Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『ポーセット・ダート・バンド(Pousette-Dart Band)/3』

ポーセット・ダート・バンド(Pousette-Dart Band、以下PDB)アメリカのフォークロック・バンドです。

1973年の結成で、ジョン・ポーセット・ダート(Jon Pousette-Dart,g,vo)ジョン・トロイ(John Troy,b,vo)ジョン・カーティス(John Curtis,g,mandolin,vo)で結成されました。

 

1976年にキャピトルレコードからファーストアルバムがリリースされます。『Pousette-Dart Band』です。

「Pousette-Dart Band」の画像検索結果

ここにはキーボードでデヴィッド・ブリッグス(David Briggs,key)が参加しています。プロデュースはノバート・プットナム(Norbert Putnum)です。

翌年にはセカンドアルバムAmnesiaがリリースされます。

「Pousette-Dart Band」の画像検索結果

ここではノバート・プットナムがベース、キーボード、シンセサイザーそれにプロデュースと大活躍です。キーボードでマイク・アトレイ(Mike Atrey,key)も参加しています。

 

そして1978年、サードアルバム『3』がリリースされます。

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Side A

1.Next To You

2.Stand By Me

3.Love Is My Belief

4.I Stayed Away Too Long

5.Where Are You Going

 

Side B

1.Luisiana

2.Too Blue To Be True

3.Mr.Saturday Night

4.Lord's Song

 

プロデュースがハンク・メドレス(Hank Medress)デイヴ・アペル(Dave Appell)に代わりました。

ドラムはアルバム毎に代わりますが、今回はマイケル・デウ(Michael Dawe,ds)でした。

A-2はベン・E・キングの大ヒット曲です。いかにもフォークロックらしく爽やかに歌っています。

A-5のアコースティカルな曲などは西海岸の風を浴びているようです。

 

この後、PDBは1979年に4枚目のスタジオアルバム『Never Enough』を発表します。

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ノバート・プットナムがプロデュースで復帰します。キーボードでポール・ハリス(Paul Harris,key)の参加がありました。ここに収録の「For Love」ビルボードの83位を記録しました。

しかし、1980年頃にはPDBは解散します。

その後、ジョン・トロイはオーリャンズのジョン・ホールのソロアルバムに参加します。

ジョン・ポーセット・ダートは1998年にソロアルバムをリリースします。ここには旧友のジョン・トロイやマイケル・デウも参加しています。その後も何枚かのソロアルバムを出して頑張っています。

 

日本ではほとんど知られていないPDBでした。ほんの短い期間でしたが良質のフォークロックを届けてくれました。

 


Pousette-Dart Band / Stand By Me


Pousette Dart Band - Love is my belief

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ローワン・ブラザース(Rowan Brothers)/ Rowan Brothers』

ローワン・ブラザース(Rowan Brothers)はクリスとロリンの兄弟が1970年代 の初め頃にサンフランシスコでデュオとして活動を始めたのがスタートでした。その頃グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアに認められ、デッドのライブに出演させてもらいデビューしました。

1972年にコロンビア・レコードと契約を結び、ファーストアルバムをリリースしました。それが『Rowan Brothers』です。

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Side A

1.Hickory Day

2.All Together

3.The Best You Can

4.One More Time

5.Lay Me Down

6.The Wizard

 

Side B

1.Mama Dont You Cry

2.Gold

3.Love Will Conquer

4.Lady Of Laughter

5.Move On Down

6.Singin Song

 

パーソナルは

クリストファー・ローワン(Christpher Rowan,vo,g,p)

ロリン・ローワン(Lorin Rowan,vo,g,mandolin)

デヴィッド・グリスマン(David Grisman,mandolin,key)

ビル・ウルフ(Bill Wolf,b,moog)

ジョン・ダグラス(John Douglas,ds)

 

アディショナル・ミュージシャンは

ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia,pedal steel)

ビル・クラウツマン(Bill Kreutzmann,ds)

