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芦毛対決は!タマモクロスとオグリキャップ

 

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私が芦毛馬と聞いてすぐ頭に浮かぶのは、シービークロスメジロティターンメジロマックイーンウィナーズサークルクロフネ、最近ではゴールドシップあたりでしょうか。しかし忘れてならないのはやはりタマモクロスオグリキャップでしょう。

 

1988年この両馬の対決が競馬界を沸かせました。

タマモクロスは3~4歳時(当時)は鳴かず飛ばずでクラシックには全然縁がありませんでした。4歳の10月にようやく400万下を勝ち上がり、ここから連勝が始まります。もともとシービークロスの仔で素質は買われていましたが遅咲きでした。

条件戦を連勝すると、4歳暮れの鳴尾記念で重賞初制覇を果たします。明けて5歳、京都の金杯阪神大賞典と重賞3連勝を飾り、春の天皇賞に駒を進めました。当然1番人気で相手は菊花賞有馬記念勝馬メジロデュレン、前年のクラシックを沸かせたゴールドシチー、ダービー馬メリーナイス、前年の2着馬アサヒエンペラーあたりです。

結果は2着に入った人気薄のランニングフリーに3馬身差をつけての圧勝でした。メジロデュレンが3着でした。タマモクロスはこれで重賞4連勝を含む6連勝を飾りました。


第97回天皇賞(春) タマモクロス

続く宝塚記念は前年の天皇賞(秋)からマイル・チャンピョンシップ、安田記念とG13連勝中のニッポーテイオーに1番人気を譲りますが、両馬とも単枠に指定されました。レースは2馬身半差の完勝でした。宝塚記念の2200メートルという微妙な距離がニッポーテイオーに響いたのかもしれません。


1988年 宝塚記念 タマモクロス

 

そしてタマモクロスはこのまま秋の天皇賞へと向かいます。

 

この年の春に地方の笠松競馬場で重賞5勝を含む8連勝を飾り、通算12戦10勝の成績を引っ提げて中央競馬に殴り込んできた馬がいました。それがオグリキャップです。ハイセイコーの再来と騒がれました。

いきなり中央初戦のペガサスステークス(GⅢ)を勝つと、毎日杯、京都4歳特別、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスと中央受賞4連勝を果たし、ファンの度肝を抜き怪物に祭り上げられました。しかも前走はレコード勝ちでした。

続く古馬混合の高松宮杯(当時はGⅡ)に出走。前年の勝馬ランドヒリュウを抑え、これまたレコード勝ちです。

そして秋初戦も毎日王冠を圧勝、秋の天皇賞に駒を進めます。

 

そしていよいよタマモクロスオグリキャップ芦毛対決が実現します。芦毛馬は走らないというジンクスなどどこかへ行ってしまったような騒ぎです。人気ではオグリキャップが1番人気に支持されました。それでもこの2頭が抜けていました。離れて3番人気にダイナアクトレスです。共に単枠指定です。

レースはタマモクロスがいつもより前で競馬をし、それをオグリキャップがマークするような形になりました。直線に入ってタマモクロスが抜けだすと、外からオグリキャップが追い込んできます。しかしその差は縮まらずそのまま1馬身4分の1の差でタマモクロスが優勝しました。5歳馬の貫録を見せました。史上初めての天皇賞春秋連覇です。1981年までは天皇賞は勝ち抜け制で、1度勝つと出走できませんでしたが、これが改正されて初めての快挙でした。オグリキャップは中央での初黒星になりました。

懐かしい大川慶次郎の解説です。


タマモクロス 第98回天皇賞(秋)

 

続いて両馬はジャパンカップで再び相まみえます。今度はタマモクロスが1番人気、オグリキャップは3番人気になりました。2番人気には凱旋門賞を勝ったトニービンが入りました。

レースは中団外を回ったタマモクロスが直線で一旦は先頭に立ちますが、アメリカ馬のペイザバトラーにかわされ2着になりました。オグリキャップは直線追い込みますが3着どまりでした。


第8回ジャパンカップ ペイザバトラー

 

そしていよいよ両馬の最終章、有馬記念です。今度も1番人気はタマモクロス、2番人気にオグリキャップ、3番人気には4歳ながらマイルチャンピョンシップを勝ったサッカーボーイ、4番人気がこの年の菊花賞を勝ったスーパークリークでした。

2戦連続でタマモクロスに後塵を拝したオグリキャップ陣営はそれまでの騎手を河内洋から岡部幸雄に変更しました。岡部はテン乗りになります。これまでもオグリキャップは地方時代は主に安藤勝己、中央では河内洋が乗っていましたが1度だけタマモクロスの南井克己が騎乗したことがありました。降ろされた河内洋サッカーボーイに騎乗しました。このレースはタマモクロスオグリキャップサッカーボーイの3頭が単枠に指定されました。

レースは例によってレジエンドテイオーの逃げで始まり、オグリキャップは中団、タマモクロスサッカーボーイが最後方という展開で進みます。最後の直線でオグリキャップが抜けだし、タマモクロスサッカーボーイが追い込みますが届かず、オグリキャップが念願のGⅠ制覇を果たしました。2着にオグリキャップ、追い込んだスーパークリークが3着入線もサッカーボーイの進路を妨害したことで失格、サッカーボーイが繰り上がりの3着になりました。

 

こうして1988年は4歳クラシックが今一つ盛り上がりに欠けましたが、芦毛対決に沸き上がり幕を下ろしました。

 

タマモクロスはこのまま引退しました。

 

オグリキャップ古馬になってからも活躍しましたが、5歳時はマイルチャンピョンシップは勝ちましたが、とうとう天皇賞ジャパンカップには手が届かず2着どまりでした。

 

そして6歳になると安田記念は勝ったものの、宝塚記念2着、秋の天皇賞6着、ジャパンカップ11着と衰えを感じさせるレース内容が続きました。そしていよいよ引退レースの有馬記念を迎えました。騎手は安田記念を勝った時の武豊に変えました。人気の方は4番人気になっていました。上位人気は4歳馬の芦毛馬ホワイトストーン、メジロライアン、それにメジロアルダンが占めました。ほとんどの人がオグリキャップには買って欲しいが無理だろうと思っていたのではないでしょうか。

ところが奇跡が起きました。オグリキャップが直線鮮やかに抜け出し、見事にラストラン飾ったのです。このレースは未だに語り継がれる名勝負になりました。

 


平成2年(1990)有馬記念 オグリキャップ

 

オグリキャップの登場で第2次競馬ブームが沸き起こり、競馬場は凄い騒ぎになりました。指定席は徹夜組が出るほどの賑わいです。私も指定席を手に入れるのにずいぶん苦労した記憶があります。

 

それでは今日はこの辺で。