前回はジェファーソンの60年代までを書きました。今回は70年代のジェファーソンについて書いてみたいと思います。
1970年にメンバーのポール・カントナー(Paul Kantner)は自身のプロジェクトアルバム『Blows Against the Empire』を発表します。このプロジェクトの名前は『Paul Kantner Jefferson Starship』と名付けられています。
参加メンバーはジェファーソン・エアプレインからポール・カントナー、グレイス・スリック(Grace Slick,vo)、ジャック・キャサディ(Jack Casady,b)、スペンサー・ドライデンの後任のドラムス、ジョーイ・コヴィントン(Joy Covington,ds)、CSN&Yからデヴィッド・クロスビー(David Crosby,vo,g)、グラハム・ナッシュ(Graham Nash,vo,g)、グレイトフル・デッドからジェリー・ガルシア(Jerry Garcia,g,banjo)、ビル・クラウツマン(Bill Kreutzmann,ds)、ミッキー・ハート(Micky Hart,ds)、クイックシルバー・メッセンジャー・サーヴィスからデヴィッド・フライバーグ(David Freiberg,vo)、それにセッションマンのハーヴィー・ブルックス(Hervey Brooks,b)、ヨーマ・コウコネンの弟、ピーター・コウコネン(Peter Kaukonen,g)などです。
日本盤タイトルは『造反の美学』です。何とも当時の反体制的世相を反映しています。
ポール・カントナーの権力に対する反抗精神が強く表れたアルバムです。もはや飛行機(Aireplane)ではなく宇宙船(Starship)で地球から飛び出そうというような感じです。電子音楽が実験的に多用されています。
なお、この時には既にポール・カントナーとグレイス・スリックは事実上の結婚をしており子供が出来ています。前の夫とは正式に離婚はしていなかったようですが、前夫も公認だったようです。
1971年、ジェファーソンの創立者マーティ・バリンがバンドを脱退します。今のバンドでは自分の思い描く音楽が出来ないとの判断によるものらしいです。
この年にジェファーソンは自身のレーベル「GRUNT」を設立し7枚目のアルバム『Bark』を発表します。
このアルバムではドラムスが正式にジョーイ・コヴィントンに替わっています。さらにジェファーソンのサイドプロジェクトの「ホット・ツナ」のメンバー、フィドラーのパパ・ジョン・クリーチ(Papa John Creach)が参加しています。ますます反骨精神旺盛なジェファーソンを見ることが出来ます。
翌年には8枚目のアルバム『Long John Silver』がリリースされます。
このアルバムがジェファーソン・エアプレインとしての最後のスタジオアルバムとなります。
その後1973年にライブアルバム『Tirty Seconds Over Winterland』とベスト盤『Early Flight』が発表されます。
ポールカントナーはその後も1971年にグレイス・スリックとの共作、さらには1973年にグレイス・スリック、デヴィッド・フライバーグとの共作盤をリリースします。
ホット・ツナの二人は1972年にグループを正式に離れます。これをもってジェファーソン。エアプレインは解散となりました。
なお、ホット・ツナについては別途取り上げます。
1974年にグレイス・スリックのソロツアーに集まったメンバーでバンドを結成することになり正式に『ジェファーソン・スターシップ』を名乗ることに決定しました。
飛行機から宇宙船へのデビューです。ポール・カントナーのプロジェクトに集まったメンバーが顔を揃えました。ポール・カントナーのスターシップ精神が受け継がれたのでしょう。
その最初のアルバムが『Dragon Fly』です。
ジャケット表にはポール・カントナーとグレース・スリックの名前がまだクレジットされています。
メンバーはポール・カントナー(g,vo)、グレイス・スリック(vo,p)、デヴィッド・フライバーグ(b,vo)、クレイグ・チャキ―ソ(Craig Chaquoico,g)、ジョン・バーベイタ(John Barbata,ds)、パパ・ジョン・クリーチ(violin)、ピート・シアーズ(Pete Sears,b,key)です。
マーティ・バリンが1曲参加しています。1曲目の「Ride The Tiger」は名曲です。ハードでノリが良く、ジェファーソンの新しい一面です。