ジム・ケルトナー(Jim Keltner,ds)

ディック・フェンナー(Dick Fenner,cello)

ジャック・ボーナス(Jack Bonus,flute,sax)

べヴァリ―・ベローズ(Beverly Bellows,harp)

バディ・エモンズ(Buddy Emooons,pedal steel)

リチャード・グリーン(Richard Green,violin)

 

プロデュースはデヴィッド・グリスマンビル・ウルフです。

 

何といっても、ジェリー・ガルシアとビル・クラウツマンというグレイトフル・デッドのメンバーの参加が目につきます。

それとアルバムクレジットではデヴィッド・ダイアデム(David Diadem)と名乗っていますが、プロデュースとマンドリンでデヴィッド・グリスマンが加入していることです。

 

さわやかカントリーロックの極致です。グレイトフル・デッドがカントリーロックに傾倒していた時期で、このようなバンドを応援していたのでしょう。自身もニュー・ライダース・パープル・セイジというバンドを作っていましたから。

 

このローワン・ブラザースはあの映画『フィルモア:最后のコンサート』のリハーサル風景の部分で出演していました。それがきっかけでこのレコードを買ったようなものです。

 

このアルバムの後、コロンビアレコードの恩人であるクライヴ・デイヴィスが会社を辞めたため、彼らはコロンビアを離れアサイラムと契約しました。その折に、もう一人の兄弟であるピーター・ローワン(Pete Rown,vo,g,mandolin)が加わって、バンド名もローワンズ(The Rowans)と変更しました。 ローワンズはその後3枚のアルバムをリリースし、再びピーターが抜け、クリスとロリンはデュオで活動することになりました。その後もピーターが入ったり出たりして活動を続けているようです。

ピーター・ローワンはデヴィッド・グリスマンらとクラレンス・ホワイトのミュール・スキナーにも参加していました。その後はジェリー・ガルシアやデヴィッド・グリスマンらと共にOld & In the Wayというバンドを結成しました。

ローワンズ以外にもソロ活動や多くのコラボレーションをこなしています。

 


Rowan brothers - Mama Don't You Cry


"Hickory Day" restored version The Rowan Brothers

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『オージー・メイヤーズ(Augie Meyers)/ You Ain't Rollin' Your Roll Rite』

ダグ・サム(Doug Sahm)の盟友、オージー・メイヤーズ(Augie Meyers)です。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

1940年、テキサス州サンアントニオ生まれのオージーは、祖父母に育てられピアノを習わされました。1950年代には地元のバンドに加わり、ダグ・サムと知り合いました。

1960年代の初めに2人はサー・ダグラス・クインテット(The Sir Douglas Quintet)を結成しました。

そして4枚ほどアルバムをリリースしました。このバンドは1973年には解散しますが、その後もオージーはダグ・サムと共にダグ・サム&バンド、テキサス・トーネイドスなどで行動を共にします。

そんな中、1971年にファーストアルバムがリリースされます。『Augie's Western Head Music Co.』です。

Augie's Western Head Music Co. (Vinyl, LP, Album) album cover

 

そして翌年リリースされたのが『You Ain't Rollin' Your Roll Rite』でした。

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Side A

1.Sugar Blu

2.Five Cent Bag

3.Rosetta

4.California Blues

5.You Ain't Rollin' Your Roll Rite

 

Side B

1.Down In Mexico

2.She Belongs To Me

3.Fly With Me

4.Heartaches By The Number

5.Lover Boy

6.Wheatcheck Waltz

 

参加メンバーは

オージー・メイヤーズ(Augie Meyers,vo,key)

デヴィッド・ゼンター(David Zenter,steel g)

ジャック・バーバー(Jack Barbar,b)

ジミー・ニューハウス(Jimmy Newhouse,ds)

クレイ・メイヤーズ(Clay Meyers,ds) 息子

キャロル・メイヤーズ(Carol Meyers,vo)

マイク・オダウド(Mike O'Dowd,sax)

