逢い』でしょう。この映画もリアルタイムではありませんでした。イヴ・モンタンとキャンディスバーゲンです。『男と女』に引き続きクロード・ルルーシュ監督。


「パリのめぐり逢い Vivre pour Vivre」フランシス・レイ Francis Lai

 

次は『個人教授』です。この映画はリアルタイムだったか、再上映だったか微妙です。私もちょうど年上の女性に惹かれる年頃で、この映画は思い出深いです。ナタリー・ドロンがきれいでした。テーマ曲は「愛のレッスン」。監督はミシェル・ボワロン。


La Lecon Particuliere(個人教授)-Francis Lai

 

次はうたかたの恋です。カトリーヌ・ドヌーヴです。監督はテレンス・ヤングです。ドヌーヴは美しい。音楽がピッタリ。


Mayerling(1968) Francis Lai うたかたの恋 フランシス・レイ

 

次はグルノーブル・オリンピックの映画白い恋人たちです。大ヒットしました。監督は再びクロード・ルルーシュ


白い恋人たち/フランシス・レイ 13 Jours en France/Francis Lai

 

次は『あの愛をふたたび』です。ジャン・ポール・ベルモンドアニー・ジラルドです。クロード・ルルーシュ監督とのコンビです。切なくなるメロディーです。


あの愛をふたたび/フランシス・レイ Un homme qui me plait/Francis Lai

 

次は雨の訪問者です。ルネ・クレマンのサスペンス。チャールズ・ブロンソンの大ヒット作。マルレーヌ・ジョベールがヒロイン。「雨の訪問者のワルツ」が大ヒット。セヴリーヌが歌う「テーマ」も素晴らしい。


雨の訪問者のワルツ/フランシス・レイ La Valse Du Mariage/Francis Lai


SEVERINE 映画「雨の訪問者」 Le passager de la pluie

 

そして1970年にある愛の詩で頂点に。ラジオをかけるといつでもこの曲が流れてきました。アンディ・ウィリアムスも歌って大ヒットしました。


Love Story - Francis Lai (ある愛の詩)

 

次は『流れ者』です。これまたクロード・ルルーシュ監督。ジャン・ルイ・トランティニアン主演。洒落た映画でした。軽快な音楽です。


「流れ者」のテーマ 1970

 

以上、1970年までの映画を見てきました。これらの曲を聴いていると、あの高校生の時代の思い出が目の前に蘇ってきます。やはり音楽は素晴らしい。

 

エンニオ・モリコーネニーノ・ロータミシェル・ルグランヘンリー・マンシーニなどと共に映画音楽全盛時代を築き上げた作曲家でした。映画を観ながらどうしてこんな曲が書けるのだろうと思ったものでした。

 

名曲を有難うございました。心よりご冥福をお祈りします。合掌。

 

『懐かしの映画』第5弾は明日お届けします。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

懐かしの映画 東映編

「懐かしの映画」も4回目になりました。今日の「懐かしの映画」は『東映編』です。

東映と言えばヤクザ映画ですが、それ以前は時代劇の東映でした。いわゆるチャンバラ映画です。

当時の東映のスターと言えば東千代之助、大川橋蔵片岡千恵蔵などなど時代劇俳優でした。山城新吾の『風小僧』白馬童子はテレビで観たとおもいます。テレビでは素浪人 月影兵庫銭形平次など時代劇三昧でした。テレビでも東映の俳優が活躍していました。

ですから映画館では時代劇はほとんど観た記憶はありません。ただ親には連れていかれていたはずです。中村錦之助(後の萬屋)の森の石松は良かった、などと母親が言っているのを聞くと、まあ見ていたのでしょう。でも記憶はほとんどありません。東映の劇場映画で最も古い記憶は、おそらく月光仮面シリーズ』です。

その中でも憶えているのは1959年の月光仮面 怪獣コング』です。

「月光仮面 怪獣コング」の画像検索結果

これはテレビドラマでは『マンモスコングの巻』だったのですが、なぜか「怪獣コング」になっていました。主演はテレビの大瀬康一ではなく大村文武でした。内容は全く憶えていません。その後テレビの再放送で観ましたが、内容は全然違うようです。ラストシーンで挿入歌の「月よりの使者」が流れたのをかすかに憶えています。

