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映画『母よ、』を観る

今日紹介する自宅シアターは『母よ、』です。

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監督:ナンニ・モレッティ

主演:マルゲリータ・ブイ 、ナンニ・モレッティジョン・タトゥーロ

制作:イタリア、フランス 2016年公開(日本)

 

イタリアの名匠ナンニ・モレッティ監督作品です。本人も兄役で出演しています。

第68回カンヌ国際映画祭 エキュメニカル審査員賞受賞、イタリアのアカデミー賞に当たるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、2部門で受賞してます。さらにカイエ・デ・シネマ2015ベスト1に輝いた作品です。

 

ストーリーは、女性映画監督マルゲリータが主役で彼女は映画の撮影中です。撮っている映画の内容は工場労働者の整理・解雇問題を取り扱ったものです。

 

撮影はなかなか思うように捗りません。監督は完璧を求めます。そこに主役である会社の社長役を演じるアメリカの人気俳優のバリーが到着します。バリーはやりたい放題で、マルゲリータのイライラは増すばかりです。

 

さらにマルゲリータは離婚していて一人娘リヴィアは父親と暮らしていますが、反抗期でいう事を聞きません。思春期の悩みや、恋の悩みは祖母には相談しても母親の自分には相談してくれません。マルゲリータはその完璧主義なところがあり敬遠されているのです。

 

そして一番の悩みが母親アーダの病状です。病院に入院中の母親は肺を患っており、病状は芳しくありません。撮影の帰りにしか病院に寄れずストレスが溜まります。兄ジョバンニはマルゲリータの映画に対する情熱を理解しており、代わりに自分が会社を休職し付き添って面倒を見ている状態です。それをマルゲリータは知りません。

 

マルゲリータは母親のこともあって常にイライラしています。映画のシーン撮影でも納得がいかず当たり散らします。撮影現場は戦々恐々としています。言うことを聞かない娘にも小言を言います。

 

ある日の撮影ではバリーがイタリア語のセリフが出て来ず、ついにマルゲリータと激しい言い争いになってしまいます。

 

病院ではアーダの病状が悪化し、気管支切開をし気道を確保する手術を受け集中治療室に入れられます。集中治療室から出ても、マルゲリータは泊まり込みで看病します。しかし短い距離も歩けなくなったアーダに怒りをぶつけ、しまいにはアーダの胸で泣きじゃくります。

 

マルゲリータは愚痴を聞いてもらいたくて別れた恋人のヴィットリオを呼び出します。しかしヴィットリアはマルゲリータに「君は自分勝手で自分のことしか見えていない。」と言われてしまいます。マルゲリータは返す言葉がありませんでした。

 

ある日バリーを家に招待します。ジョバンニの作った手料理で接待します。そこでバリーはセリフを憶えられないのは病気なのだと自分の病状を告白します。

マルゲリータは自分の性格に問題があることに気付き始めます。

 

そしてアーダの病状は悪化し余命を宣告されます。マルゲリータはアーダを自宅に引き取る決断をします。ジョバンニは看病のため会社を辞めます。

 

アーダはかつてラテン語の教師をしていました。ラテン語が苦手なリヴィアにラテン語の必要性をしっかりと優しく教える姿はこれまでの彼女の人生を偲ばせます。

 

やがてアーダは亡くなり、アーダを訪ねてくるかつての教え子の話を聞き、母親の偉大さを改めて思い知ります。

 

マルゲリータがアーダの書斎を見て回っているときに、ふとアーダが現れます。マルゲリータは訊ねます。「今何を考えているの?」。アーダは答えます。「明日のことよ」。マルゲリータはちょっと微笑みますが、その後不安そうな、そして悲しそうな表情を写して映画は終わります。

 

子供の教育、親の介護、自分の仕事。現代女性の抱えるストレスは計り知れないものが有ります。すでに両親を亡くして、子育ても済み、仕事も終えた我が身にとっては無縁の話のようですが、親にとっては子供はいつまでも子供ですし、我が子達の将来や孫達の将来を慮ると不安がよぎります。それに自分たちが介護が必要とされる身になっていくという不安もまた拭えません。

 

それでもこの映画のラストで母親が考えていることは「明日のことよ」という前向きな姿勢に勇気づけられます。

 

主演のマルゲリータ・ブイは先日紹介した『はじまりの街』の主演女優です。

 

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映画『母よ、』予告編

 

それでは今日はこの辺で。