 

プロデュースはセルフです。

 

ダグ・サムと同じようにテックス・メックスです。ヴォーカルも演奏もほのぼのとしていて安心して聴いていられます。オージーのヴォーカルはひょっとしてダグ・サムより聴きやすいのではないかと思います。まさにこれぞアメリカ南部のクラシカル・ミュージックという感じでしょうか。

B-2はボブ・ディランです。実はファーストでもボブ・ディランを取り上げており、この辺からボブ・ディランへの傾倒が見られ、後にはレコーディングにも参加するようになるのです。

 

ダグ・サムとのテキサス・トーネイドスはダグ・サムが無くなる1999年まで続けられました。

 


Augie Meyers – She Belongs To Me ( 1973, Country Rock, USA )


AUGIE MEYERS 'You ain't rollin' your roll rite'.avi

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

レーナード・スキナードの魂は? 『ロッシントン・コリンズ・バンド(Rossington Collins Band)』

1977年、レーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)はヴォーカリストロニー・ヴァン・ザントとギタリストのティーヴ・ゲインズ、そして彼の姉でバッキングヴォーカルのキャシー・ゲインズを飛行機事故で失い、悲しみの中、解散しました。

中野サンプラザでの来日公演時の残像がいまだ消えていない10月のことでした。

 

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

それから3年後の1980年、ようやくレーナードの魂は動き出しました。残されたメンバーのアレン、ゲイリー、ビリー、レオンの4人が新たに3人を加え、バンドを結成しました。

ゲイリー・ロッシントン(Gary Rossington,g)

アレン・コリンズ(Alen Collins,g)

ビリー・パウエル(Billy Powell,key)

レオン・ウィルクソン(Leon Wilkeson,b)

バリー・ハーウッド(Barry Harwood,g,vo)

デレク・ヘス(Derek Hess,ds)

デイル・クランツ(Dale Krantz,vo)

以上のメンバーで再出発となりました。

 

バリー・ハーウッドはゲイリーとアレンとともにトリプル・ギターの一翼を担います。メラニーやロボなどのバックを務め、レーナードのアルバムにもセッションマンとして参加していました。

デレク・ヘスもバリーと同じバンドでドラムを叩いていたメンバーです。

そして紅一点、ヴォーカリストのデイル・クランツはレオン・ラッセルやロニー・ヴァン・ザントの弟、ドニー・ヴァン・ザントが結成したバンドで、レーナード・スキナードの弟分的なバンドといわれた『38スペシャル』のバック・ヴォーカルを務めていました。ゲイリーとアレンに口説かれバンド入りしました。

 

こうしてロッシントン・コリンズ・バンドが結成され、ファーストアルバム『Anytime,Anyplace Anywhere』がリリースされます。

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「レーナードが帰ってきた!」という謳い文句とともに、レコードは売れました。

オールマン・ブラザースやレーナード・スキナードの解散で落ち込み気味だったサザンロックが息を吹き返したようでした。

バックの演奏陣はトリプル・ギターでレーナード・スキナードを彷彿とさせ、しかし紅一点ヴォーカリスト、デイル・クランツのジャニス・ジョプリンばりのヴォーカルは新たな息吹を与えました。彼女は全9曲中8曲で曲作りに参加しました。後にゲイリー・ロッシントンと結婚します。

 

勢いに乗ったバンドは翌年セカンドアルバム『This Is The Way』を発表します。

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前作はビルボードの13位を記録し、ゴールドディスクを獲得しました。

今作もビルボードで24位と好成績を上げました。

「これが我が道」と言わんばかりに、ジャケットもドアから一直線に道が続いています。

このアルバムは前作がどうしてもレーナード・スキナードの影を追いかけているように捉えられてしまうところがありましたが、今作はロッシントン・コリンズ・バンドとして、レーナードの呪縛から解放されたようなサウンドになっています。デイル・クランツのヴォーカルは一段と凄みを増し、迫力満点です。