 

次に記憶があるのが、1960年の三国連太郎主演の『多いなる旅路』です。憶えていると言っても、汽車が脱線するシーンと電報を受け取って泣くシーンぐらいしか憶えてはいませんが。

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1964年に『東映まんがまつり』の前身にあたる東映まんが大行進』というものが始まりました。確かその1回目だったと思いますが、従姉に連れて行ってもらった記憶があります。

「東映まんが大行進」の画像検索結果

 

その内の1本がエイトマン ロボット007 光線銃レーザー』でした。

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エイトマン』は原作:平井和正、画:桑田次郎で『少年マガジンで』連載され。TBSテレビでも放映されていました。凶悪犯によって殺された刑事が谷博士によって電子頭脳をもったロボットに生まれ変わり、8番目の刑事として活躍する物語です。普段は背広姿の探偵で、難事件が起こると田中課長から呼び出しがかかり出動します。弾よりも速く走れ、透視力のある眼を持ちます。エネルギー源は原子力です。そのためタバコ型の冷却剤を服用しなければならず、できないと生命にかかわります。主題歌は克己しげるでした。この人は殺人を犯し逮捕されました。衝撃でした。

 

同時上映が鉄人28号ラクル魔術団 海底基地』でした。

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『鉄人28号』は横山光輝の原作漫画。月刊誌『少年』で連載。フジテレビで放映。

実写版の『鉄人28号』をうっすらと憶えています。アニメになってからはずっと観ていました。リモコンを使って鉄人を操縦士悪と戦う正太郎少年。このロボットを開発したのが敷島博士。子供の頃には気がつきませんでしたが、太平洋戦争が色濃く反映された漫画でした。元々が戦争のために開発されたロボットだったのです。これを悪のために利用させないために、博士や少年が活躍します。

 

も一つの同時上映が狼少年ケン サーカスから来た仲間』です。

「狼少年ケン」の画像検索結果

これは当時のNET(現テレビ朝日)のテレビアニメです。

アフリカのジャングルで狼に育てられた少年が双子の狼の子供、チッチとポッポ、片眼のジャックなどとジャングルの平和を守るために活躍するドラマです。主題歌が覚えやすく流行りました。後から知ったのですが作曲は小林亜星でした。

 

あと東映で憶えているのはやっぱりヤクザ映画でしょうか。ただし、これは高校生になってからだったような気がしています。

高倉健の『網走番外地シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』や藤純子の『緋牡丹博徒シリーズ』などは高校生・大学生になってから夢中で観たと思います。鶴田浩二をはじめ菅原文太若山富三郎などヤクザスターが目白押しでした。

仁義なき戦いシリーズ』は1970年代ですので対象外です。

f:id:lynyrdburitto:20180920132208p:plain 「昭和残侠伝」の画像検索結果 「緋牡丹博徒」の画像検索結果

 

こうしてみると東映は子供時代はあまり縁が無かったのかもしれません。学生時代はもっぱらオールナイトでお世話になりました。オールナイトでの「ヨッ!、ケンさんっ‼‼」、懐かしい。

 

それでは今日はこの辺で。

 

懐かしの映画 大映編

懐かしの映画、今日は『大映編』です。大映と言えば、子供にとっては『ガメラ』と『大魔神』ですね。それから勝新太郎のシリーズものです。

 

『大怪獣ガメラ

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1965年公開、監督:湯浅憲明、主演:船越英二、姿三千子

ガメラシリーズの第1作。白黒映画だったと思います。その白黒が逆に効果的にガメラの不気味さを表していました。空を飛ぶし、火は吹くし、甲羅は固いし、これはゴジラと戦ったらどちらが強いだろうなどど真剣に考えました。

 

大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン

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1966年公開、監督:田中重雄、本郷功次郎江波杏子

バルゴンは背中から光線を放つし、口からは冷凍液を吐く、強敵です。ガメラは早くも正義の味方、ヒーローになりました。

 

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

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1967年公開、監督:湯浅憲明、主演:本郷功次郎

ギャオスはコウモリのお化けです。超音波を出します。正義の味方ガメラがギャオスと対決します。もちろん勝ちます。

 

