Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画 『顔のないヒトラーたち』を観る

昨日、録画撮りしていた映画を自宅で観ました。キネマ旬報シアターの年間パスポートが終了したので、映画館に行く機会も減るでしょう。その代わりにこれまで撮り貯めしていた数多くの映画を消化していくことにします。その中にはかつて私が観て、名作と思われる作品を永久保存版としてDVD化しているものも含まれていますが、未鑑賞の映画がたくさん眠っています。なかなか家でじっくりDVDを観るという機会がないのですが、なるべく暇を見つけて観るようにします。

 

さて昨日観たのは『顔のないヒトラーたち』です。

 

監督:ジュリオ・リッチャレッリ 

主演:アレクサンダー・フェーリング

2015年公開 ドイツ製作

 

この映画は、ナチスによるホロコーストに関わった親衛隊員たちをドイツ人自身の手で裁いた1963年のフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判が開催されることになるまでの検事たちの苦難を描いた実話です。

 

ストーリーは1958年のフランクフルトが舞台の始まりです。検察庁に新聞記者のトーマス・グルニカが、アウシュビッツ強制収容所で親衛隊員だった男が学校の教師になっているという情報を持ち込んできました。当時親衛隊員は公職にはつけないという法律があったため、それを問題視しろと言ってきたのです。検事たちは知らぬふりです。その中で、交通違反専門の駆け出し検事のヨハン・ラドマンだけがそのことに興味を持ちました。上司からは「手を出すな」と釘を刺されていたのにも関わらず独自に調査を始めました。そして、それが事実であることを確認しました。上司に相談しても埒が明かず、検事総長に相談しました。検事総長バウアーは「やれ」とGOサインを出しました。当時のドイツでは一般の戦争犯罪は時効になっていました。ただし、殺人に関する犯罪は例外でした。

ヨハンはグルニカと共に調査を開始しました。ある日グルニカからパーティーに誘われ、そこに行くと、交通違反を裁いた時の被告人の女性マレーネがいました。ヨハンとマレーネは急速に恋仲になりました。その場にはもう一人、グルニカに情報をもたらしたアウシュビッツ強制収容所に収監されて生き延びたシモンがいました。グルニカとヨハンはシモンから情報を聞きだそうとしますが、シモンはなかなか話しません。彼にはつらい過去があったのです。双子の娘たちを医師のメンゲレに残酷な人体実験の末殺害されていたのです。ヨハンはシモンにメンゲレを必ず法廷に引っ張り出して裁くと約束します。

そして検事たちの調査が始まります。膨大な数の親衛隊員の名前、居所などを探すだけで気の遠くなるような作業でした。さらに警察や国の非協力的態度で操作は難航します。

そうした中メンゲレの居所がわかりました。ブエノスアイレスでした。これでは手が出せないとあきらめかけたところに、父親の葬儀で帰国しているとの情報が入り、自宅に向かいますが、彼はいませんでした。検事総長の独自の調査でアイヒマンとメンゲレの居所がわかりましたが、イスラエルアイヒマンを裁く代わりにメンゲレは逃がしてしまいました。

喪失感に陥ったヨハンに、母親からヨハンが尊敬する父親ナチスだったと聞かされ、さらにグルニカも小学校の頃、アウシュヴィッツで見守りをしていたと聞かされ、絶望します。恋人マレーネにも悪態をつき、別れを宣言されてしまいます。そしてとうとう検事総長には辞表を提出してしまいました。

ヨハンはグルニカはもう一度やってみてくれと説得され、病床のシモンからもアウシュビッツで祈りを捧げてくれと懇願され、再び検事に戻る決意をします。そして元親衛隊員を次々と起訴しついに裁判の開催にこぎつけます。

裁判の結果、起訴された20人のうち終身刑が6人、無罪3人、最長14年の懲役刑が11人でした。メンゲレは1979年にブラジルにて心臓発作で死亡。

 

実はこの1年間にナチスヒトラーに関する映画を、この作品を含めて5本見たことになります。

アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』

ヒトラー暗殺、13分の誤算』

帰ってきたヒトラー

ヒトラーの贋札

lynyrdburitto.hatenablog.com

この他にもその前に観た『ハンナ・アーレント』もやはりアイヒマンに関連する映画でした。

今日の作品を含めて、4本が2015年公開です。何かあったのでしょうか。

 

それにしても当時のドイツ国民は、アウシュヴィッツの実態やホロコーストに関してほとんど知らされていませんでした。この裁判とイスラエルで行われたアイヒマン裁判がきっかけで、ナチスが行ってきた数々の愚行を知り、そして憎悪が目覚めたようです。それまではドイツ国内でも元ナチス党員が幅を利かせていました。今また一部でナチス復活、極右の台頭などがとりざたされています。

それでもドイツは自身の手で戦争犯罪人を裁きました。決してニュールンベルク裁判で終わりにはしなかったのです。

日本はどうでしょう。A級戦犯でも、釈放後は総理大臣、政治家、財界の大物、フィクサーとして戦後を引っ張てきました。そして東京裁判は間違い裁判だったと主張します。この違いはどこから来るのでしょう。もっともドイツでもバウア―検事総長やヨハン・ラドマンのような人物がいなければ、ホロコーストも闇の中に埋もれてしまっていたのかもしれません。

それとアウシュビッツに関しては大事な作品を忘れてはなりません。私がホロコーストについて知ったきっかけとなった作品です。

アラン・レネ監督の『夜と霧』です。短編ですが衝撃的作品です。一度是非。

 

それでは今日はこの辺で。