パンク、ニューウェイヴ、オルタナティヴなんのその、南部の魂は生きていました。

 

しかし、このロッシントン・コリンズ・バンドはその後解散します。アレン・コリンズは1980年に妻を亡くし、1983年にアレン・コリンズ・バンド名義でアルバムを発表しました。『Here, There, and Back』です。

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しかし、アレン・コリンズは1986年に交通事故に遭い、半身不随となり、1990年37歳で亡くなりました。

このアルバムにはゲイリーとデイルを除くバンドのメンバーが参加しています。

 

一方、ゲイリー・ロッシントンはデイル・クランツと共にロッシントン・バンドを作りアルバム『Returned to the Scene of the Crime』を発表します。

Return to the Scene of the Crime

 

 また、途中加入のドラマー、アーティマス・パイルも自身のバンドを結成し、アルバムをリリースしています。

 

1987年にはロニー・ヴァン・ザントの末弟ジョニー・ヴァン・ザント(Johnny Van Zant)レーナード・スキナードを再結成します。ここにはゲイリー、ビリー、レオンの他に初期のメンバーで後にブラックフットを結成したリッキー・メドロック(Rickey Medlocke)も帰ってきました。

 

その後も活動を継続し2018年の1月にフェアウェル・ツアーと名を打って、最後のツアーを行いましたが、解散の表明はありません。

 

メンバーのビリー・パウエルは2009年に、2016年には初期メンバーのボブ・パウエルが、そして2018年にはこれも初期メンバーのエド・キングがそれぞれ亡くなっています。

 

ゲイリー・ロッシントンはロッシントン・バンドで今も活動中です。

 

こうして悲劇が起きて約40年、レーナード・スキナードの魂は脈々と生き続けています。トリビュート・アルバムもリリースされています。

 


Rossington-Collins Band - Don't Misunderstand Me


Rossington-Collins Band - One Good Man


ROSSINGTON-COLLINS BAND • Tashauna


Rossington Collins Band- Seems Like Everyday

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『スワンプウォーター(Swampwater)/ Swampwater』

リンダ・ロンシュタッド(Lind Ronstadt)がストーン・ポニーズ(Stone Poneys)から独立し、ソロになって最初に付いたバックバンドがスワンプウォーター(Swampwater)でした。

その時のメンバーは

ギブ・ギルボー(Gib Guilbeau,vo,g,fiddle)

ジョン・べランド(John Beland,g,vo,p,dobro)

エリック・ホワイト(Eric White,b)

スタン・プラット(Stan Pratt,ds)

でした。

ギブ・ギルボーはザ・バーズクラレンス・ホワイト(Clarence White)やジーン・パーソンズ(Gene Parsons)と共に伝説のバンド、ナッシュビル・ウェスト(Nashville West)に在籍していました。後にフライング・バリット・ブラザース(Flying Burrito Brothers)に参加することになります。

エリック・ホワイトはそのクラレンス・ホワイトの弟です。

ジョン・べランドはソロアーティストからスワンプウォーターに加わり、以後はセッション・ミュージシャン、ソロを経てフライング・バリット・ブラザースに参加します。

 

1970年、リンダとのツアー中に最初のアルバムをスターディ・キング・レコードからリリースしました。タイトルは『Swamp Water』です。

Swampwater

スワンプとケイジャンを混ぜた素晴らしいカントリーロック・アルバムです。ギブ・ギルボーの代表曲「ビッグ・バイヨー」も含まれています。

 

そして翌年、今度はレコード会社をRCAに変えて同じタイトル『 Swamp Water』をリリースしました。

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Side A

1.Ooh-Wee California

2.Headed for the country

3.Ol' papa Joe

4.Mama Lou

5.A song I heard

6.One note man

 

Side B

1.Back on the street again

2.Dakota

3.Gentle ways of lovin' me

4.Back porch harmony

5.Medley:Swampdown  The merry-go-round  Broke down

 