大魔神

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1966年公開、監督:安田公義、主演:高田美和

珍しい時代劇の怪獣映画です。多分『ガメラシリーズ』と同時上映だったと思います。山の武神像を代々崇めてきた村人と、それを排除しようとする役人たち。役人は武神像に鏨を打ち込みます。するとそこから血が流れだします。普段は埴輪のような穏やかな顔をした武神の形相が変わり動き出します。悪代官たちを退治した後は再び穏やかな顔に戻ります。勧善懲悪の代表的作品。大魔神は人気者になりました。

 

大魔神怒る』

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1966年公開、監督:三隈研次、主演:本郷功次郎藤村志保

今度の武神は水の中から現れます。湖の中の島に奉られた武神像を攻め込んできた武将が爆破してしまいます。しかし武神は不滅です。湖の中から現れ、武将たちを退治します。

 

大魔神逆襲』

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1966年公開、監督:森一生、主演:二宮秀樹

この年3本目の『大魔神』です。凄いペースです。この頃のシリーズ物は平気で年に2本ぐらいは上映していました。3本というのはさすがに凄い。しかし、この3本でおしまいです。あっけない終わりでした。

 

座頭市シリーズ』

子母澤寛原作、勝新太郎の代表作。このシリーズは『大魔神シリーズ』よりもっと凄いペースでした。年間3本はざらで、時には4本なんていう年もありました。私が最初に観たのはおそらく1965年あたりだったと思います。何かとの同時上映だと思います。タイトルは憶えていません。その後も何本か観ました。とにかく数が多いので中身とタイトルが一致しません。全部で26作品です。全盲の按摩さんがとてつもない剣の達人です。この太刀捌きが凄く、惚れ惚れします。

「映画 座頭市シリーズ」の画像検索結果

 

 

『悪名シリーズ』

今東光原作、勝新太郎田宮二郎のコンビ。河内の極道、八尾の朝吉が主人公。田宮二郎大映を去るまでに14作品。その後は2作上映するも、1974年シリーズ終了。このシリーズも年間3~4本上映していました。勝新太郎は寝る暇があったのでしょうか。このコンビは好きでした。

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兵隊やくざシリーズ』

勝新太郎、田村 高廣のコンビ。戦争物です。無学のやくざ者とインテリ上等兵の活躍。このシリーズも面白かった。このシリーズは1965年のスタートで、前の二つのシリーズと比べると遅いです。よって1971年の大映の倒産までに9本しかありませんでした。しかも9本目は大映倒産後だったため、勝プロが制作し東宝配給になりました。

「映画 兵隊やくざシリーズ」の画像検索結果

 

大映はあまり子供向けの映画は少なかったように思います。怪獣映画も東宝に触発されて制作しましたが、やはり本家には敵いませんでした。どちらかというと文学作品が多かったように記憶しています。大映のスターと言えば市川雷蔵でしょうか。眠狂四郎シリーズ』『陸軍中野学校シリーズ』などがありました。赤胴鈴之助シリーズ』は古すぎて観ていません。

 

 

それでは今日はこの辺で。

懐かしの映画 東宝編

懐かしの映画、第2弾は『東宝編』でいきます。

子供にとっては何といっても東宝です。それは『怪獣映画』です。それに『クレージーキャッツ』『若大将』ときます。子供にとってはたまらないラインアップでした。

 

まずは怪獣映画から。数が多いので厳選して。

 

モスラ

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1961年公開、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:フランキー堺ザ・ピーナッツ

インファント島に住むモスラザ・ピーナッツが双子の小人役で出演。人間の欲で連れ去られた双子の小人が歌を歌うことによってインファント島の守護神モスラを呼び出し助けを求めます。モスラの幼虫が東京に姿を現し、東京タワーに繭を作ります。そして成虫に。無事小人を取り返し、島に帰っていきます。モスラのファンになりました。公開年次を見ると、ひょっとして再上映で観たのかもしれません。「モスラや、モスラ~」

 

キングコング対ゴジラ

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1962年公開、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:高島忠夫

私が最初に観たゴジラ映画です。小学校も低学年で近所のお姉さんに連れて行ってもらったと記憶しています。「ゴジラシリーズ」の3作目です。それ以前のゴジラシリーズは後追いで観ました。とにかく怖かった。映画を観終わった後もしばらく屋根の上や学校の校舎の上からゴジラが顔を出すのではないかとビクビクしていました。衝撃の映画でした。