翌年、『Red Octopus』がリリースされます。
ジェファーソン・エアプレインから含めて初の全米1位を記録したアルバムです。そして2曲目の「Miracles」がシングルの大ヒットとなりました。このアルバムからマーティ・バリンが正式にカムバックしました。このアルバムでオクトパスがタコだと知りました。お恥ずかしい。
1976年には『Spitfire』をリリースします。正式なスターシップとしては3枚目です。
このアルバムからパパ・ジョン・クリーチが抜けます。この頃になるとメンバー全員が曲作りに参加し、それぞれ個性ある楽曲が生み出されるようになります。
1978年、4作目『Earth』がリリースされます。
このアルバムは前2作に比べかなりポップになっています。また、ポールカントナーが曲作りに参加したのがわずか1曲のみになっています。マーティ・バリンに至ってはゼロです。このあたりにジェファーソン内部の力関係が変わってきていることがわかります。ピート・シアーズ、クレイグ・チャキ―ソの存在感が増してきています。「Count On Me」がヒットします。
この後、ジェファーソンの顔、ヴォーカルのグレイス・スリックが精神的に不安定になりアルコール中毒が悪化し、バンドを離れます。そしてマーティ―・バリンもポール・カントナーとの音楽的方向性の違いから脱退。またドラムスのジョン・バーベイタが交通事故で長期入院となり、代わりにジョン・メイオール&ブルースブレイカーズやジェフ・ベックグループ、フランク・ザッパのマザース、さらにはジャーニーに在席したエインズレイ・ダンバー(Aynsley Dunbar)が加入します。それとグレイス・スリックに代わって男性ヴォーカルのミッキー・トーマス(Mickey Thomas)が加入します。彼はエルビン・ビショップのバンドにいたヴォーカリストです。
こうして新生ジェファーソン・スターシップは1979年に再スタートを切ります。
その最初のアルバムが『Freedom At Point Zero』です。
ミッキー・トーマスのソウルフルなヴォーカルを活かしてますますポップ・ハードロックといった内容になってきました。一部のファンからは産業ロック化しているとの非難もありました。
ここまでで1970年代のジェファーソン・エアプレイン~ジェファーソン・スターシップは終わります。
1980年代に入ると、レコード会社はジェファーソンに対し時代の流れに即し、スタジアム・ロック、アリーナ・ロック路線の追及を要求してきます。
そんな中、1981年には『Modern Times』を、1982年に『Winds Of Cange』をそれぞれ発表します。
後者にはグレース・スリックがカムバックしています。この後エインズレイ・ダンバーがグルーを脱退します。代わりはドニー・ボルドウィン(Donny Baldwin)です。
1984年に『 Nuclear Furniture』を発表
もうこの頃にはメンバー間の対立も激しくなり、ポール・カントナーが脱退、ジェファーソンの名は使わせないという訴訟まで起こします。結局残ったメンバーは『スターシップ(Starship)』と名乗り存続させます。
ポール・カントナーは別プロジェクトを立ち上げマーティ・バリンやジャック・キャサディといった昔の仲間とKBC(カントナー・バリン・キャサディ)BANDを結成します。1986年にはアルバム『KBC BAND』を発表します。そこそこ売れました。
こうしてジェファーソンは二つのグループに分かれてしまいます。
KBCバンドはアルバム発表後、解散。ポール・カントナーはヨーマ・コウコネンとジャック・キャサディの共にホット・ツナに参加、ツアーを行います。
一方のスターシップはメンバーが次々と抜けやがて1990年に解散。
1989年にジェファーソン・エアプレインのメンバーだったポール・カントナー、ヨーマ・コウコネン、ジャック・キャサディにグレイス・スリックが加わり、さらにマーティ・バリンも参加してジェファーソン・エアプレインが再結成されます。
アルバムも発表されます。『Jefferson Airplane』です。
ジェファーソンはマーティとポールを中心に今でも活動中です。
1970年代までを書こうと思っていましたが、ついつい1980年代まで入ってしまいました。書きすぎました。反省。
Jefferson Starship - Ride The Tiger
Jefferson Starship - Miracles (Audio)
それでは今日はこの辺で。