プロデュースはラリー・マレー(Larry Murray)ケン・マンスフィールド(Ken Mansfield)です。

ライナー・ノーツはアーロ・ガスリー(Arlo Guthrie)が書いています。

 

この時はエリック・ホワイトはバンドを去っており、代わりにサド・マクスウェル(Thad Maxwell,b)が加わっています。

さらにゲストミュージシャンとしてグレン・ハーディン(Glen Hardin,p)カリー・チャーカー(Curly Chalker,pedal steel)ジミー・デイ(Jimmy Day,pedal)ハーブ・ペダーソン(Herb Pederson,banjo,g)ドン・トゥイーディ(Don Tweedy,sax)が参加しています。

 

ここでも素晴らしいカントリーロックというかケイジャンミュージックを聴かせてくれます。バーズにもフライング・バリットにも劣らないカントリーロックです。

このレコードはジャケットも面白いのです。表ジャケットに仕掛けがあって、ジャケットをめくるとメンバー全員が姿を現します。昔はよくこんな仕掛けジャケットが多くありました。

 

この後スワンプウォーターはリンダの元を離れ、アーロ・ガスリーと共にツアーを行いますが、1972年に解散します。

解散後、ギブ・ギルボーはフライング・バリット・ブラザースに参加。来日公演にも参加していました。

 

僅か2年でしたが、2枚の優れたアルバムを残してくれました。

 


1. Ooh Wee California - Swampwater (1971)


Swampwater - Headed For The Country (1971)


7. Back On The Street Again - Swampwater (1971)

 

それでは今日はこの辺で。

イギリスのボブ・ディラン『ドノヴァン(Donovan)/メロー・イエロー(Mellow Yellow)』

イギリスのボブ・ディランと呼ばれた男、ドノヴァン(Donovan)は1946年、スコットランドグラスゴー出身です。

イギリスのフォークソングを愛する両親の影響で14歳からギターを始め、その後旅行をしながら友人のジプシー・デイヴと歌い始めました。

1964年にパイ・レコードと契約し、1965年にファーストアルバム『What's Bin Did and What's Bin Hid』をリリースします。この後タイトルがCatch the Wind』に変更されます。

このアルバムはイギリスで3位、全米でも30位と好評でした。中身はまだウッディ・ガスリーやジャック・エリオットの影響が大でした。またボブ・ディランとの比較が騒がれ出しました。シングルのCatch the Wind」はイギリスでもトップ5に入る大ヒットとなりました。

 

この年にボブ・ディランがイギリスにやってきます。後のディランの映画『Don't Look Back』にはドノヴァンの名前が頻繁に出て来ます。また二人の会話シーンもあります。

 

その年、セカンドアルバム『Fairytale』がリリースされます。

このアルバムはイギリスで20位、全米では85位でした。

 

そして1966年に大ヒットアルバム『Sunshine Superman』がリリースされます。

この頃になると、ドノヴァンはアメリカの西海岸の音楽に興味を持ち、それまでのフォークソングからロック、ジャズ、サイケデリックといった音楽を取り入れるようになりました。そして出来上がったのがこのアルバムでした。全米で11位を記録しました。タイトル曲は全米1位を獲得しました。但し、契約の関係でイギリス本国の発売は1967年にずれ込み、順位も25位でした。

 

そして1967年に4枚目のアルバム『メロー・イエロー(Mellow Yellow)』がリリースされました。

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Side A

1.Mellow Yellow

2.Writer in the Sun

3.and and Foam

4.The Observation

5.Bleak City Woman

 

Side B

1.House of Jansch

2.Young Girl Blues

3.Museum

4.Hampstead Incident

5.Sunny South Kensington

 

レコーディングメンバーにはペンタングルのダニー・トンプソン(Danny Thompson,b)マハヴィシュヌ・オーケストラジョン・マクラグリン(JJohn McLaughlin)レッド・ツェッペリンジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Johnes,b)ショーン・フィリップス(Shawn Phillips,sitar)などが参加しています。