 

モスラ対ゴジラ

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1964年公開、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:宝田明、星由里子

ゴジラシリーズ4作目、モスラシリーズ2作目。嵐によってモスラの卵がインファント島から流れ出し日本に漂着します。地底に埋まっていたゴジラが目を覚まし、卵を狙います。憎きゴジラに正義の味方モスラが立ちはだかります。モスラは最後の武器で戦いますが、寿命が尽きます。しかし、卵から産まれた双子の幼虫が頑張り、ゴジラを繭だらけにして海の中へ。ザ・ピーナツの歌がいいんです。頑張れモスラ!でした。

 

三大怪獣 地球最大の決戦

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1964年公開、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:夏木陽介、星由里子

ゴジラ5作目、モスラ3作目、ラドン2作目。ラドンの1作目『空の大怪獣 ラドン』は再上映で観ました。宇宙怪獣キングギドラ初登場です。これが強い。ゴジラモスララドンが力を合わせて戦います。モスラの双子の幼虫の内、1匹が死んでしまったことが明らかになります。モスラの説得でゴジララドンが打倒キングギドラに協力します。ゴジラが悪役から善玉に変わった瞬間です。

 

フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン

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1965年公開、日米合作、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:高島忠夫水野久美

戦時中にフランケンシュタイン博士が開発した心臓で巨大化した少年フランケンシュタインが日本中を荒らす地底怪獣バラゴンと対決。対決には勝ちますが、バラゴンを持ち上げたところで地割れが起こり怪獣と共に地割れの中に沈みます。これが当時の公開されたラストシーンなのですが、後にこの後大ダコが出現して戦うというバージョンがあることが判明しました。テレビでの放映もこちらを流しているようです。私はそれは見ていません。少年が次第に大きくなっていってしまう過程が痛々しい。

 

怪獣大戦争

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1965年公開、日米合作、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:宝田明水野久美

X星人に操られるキングギドラゴジララドンが挑みます。ゴジラ6回目、ラドン3回目、キングギドラ2回目の登場です。これは地球人対X星人でもあります。水野久美の宇宙人がきれいでした。

 

フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ

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1966年公開、日米合作、監督:本多猪四郎円谷英二 主演:佐原健二水野久美

海のフランケンシュタイン、ガイラと山のフランケンシュタイン、サンダとの戦い。前作の『フランケンシュタイン』とは別物として観たほうがいい。サンダはおとなしく優等生、ガイラは暴れん坊。サンダがガイラを諫めますが言うことを聞かず戦いに。両方とも火山の噴火に巻き込まれ海に沈みます。

 

ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』

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1966年公開、監督:福田純円谷英二 主演:宝田明水野久美

エビの怪獣エビラとゴジラの戦いにモスラが参戦。モスラは成虫になっています。ただし双子の小人役はザ・ピーナッツではなくなっています。がっかり。

 

この後も怪獣映画は続きますが、さすがに以前ほどの熱中ぶりは無くなりました。

 

続いては「クレージーキャッツ」の映画です。

クレージーキャッツは本当に面白かった。テレビでも愉快でしたが、映画も面白かったです。随分観ましたが内容はあまり覚えていません。多すぎてタイトルとも合致しません。

『無責任シリーズ』『日本一シリーズ』『作戦シリーズ』『時代劇シリーズ』があります。

『無責任シリーズ』は後追い観です。

『日本一シリーズ』はクレージーキャッツではなく植木等が主役です。メンバーが脇役で出演します。何本か観ました。

『作戦シリーズ』はクレージーキャッツの名前です。

 

日本一のホラ吹き男

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1964年公開、監督:古澤憲吾、主演:植木等浜美枝

『日本一シリーズ』2作目。マドンナは団令子から浜美枝へ。サラリーマンの出世物。

 

日本一のゴマすり男

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1965年公開、監督:古澤憲吾、主演:植木等浜美枝

『日本一シリーズ』第3作。ハナ肇谷啓は出ていません。

 

『大冒険』

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1965年公開、監督:古澤憲吾、主演:ハナ肇とクレージーキャッツ

