Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚 『ブルース・イメージ(Blues Image)/Open』

ブルース・イメージ(Blues Image)は1960年代後半にフロリダ州タンパで結成されました。

当初のメンバーはマイク・ピネラ(Mike PInera,vo,g)マニュエル・バーティマッティ(Manuel Bertematti,ds,vo)ジョー・ララ(Joe Lala,ds,perc,vo)の3人でしたが、1968年にスキップ・コンテ(Skip Konte,key)マルコム・ジョーンズ(Malcom Jones,b)が加わって正式にスタートしました。

この年にロサンゼルスに進出し、「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」に出演し人気を博しました。

1969年にはATOCOと契約しデビューアルバム『Blues Image』を発表しますが、今ひとつでした。

そして1970年にセカンドアルバム『Open』がリリースされ、この中からシングルヒットが生まれ人気バンドになりました。

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Side A

1.Love Is the Answer

2.Running the Water

3.Clean Love

4.La Bamba

5.Consuelate

 

Side B

1.Ride Captain Ride

2.Pay My Dues

3.Fugue U

4.Parchman Farm

5.Wrath of Daisey

6.Take Me

 

プロデュースはリチャード・ポドラー(Richrad Podolor)です。

B-1が全米4位になりました。

A-4はラテンのトラディショナル。B-4はモーズ・アリソンのナンバーでヴァニラ・ファッジなどでも有名。

当時のブルースバンドといえばイギリスではブルース・ブレイカーズ、アメリカではバターフィールド・ブルース・バンドなどいわゆる真直ぐなブルースやブルースロックを演奏していましたが、このブルース・イメージは彼らとは違って、ただ単にブルースをコピーするのではなく、ブルースをベースにしてハードロック、カントリー、ラテンなど様々な音楽を取り入れるという感覚でした。いわゆる前衛的ブルースもしくはサイケデリック・ブルースとでもいいましょうか、今でいうとブラック・キーズやホワイト・ストライプ的な位置付け出しょうか。とにかく緊迫感溢れた演奏で今でも引き込まれます。

 

しかし、この後中心メンバーのマイク・ピネラが突然脱退してしまいます。代わりにデニー・コレル(Denny Correll,vo)ケント・ヘンリー(Kent Henry,g)を加えてサードアルバム『Red White & Blues Image』をリリースしますが、パットせずあえなく解散となりました。

 

その後マイク・ピネラはアイアン・バタフライ、カクタス、ラマタム、アリス・クーパーなどに参加した後ソロになりました。

バーティマッティもアイアン・バタフライ、カクタスに参加。

ジョー・ララはCSN&Y、マナサスなどへ参加。

スキップ・コンテはスリー・ドッグ・ナイトに参加。

ケント・ヘンリーはステッペン・ウルフに参加。

このようにそれぞれのメンバーはその後も活躍しました。ブルース・イメージは短い期間でしたがキラリと輝いていたバンドでした。

 

 


THE BLUES IMAGE "Ride Captain Ride" 1970 HQ


Blues Image - Fugue U/Parchman Farm/Wrath Of Daisey


Blues Image - Pay My Dues (1970)


blues image en la bamba.wmv

 

それでは今日はこの辺で。