Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

サンディ・デニーとフェアポート・コンヴェンション

今日はサンディ・デニー(Sandy Denny)について書いてみようと思います。4月21日が彼女の命日です。つまり明日です。亡くなってから39年、来年で40年です。31歳の若さでした。訃報を聞いたのは確か今頃の季節だったなとふと思い出したのです。

私が初めて彼女の存在を知ったのは、何気なく買ったフェアポート・コンヴェンション(Fairport Convention)の3rdアルバム『Unhalfbricking(アンハーフブリッキング)』でした。

特に期待もせずに買ったのですが、彼女のちょっとハスキーで透き通るような歌声に参りました。なかでも「Who Knows Where The Time Goes?(時の流れを誰が知る)」やボブ・ディランBob Dylan)の「Percy's Song」「Million Dollar Bash」「Si Tu Dois Partir」などもカバーしており素晴らしいアルバムでした。

サンディはフェアポート・コンヴェンションに2枚目のアルバムから参加しています。もとはザ・ストローブス(The Strawbs)のメンバーでしたがフェアポートの初代ボーカルのジュディ・ダイブル(Judy Dyble)(彼女もいいです)が脱退したため、その後任として参加します。

フェアポート・コンベンションはメンバーの入れ替わりが激しく、この当時はアシュリー・ハッチングス(Ashrey Huchings)、リチャード・トンプソン(Richard Thompson)、イアン・マシューズ(Ian Mattews)、デイヴ・マタックス(Dave Mattacks)、デイヴ・スウォーヴリック(Dave Swarbrick)あたりだっか。

サンディの参加アルバムはスタジオアルバムでは2nd『What We Did On Our Holidays(ホワット・ウィ・ディド・オン・アワ・ホリデイズ)』から4th『Leige And Lief(リージ・アンド・リーフ)』までで、ここで一度脱退します。

  

そしてのちにフェアポートのメンバーとなる連中らとフォザリンゲイ(Fotheringay)を結成するが結局1枚のアルバムを出し解散する。ちなみにこの時のメンバーのジェリー・ドナヒュー(Jerry Donahue)がのちに夫になる人です。

グループ解散後、サンディはソロアルバムを3枚発表します。いずれも素晴らしい出来です。

 

そして再びフェアポート・コンヴェンションの世界ツアーに参加したことからメンバーに復帰し、グループのスタジオアルバムとしては11枚目となる『Rising For The Moon(ライジング・フォー・ザ・ムーン)』を発表します。この中の「One More Chance」は私の中では名曲中の名曲です。

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しかしこの後、再び彼女は脱退します。そしてソロアルバム『Rendezvous(ランデヴー)』を1枚発表します。

結局、これが遺作となってしまいました。知人宅で階段を踏み外して転落し亡くなりました。実に早すぎた死です。

サンディの死後、沢山のライブ音源、未発表音源(フェアポート時代も含めて)が発表されました。私もかなり追いかけました。それぞれのアルバムのデラックス・エディション、ボックスセットと次から次へと形を変えて出るので、当然ダブリも多いのですが、それでもついつい買ってしまうのですが、さすがに息切れがして最近は(今でも出続けています)なるべく手を出さないようにしています(ほとんど出きってしまったと思いますので)。コレクターにはなれません。

これだけ発売され続けるということはそれだけの価値があるミュージシャンだったということなのでしょう。

フェアポート・コンベンションはカテゴリーでいえばフォーク・ロックになるのでしょうがトラディショナル・フォーク、ケルティックなどメンバーの変遷によっていろいろな面が出ており、興味が尽きないグループです。一時活動を休止しましたが現在も元気に活動中です。

私個人としてはやはりサンディがいないフェアポートはちょっと物足りなく感じます。

かつてメンバーだったリチャード・トンプソン(Richard Thompson)

は脱退後ソロとして今でも活躍していますが彼のソロアルバムは好きです。

 

今日は「One More Chance」を聴いてサンディの冥福を祈ることにします。