『作戦シリーズ』5作目。抱腹絶倒、笑いが止まりませんでした。

 

『クレージーだよ奇想天外』

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1966年公開、監督:坪島孝、主演:ハナ肇とクレージーキャッツ

珍しく谷啓が主役。星由里子がマドンナ役でした。

 

『クレージーの無責任清水港』

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1966年公開、監督:坪島孝、主演:ハナ肇とクレージーキャッツ

『時代劇シリーズ』の3作目。谷啓森の石松ハナ肇清水の次郎長植木等が追分の三五郎。マドンナは浜美枝

 

続いては『若大将』シリーズです。

加山雄三の人気は凄かった。日本のシンガー・ソングライターの奔りだったのではないでしょうか。ベンチャーズ人気と共にエレキブームがやってきて、加山雄三も一気にブームに乗りました。楽曲の斬新さは群を抜いていました。出る曲、出る曲素晴らしかった。そんな加山雄三は映画俳優でもありました。黒澤作品にも出演していました。それでも何といっても『若大将』シリーズです。

 

『海の若大将』

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1965年公開、監督:古澤憲吾、共演:星由里子、田中邦衛

若大将シリーズ』5作目。このシリーズでは各回ごとに所属運動部が変わります。この映画では水泳部です。マドンナは澄ちゃんこと星由里子、青大将が田中邦衛。競技大会は最後には必ず勝つ!

 

『エレキの若大将』

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1965年公開、監督:岩内克己、共演:星由里子、田中邦衛

シリーズ6作目。今回はアメリカンフットボール部。寺内タケシ蕎麦屋の小僧で共演。「君といつまでも」「夜空の星」を歌います。内容はいつもの通り、澄ちゃんとの恋。青大将が邪魔に入る。試合は勝つ。

 

『アルプスの若大将』

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1966年公開、監督:古澤憲吾、共演:星由里子、田中邦衛

今回は得意のスキー部です。挿入歌は「君といつまでも」、「蒼い星くず」、「夕陽は赤く」その他です。ヨーロッパロケでした。絶頂期でした。

 

『レッツゴー若大将』

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1967年公開、監督:岩内克己、共演:星由里子、田中邦衛

今度はサッカー部です。大学はいつもの京南大学。香港、マカオでのロケ。挿入歌は「まだ見ぬ恋人」「夜空を仰いで」「旅人よ」など、名曲揃いです。

 

この後も若大将シリーズは続きます。1967年の『リオの若大将』までが学生時代です。その後はマドンナも酒井和歌子に代わり、社会人の若大将になります。1971年までに17作を数えました。1981年に『帰ってきた若大将』が上映されました。

 

 

千曲川絶唱

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1967年公開、監督:豊田四郎、主演:北大路欣也、星由里子、田中邦衛

絶唱シリーズ』第一弾。白血病の青年と看護婦の悲恋物語。青年はビキニ環礁被爆していたのでした。ラストシーンが忘れられません。星由里子がきれいでした。

 

四谷怪談

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1965年公開、監督:豊田四郎、主演:仲代達也、岡田茉莉子

初めて観た怪談映画でした。とにかく怖かった。顔を指でふさいで、指の間から見ているという感じでした。それなのに、その後も怪談映画を好んで観ていました。

 

『駅前シリーズ』

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森繁久彌伴淳三郎の『駅前シリーズ』も何本か観ましたが、タイトルは憶えていません。

 

『社長シリーズ』

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森繁久彌小林桂樹の『社長シリーズ』も何本か観ましたが、タイトルは憶えていません。森繁の演技に感心していました。

 

その他東宝ドリフターズコント55号グループサウンズザ・タイガースまで子供たちに人気のタレントが出演する映画が多く、映画会社5社の中では特に観客がおおかったのではないでしょうか。

もっともっと色々あったのですが、怪獣映画で一杯になってしまいました。この辺にしておきます。

黒澤映画は高校生になってからだったと思います。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

懐かしの映画 日活編

小学校、中学校の頃に観た懐かしい映画を思い出してみたいと思います。

昭和30年代から40年代前半に掛けてに観た映画です。昭和20年代から40年代は日本映画の全盛期でしょう。

当時、私の住んでいた田舎町には東宝、日活、大映東映、松竹の各映画館、洋画専門館が3館、成人映画専門館が1館、それに再上映専門館が1館の合計10館ありました。田舎町でもこれだけの映画館があったのですから今では考えられませんね。そのうちに、1館、また1館と閉館していきました。完全にテレビ時代に突入し、映画人口の減少の影響で映画館も閉館せざるを得なくなってきたのです。

