Flying Skynyrdのブログ

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映画『歓びのトスカーナ』を観る

昨日のキネ旬シアターは『歓びのトスカーナ』でした。

監督:パオロ・ヴィルズィ

主演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ミカエラ・ラマッツォッティ

制作:イタリア、フランス、2017年公開(日本)

 

イタリアの名匠パオロ・ヴィルズィ監督の作品でイタリアのアカデミー賞と言われるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で17部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演女優賞など5部門を受賞した作品だそうです。

 

トスカーナとはイタリア中部にある州で州都はフィレンツェ文化遺産や自然景観に恵まれた地方らしいです。

ストーリーはそのトスカーナ州にある診療施設が舞台です。心の病を持った女性たちがここで療養しています。

ある日一人の患者が入所してきます。ドナテッラです。やせ細った体にタトゥがたくさんしてあります。その暗く沈んだ様子が気になった同じ入寮者でおせっかいな自称伯爵夫人ベアトリーチェは彼女に興味を持ち色々と話しかけます。ドナッテラは初めのうちは煩がっていましたが、徐々に話すようになっていきます。

しばらくして施設外の畑作業で収入を得た2人は施設のバスではなく、公共のバスに乗り脱走してしまいます。2人は終点まで乗り作業で得た報酬でショッピングセンターに行き買い物を楽しみます。作業所から連絡を受けた療養施設の職員たちが捜索に来ますが、2人はうまく逃げます。そして男に誘われレストランで食事をすることになりますが、男がレストランで座席の交渉をするために車から離れると、ドナテッラがいきなり車を運転し、走り出してしまいます。そして高級レストランで食事しますが、勿論そんな金などありません。ベアトリーチェは伯爵婦人を装い店を出ようとしますが、結局車の持ち主に見つかり逃げ出します。

やむを得ずドナテッラの故郷の母親に会いに行きます。しかし、母親は病気持ちの老人の愛人になり、老人が死ぬのを待って遺産を狙っているような生活をしていました。2人は耐えられず飛び出し、街の若い連中の車に乗りクラブへと行きます。しかし、そこはかつてドナテッラが働いていたクラブで、そこのオーナーと不倫していたのです。そして子供を産んでいたのです。しかしオーナーは親子を見捨てたのでした。失望したドナテッラは子供と共に橋の上から身を投げたという過去があったのです。ドナテッラはそのオーナーを見つけると飲み物を投げつけ、逃げるように去っていきます。

一方のベアトリーチェは陽気に酒など飲んでおり、頭にきたドナテッラは彼女の頭を酒瓶で殴り怪我をさせて警察に連行され、結局精神病院に入れられてしまいます。ベアトリーチェは元夫の弁護士宅を訪れ、元夫に過剰な睡眠薬を飲ませ、眠っている間に金と宝石持ち出します。その間、パソコンでドナテッラの事件を調べ上げ、彼女に子供を会わせてあげようと決意します。

ドナテッラが収監されている病院の職員を買収してドナテッラに手紙と宝石を渡すよう計らいます。脱走したドナテッラとベアトリーチェは落ち合って、ドナテッラの子供を引き取った夫婦の家へ行きます。そしてベアトリーチェが夫婦にドナテッラと子供を合わせて欲しいと頼みますが断られます。ドナテッラは家の裏に回るとそこで子供が遊んでいました。彼女がじっと見ていると子供が気が付き寄って来そうになりますが、母親に呼ばれて行ってしまいます。

2人は行く当てもなく公園のベンチで休みます。そしてドナテッラは自分の過去を話し始めます。じっと聞き入るベアトリーチェ。会えてよかったと抱き合い確かな友情が芽生えます。

2人に療養施設の追ってが迫ってきます。ベアトリーチェはドナテッラに早く逃げろと促し自分は囮になって捕まります。ドナテッラは逃げる途中でバイクに撥ねられます。施設の職員が探しに来ますが彼女は逃げてしまっていました。

翌朝ドナテッラは海岸で目を覚ますと、息子と家族が遊びに来ていました。息子が近寄ってきたので、「誰かわかる?」と聞くと、「このまえ家を覗いていた人」と答えます。2人は両親の前で海に入って暫くの間遊びます。そしてドナテッラは黙って去っていきます。

連れ戻されたベアトリーチェは施設で以前のような元気もなく暮らしていました。窓から外を眺めていると、門にふらふらになってたどり着いたドナテッラが倒れています。職員に抱きかかえられるように入ってくるドナテッラにベアトリーチェは微笑みながら小さく手を振ります。

 

ベアトリーチェは誇大妄想、自己顕示が強く虚言癖があるということでこの施設に入所しているようですが、とにかく速射砲のようにしゃべくりまくります。周りはもう馴れっこになっているのか相手にしません。一方のドナテッラは過去に深い心の傷を持ち精神安定剤なしには生きられない女性。この2人が旅をする間に次第にお互いを理解し合い友情を育んで行くという話で、一見よくあるドラマとなりそうですが、しかしこの映画の根底には2人が精神に異常をきたしており、一般社会には受け入れられないという問題が流れています。映画の中でも患者を社会に戻すか否かの判定が慎重に取り扱われています。

ドナテッラが結局は療養施設に戻ってくるというのはベアトリーチェとの友情によるものとも受け取れるし、どこにも行くところが無いという絶望にも受け取れます。コミカルなタッチで描かれているこの映画の、このラストシーンは逆に深刻さを感じさせます。

 原題は「狂った歓び」というような意味です。正常と異常、正気と狂気、の境目とはなんでしょう。特に今の時代においてこの命題の解答を見つけるのは至難の技です。何しろすぐにキレれたり、暴言を吐いたり、平気で嘘をついたり、耳を疑うような発言をしたりする人たちが日本の政治・社会を主導しているほどなのですから。この人たちの言動こそ狂気だと言いたいくらいです。また、このような人たちが作っている社会こそひょっとしたら狂気の世界なのかもしれません。狂気の世界ならば異常が正常、狂気が正気、そんな自己矛盾が起きてしまうのではないでしょうか。

今回の映画を観ていてこの超難問を突きつけられたような気がしました。

 

ドナテッラ役のミカエラ・ラマッツォッティはパオロ・ヴィルズィ監督の奥様です。

なぜか若い頃のミック・ジャガーに似ています。そう思うのは私だけでしょうか。


映画『歓びのトスカーナ』予告編

 

それでは今日はこの辺で。