今日はウェストコーストロックを語るにはどうしても外せないバンド『ポコ』について書いてみたいと思います。ポコについては以前の記事で若干触れていますので参考までに載せておきます。
バッファロー・スプリングフィールド解散後、メンバーのリッチー・ヒューレイ(Richie Furay,vo,g)とジム・メッシーナ(Jim Messina,gvo)は新しいバンドを結成すべくメンバーを集めました。集まったメンバーは
ランディ・マイズナー(Randy Meisner,b,vo)
ラスティ・ヤング(Rusty Young,g,steel,vo)
ジョージ・グランサム(George Grantham,ds,vo)
でした。
1969年にファーストアルバムを録音しますが、その作業中にランディー・マイズナーはリッチーとジムが編集作業に自分を参加させないことに憤慨して、リリース前に脱退し、イーグルスの結成に参加してしまいます。従ってアルバムジャケットからはランディーの顔は外されています。こうしてファーストアルバム『Pickin' Up The Pices』はリリースされます。
Side A
1.Foreward
2.What A Day
3.Nobody's Fool
4.Calico Lady
5.First Love
6.Make Me A Smile
7.Short Changed
Side B
1.Pickin' Up The Pieces
2.Grand Junction
3.Oh Yeah
4.Just In Case It Happens, Yes Indeed
5.Tomorrow
6.Consequently, So Long
プロデュースはジム・メッシーナです。
間違いなくカントリーロックの名盤に数え上げられるアルバムです。
ほとんどの曲はリッチーが書いており、ジムとの共作が数曲、ラスティの曲が1曲という構成です。
リッチーの甲高いヴォーカルときれいなハーモニー、ラスティのペダルスティールを聴いただけで、あっ、ポコだとわかります。バッファローとも、バーズとも、CSN&Yとも、イーグルスとも違うカントリーロックを樹立しました。
ランディーの後任にはティモシー・B・シュミット(Timothy B. Schmit,b)が加入します。後にランディーがイーグルスを脱退すると、今度は代わりにティモシーがイーグルスに加入するという不思議なめぐりあわせがあります。
そして1970年にセカンド『Poco』、1971年にはライブアルバム『Deliverrin'』をリリースします。ライブではリッチーのバッファロー時代の名曲「Kind Woman」が聴けます。
しかしここで、ジム・メッシーナとリッチー・ヒューレイの間でいざこざがあり、ジムが脱退してしまいます。ジムはその後『ロギンス&メッシーナ』を結成し大成功を収めます。ジムの代わりにポール・コットン(Paul Cotton,g,vo)が加入します。
そして1971年に4枚目『From The Inside』、1972年には『Good Feelin' To Know』をリリースします。
『Good Feelin' To Know』は期待して発表したアルバムでしたが、商業的にはいまひとつでした。私は好きなアルバムですが。このアルバムレコードジャケットは黄色です。
そしてこの後6枚目のアルバム『Crazy Eyes』をリリースしてリッチーがグループを去ります。
この後、リッチーはジョン・デヴィッド・サウザー、クリス・ヒルマンと「サウザー・ヒルマン・ヒューレイ・バンド」を結成します。このあたりはいずれ記事にしたいと思います。
リッチーが抜けて4人になったポコはその後も活動を続け、メンバーチェンジを繰り返しながらも存続しています。リッチーが抜けた後の方が商業的には成功したようで、1978年の『Regend』はポコ最大のヒットアルバムになりました。この頃のポコが一番いいという人も多いようです。私個人的にはやはりリッチー在籍時がポコだという印象が強く、その後はレコードは買いましたが途中で止めました。
ポコはウェストコースト・ロックの一時代を築いたのは間違いありません。
それでは今日はこの辺で。