小学校低学年の頃はさすがに親同伴でしたが、小学校の高学年にもなると一人または友人と行っていました。

一人で行くとなると小遣いの範囲内で行かざるを得ないので、当然、主に入場料が安い再上映館が多かったと思います。三本立てで確か10円位だったと思います。封切り映画を観る時は親にねだっていたと思います。

いい時代でした。

今回取り上げるのはあくまでも中学校までに観た映画です。高校生になると本数が激増して、趣向も変わってきて書ききれませんので。

 

リアルタイムで観たのか、再上映なのかは不明です。

それでは各映画会社ごとに思い出してみましょう。

 

【日活編】

まずは何といっても大好きな、憧れの的、吉永小百合ちゃんの映画から。小百合ちゃんの映画はほとんど観ているはずです。選びきれないので少しだけにします。

愛と死をみつめて

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1964年公開。監督 斉藤武市、共演 浜田光夫

泣けました。大島みち子(ミコ)さんのベストセラーの映画化。実話です。顔に軟骨肉腫ができる病気との戦い。河野実(マコ)との純愛物語。顔の半分を削り取るなんてどうしても考えられませんでした。みち子さんの日記も夢中で読みました。実さんがその後結婚した時には複雑でした。

 

キューポラのある街

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1962年の作品。たぶんもっと後に再上映で観たはずです。

監督:浦山桐郎、脚本:浦山・今村昌平、共演:浜田光夫

キューポラとは鉄の溶解炉。鋳物の町、川口が舞台。貧困・人種差別問題を扱った映画

まだ16か17歳の頃の吉永小百合、かわいかった。

 

四つの恋の物語

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1965年公開。監督:西河克己、共演:芦川いずみ、十朱幸代、和泉雅子

四姉妹の物語。豪華絢爛のキャストです。和泉雅子がきれいだった。

 

愛と死の記録

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1966年公開。監督:蔵原惟繕、共演:渡哲也

原爆症の青年とそれを見守る女性の悲恋。当初は浜田光夫が共演するはずでしたが、浜田光夫の怪我で急遽ピンチヒッターで渡哲也に代わったと記憶しています。

 

『斜陽の面影』

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1967年公開、監督:斎藤光正、共演:新珠三千代
太宰治の愛人との間の娘、太田治子の原作。この頃の小百合ちゃんはすっかり大人びてきました。

 

あゝひめゆりの塔

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1968年公開、監督:舛田利雄、共演:和泉雅子

沖縄戦を描いた映画です。日活スターが多く出演しました。

この翌年に吉永小百合は日活を退社します。

 

他にもいっぱいあるのですが、きりが無いので止めておきます。

 

次は当然石原裕次郎でしょう。彼の映画もほとんど観ていますが、日活時代に限ると、意外とリアルタイムで観たのは少ないです。日活時代の有名作品はほとんど1950年代から60年代初頭ですから致し方ありません。その後の再々上映などで観たものが多かったと思います。

 

『赤いハンカチ』

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1964年公開、監督:舛田利雄、共演:浅丘ルリ子二谷英明

日活ムード・アクションの傑作。ギターをポロンと鳴らし歌う「赤いハンカチ」は最高でした。「アカシアの花の下で~」

 

『夕陽の丘』

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1964年公開、監督:松尾昭典、共演:浅丘ルリ子

浅丘ルリ子が二役でした。ラストの夕陽の海岸を歩いて遠ざかる裕次郎がカッコよかった。歌もよかった。「夕陽の丘の麓ゆく~」

 

『二人の世界』

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1966年公開、監督:松尾昭典、共演:浅丘ルリ子二谷英明

『赤いハンカチ』と同じメンバー。歌が良かった。この歌で裕次郎ファンになりました。「君の横顔、素敵だね~」

 

『夜霧よ今夜も有難う』

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1967年公開、監督:江崎実生、共演:浅丘ルリ子二谷英明

