ローラ・ニーロ(Laura Nyro)は1947年にニューヨークでジャズ・トランぺッターの父親とクラシック好きの母親の娘として生まれました。幼いころからジャズやゴスペルなど黒人音楽に親しんで育ちました。14歳の時には4人の男子とロックンロールを演奏していたといいます。
その後ボブ・ディランなどのフォークソングにも興味を持ち、高校卒業後は自作曲をレコード会社へ売り込み始めました。
1966年のP.P.M(ピーター、ポール&マリー)の「And When I Die」が彼女の最初の仕事になりました。
その年にはシングル「Wedding Bell Blues」をリリースしますがは売れませんでした。1967年のファーストアルバム『More Than a New Discovery』もやはり売れませんでした。
この年にはモンタレーポップフェスティバルにも出演しています。「Wedding Bell Blues」を歌っている姿が映っています。この「Wedding Bell Blues」は皮肉なことに後にフィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)がカバーして全米1位になります。また「And When I Die」はブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(Blood, Sweat & Tears、BS&T)がカバーして全米2位になりました。
1968年にはセカンドアルバム『イーライと13番目の懺悔(Eli and the Thirteenth Confession)』をリリースします。
ここからやはりフィフス・ディメンションがカバーした曲がヒットし、ローラ・ニーロの名前はますます知られるようになりました。また「Eli's Comin’」はスリー・ドッグ・ナイト(Three Dog Night)で全米10位になりました。
1969年にはサードアルバム『New York Tendaberry』をリリースします。
ここでもフィフス・ディメンションやバーブラ・ストライサンドのカバーでヒット曲が生まれました。
1970年に第4作目『Christmas and the Beads of Sweat』がリリースされます。
ここではデュアン・オールマンがギターで参加、またマッスル・ショールズのミュジシャンたちも参加したアルバムになっています。プロデュースはラスカルズのフェリックス・キャバリエ(Felix Cabaliere)です。
ここまでの4枚のアルバムから選曲されたのが『ローラ・ニーロ(Laura Nyro)/Her Greatest Hits』です。残念ながらCD化されていません。1972年の発売です。
Side A
1.Wedding Bell Blues
2.Blowin' Away
3.Flim Flam Man(Hands Off the Man)
4.Stoney End
5.He's A Runner
6.And When I Die
Side B
1.Stoned Soul Picnic
2.Eli's Comin'
3.Sweet Blindness
4.Save The Country
5.Time And Love
6.Blackpatch
A面はすべてファーストアルバム『More Than A New Discovery』から選曲されています。
B-1、B-2、B-3はセカンドアルバム『イーライと13番目の懺悔(Eli and the Thirteenth Confession)』から
B-4、B-5はサードアルバム『New York Tendaberry』から
B-6は4thアルバム『Christmas and the Beads of Sweat』からのそれぞれ選曲になります。
A面をすべてファーストから選曲しているところが特徴です。一般的な評価ではセカンドとサードが彼女のベストといわれていますが(私も同感)、わざわざファーストから選曲しているのは、ファーストアルバムがほとんど知られていなかったにもかかわらず、カバーされてヒットした曲が多く含まれていたからだと推察します。
セカンドとサードはそれぞれ独自に聴いた方がいいかもしれません。それほど素晴らしい内容になっています。
ローラ・ニーロの曲はフォークともジャズともロックともソウルともゴスペルともいえません。独特のメロディです。また時折叫ぶように、時折語り掛けるように歌う唱法も独特です。どちらかというとリンダ・ロンシュタッドに近いかもしれません。きれいな歌声です。
1971年にローラ・ニーロは結婚し、5作目のアルバム『Gonna Take a Miracle』を発表して引退を表明します。
これは全曲R&Bのカバー曲です。
僅か24歳での引退表明。どうやら夫の希望だったようです。3年後には離婚、子供も出来ました。
そして5年後の1976年に『Smile』で復帰します。
ジョニ・ミッチェルがジャズに向かったように、ローラもジャズアルバムでカムバックしました。
その後も音楽活動を続けますが、1997年に卵巣がんのため亡くなりました。49歳でした。
シンガーソングライターと呼ばれるアーティストの中でもローラ・ニーロはちょっと異質な存在でした。
Laura Nyro "Wedding Bell Blues"
それでは今日はこの辺で。