そしてジャズ・ピアニストのジョン・キャメロン(John Cameron,p)が前作に引き続き参加しています。

プロデュースはこれも前作に引き続きミッキー・モスト(Mickie Most)です。彼はアニマルズやヤードバーズを手掛けていました。タイトル曲はビルボード2位を記録しました。アルバムも全米で14位になりました。なぜかイギリスでは発売されませんでした。

この曲はドノヴァンがビートルズの「イエロー・サブマリン」の作詞を手伝ったお礼にポール・マッカートニーがバッキング・ヴォーヵルで参加したということになっていましたが、実はベースで参加していたようです。この曲はドラッグ礼賛の曲で、サイケデリックな感じプンプンです。

 

この後、ドノヴァンは薬物使用で逮捕されます。主に大麻でした。それはこれまでの彼の曲、「サンシャイン・スーパーマン」や「メロー・イエロー」以外のその他の曲にも反映されていました。

そしてドノヴァンはビートルズのメンバーやビーチボーイズのメンバーとインドを訪れ、薬物の放棄を決意しました。

 

その後のドノヴァンはシングル「There Is A Mountain」をリリースします。これはアールマン・ブラザースの「マウンテン・ジャム」のヒントになった曲です。

1968年にはシングルヒットHurdy Gurdy Manを含む同名のアルバムをリリースします。

ここには後のレッド・ツェッペリンのメンバーが参加しており、ツェッペリンの結成の契機になったと言われています。

 

1970年代に入ると、ドノヴァンはファンタジックな世界へと入っていきます。1971年に2枚組アルバムHMS Donovan』をリリースします。これは1967年の『A Gift from a Flower to a Garden』に続く子供向け作品です。

初めて聴いた時は、なんじゃこりゃ、と思いましたが聴いているうちにまったりして嵌ってしまいました。

 

1973年の11枚目のアルバム『Cosmic Wheels』を最後にヒット・チャートからは遠ざかるようになりました。

 

この後は散発的にアルバムを出しているようです。

 

1960年代後半、ブリティッシュ・フォークおよびロックに多くの影響を与えた存在であったことは間違いありません。

 


Donovan - Catch the wind


Sunshine Superman- Donovan


Donovan - Mellow Yellow (Audio)

 

それでは今日はこの辺で。

映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』を観る

今日のキネ旬シアターは『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』でした。

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監督:エイミー・バーグ

出演:クリス・クリストファーソン、カントリー・ジョー・マクドナルド etc

制作:2015年 アメリカ 日本公開 2016年

 

ジャニス・ジョプリンドキュメンタリー映画については、これまでにも1974年のライブ映画『ジャニス』が公開されていました。最近再上映されているようです。

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また、ドキュメンタリーではありませんが、ジャニスをモデルにした、ベット・ミドラー主演の映画『ローズ』も1980年に公開されています。

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ザ・ローズ ベット・ミドラー(The Rose / Bette Midler)

 

 

今回の『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』は完全なドキュメントでジャニスからの家族への手紙、親しい友人やかつての恋人、家族などのインタビューを通して、生身のジャニスに迫った映画です。

 

内気な少女の生きる道は歌しかありませんでした。モンタレー・ポップフェスティバルで一躍脚光を浴び、ウッドストックで不動の人気を獲得。しかし、27歳の時、麻薬の過剰摂取で死亡。その短い人生の一端がこの映画で垣間見えます。

 

ジャニスは1943年、テキサス州ポートアーサー出身です。両親と弟、妹との5人家族です。小さい頃から容姿にコンプレックスを持っており、高校・大学とそのことでいじめられ、テキサス大学ドロップアウトしました。一方で高校生の頃聴いたブルースやフォークに夢中になり、やがて家出するようにサンフランシスコへと向かいます。シスコでは歌いながら生計を立て、好きな男性も出来、結婚するつもりでいました。しかし、この男性には裏切られました。

 