この映画だったと思いますが、挿入歌の「こぼれ花」が良かった。もしかして『二人の世界』の方だったかも。「赤い野バラがただひとつ、荒れ野の隅に咲いている~」

 

『銀座の恋の物語』

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1962年公開、監督:蔵原惟繕、共演:浅丘ルリ子ジェリー藤尾

これは完全に再々上映あたりでしょう。アクション以外の裕次郎もいいです。和泉雅子がちょい役で出ていました。「東京で一つ、銀座で一つ」ってか。

 

『赤い谷間の決闘』

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1965年公開、監督:舛田利雄、共演:渡哲也

渡哲也との共演をこの映画で初めて観た記憶があります。

 

裕ちゃんは文芸作品にもたくさん出演していました。とにかく数が多すぎます。

 

ここまで小百合ちゃんと裕ちゃんだけでこんなに長くなってしまいました。しかも絞りに絞ってのことです。この先どうなるのでしょう。一人一記事にしたほうが良かったのかもしれません。失敗だったかも。でもやり直すのも大変なのでとりあえず先に進みます。

 

石原裕次郎の歌謡映画を除く歌謡映画です。

 

「北国の街」

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1965年公開、監督:柳瀬観、主演:舟木一夫和泉雅子山内賢

舟木一夫最後の学園ものではなかったでしょうか。歌が良かった。和泉雅子との共演は2本目だったと思います。「名残が燃える、心が残る~」

 

『高原のお嬢さん』

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1965年公開、監督:柳瀬観、主演:舟木一夫和泉雅子山内賢

前作と同じ監督・キャスト。大体において舟木一夫和泉雅子は結ばれません。「リーフ、リーフ」ってなんのこっちゃと思っていました。

 

『哀愁の夜』

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1966年公開、監督:西河克己、主演:舟木一夫和泉雅子

これも二人は結ばれません。和泉雅子はかわいかったな。「なんて素敵な夜だろう~」

 

絶唱

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1966年公開、監督:西河克己、主演:舟木一夫和泉雅子

何度も映画化された悲恋もの。小林旭浅丘ルリ子山口百恵三浦友和

歌が大ヒット。「何故死んだ、ああ小雪」だ。西城八十作詞。

 

『夕笛』

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1967年公開、監督:西河克己、主演:舟木一夫松原智恵子

松原智恵子との悲恋物。前作に引き続き昭和初期シリーズです。これも曲がヒット。「故郷の青い月夜に、流れ来る、笛の音聴いて~」これも西城八十でした。

 

『涙になりたい』

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1966年公開、監督:森永健次郎、主演:西郷輝彦松原智恵子

西郷・松原コンビ。西郷輝彦の同名のヒット曲を映画化。「涙になりたい僕~」涙にはなれません。

 

『星のフラメンコ』
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1966年公開、監督:森永健次郎、主演:西郷輝彦松原智恵子

前作と同じコンビ。西郷輝彦の最大のヒット曲。舟木は和泉雅子、西郷は松原智恵子とのコンビが多かった。「好きなんだけど、チャチャチャ~」

 

『二人の銀座』

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1967年公開、監督:鍛冶昇、主演:山内賢和泉雅子

ベンチャーズナンバーで二人のデュエットでヒット。映画化。「待ち合わせて歩く銀座~」。山内賢は亡くなってしまいました。

 

この当時の日活は何といっても裕次郎小林旭たちのアクションものと吉永小百合和泉雅子松原智恵子らの清純女優たちの青春ものです。グループサウンズものもありましたね。ザ・スパイダースだったと思います。

小・中学生ではちょっと無理があったかもしれませんが、何故か観に行っていました。

 

この後、日活は経営不振に陥り、同じく経営難にあえぐ大映と提携するも難局は乗り切れず、ついに『八月の濡れた砂』をもって映画製作を打ち切り、ポルノ映画へと舵を切ります。

テレビ時代に入って映画の衰退ぶりが目立ってきました。

 

これで取り上げた映画も20本です。もうあとからあとから思い出され困りました。きりがないのでこの辺でお終いにします。

次回はどこの映画会社にしましょうか。どこでもいいって? そうですよね。

 

それでは今日はこの辺で。