この頃から彼女の行動は破天荒になっていきます。麻薬に手を出したのもこの頃からで、男性遍歴も数多くなっていきます。グレートフル・デッドのロン・マッカーナンやカントリー・ジョー・マクドナルドなどとも関係を持っていました。デッドのボブ・ウェアのインタビューではジャニスとロン・マッカーナンの夜の様子が面白く語られていました。

 

1966年頃、サンフランシスコのバンド、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー(BBHC)のヴォーカリストとして採用されます。このバンドは知名度も高くありませんでした。ところが1967年のモンタレーポップフェスティバルでの演奏が人気を博し、知名度も上がりました。

 

このモンタレーの映画では、当初サンフランシスコのバンドは撮影を拒否しましたが、撮影側の断っての依頼で、再度出演機会を設けることで撮影することが出来ました。というのは、このころのシスコのバンドとロサンゼルスのバンドにはお互いに嫌悪感があったのです。しかし、ロスのママキャス・エリオットが客席の一番前でジャニスに拍手を送っていることから、その上映も決まったようです。

 

そして名作『チープスルル』が発表されます。しかし、この頃から、ジャニスとバンドメンバーとの間に不協和音が立ち始めます。結局ジャニスはバンドを離れます。BBHCはジャニス抜きでは存在価値がありませんでした。ジャニスはモット高みを目指していたのです。そしてコズミック・ブルース・バンドを結成します。

 

このバンドでウッドストックに出演し、ジャニスの人気は不動のものとなりました。しかし、バンドはあっさり解散します。ジャニスにはバンドをコントロールするマネジメント能力はありませんでした。それでもすぐに新たなバンド、フル・ティルト・ブギー・バンドを結成し、アルバムのレコーディングを開始しました。アルバム名は『パール』です。この中で、彼女はクリス・クリストファーソン「ミー・アンド・ボビー・マギー」をカバーします。これが後に彼女の最大のヒットになります。クリストファーソンもインタビューの中でその出来に満足していました。

 

1970年の6月末からは「フェスティバル特急」という列車に乗ってカナダの横断ツアーに参加します。ザ・バンドグレイトフル・デッドのメンバーとの楽しいやり取りが見られます。

それから間もなく、1970年10月4日、ロサンゼルスのホテルでドラッグの過剰摂取のため亡くなります。若干27歳でした。

 

ジャニスの歌は心の叫びでした。歌っている時だけが、生きていることを実感できたのでしょう。幼いころから生きることに息苦しさを感じ、それを救ってくれるのは音楽とドラッグとセックスだけでした。最後に彼女が高校の同窓会に出席したシーンが流れますが、その中でも大スターとなった彼女は孤独でした。ジャニスの表情が印象的でした。

 

彼女の死後、アルバム『パール』はリリースされます。アルバム、シングル「ミー・アンド・ボビー・マギー」共に全米NO.1を記録しました。

モンタレーでの「ボール&チェイン」のシーンでは思わず涙が溢れてきました。

 

この年はキャンド・ヒートのアル・ウィルソン、ジミ・ヘンドリックスがいずれも27歳で立て続けに亡くなりました。この前年にはストーンズブライアン・ジョーンズがやはり27歳で、翌年にはドアーズのジム・モリソンが同じく27歳で亡くなっています。呪われた27歳でした。

 

 

そういえば来週観る予定の映画『フェスティバル・エクスプレス』にも先ほど書いたようにジャニスが登場します。今日の映画でもこの映画『フェスティバル・エクスプレス』のシーンは登場します。この映画ははすでにDVDで観ていますが、劇場で観たいので来場する予定です。

 

キネ旬シアターでは『エリック・クラプトン 12小節の人生』から始まって、音楽ドキュメンタリー・シリーズを開催中です。

 


映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』予告


ジャニス:リトル・ガール・ブルー(字幕版)

 

ジャニスの記事も書いています。

lynyrdburitto.hatenablog.com 


Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop

 

 

それでは今日はこの辺で。