ジョン・サイクス(John Sykes)と言えば、タイガース・オブ・パンタン(Tygers Of Pan Tang)でしょうか、それともシン・リジィ(Thin Lizzy)でしょうか、あるいはホワイトスネイク(Whitesnake)でしょうか。
いやいや忘れてならないのはブルー・マーダー(Blue Murder)です。
ジョン・ジェイムス・サイクスは1959年イギリスに生まれました。義父がナイトクラブを経営していた関係でスペインに引っ越し、そこでギターの魅力に憑りつかれました。
「Streetfighter」というバンドで活動するようになっていたジョン・サイクスはタイガース・オブ・パンタンのオーディションに応募し、セカンドギタリストとして採用されます。ここで『Spellbound』『Crazy Night』そして『The Cage』の一部まで在籍して、オジー・オズボーンのツアーに参加するためにオーディションを受けないかとの誘いに乗り、タイガース・オブ・パンタンを脱退します。結局オジー・オズボーンのオーディションは行われず、Badlandsに参加したりしますが、これも解散してしまいます。そこでジョンはソロで活動することを考え、クリス・ダンガリーデスにフィル・ライノット(Phil lynott)に手伝ってもらえないかと連絡を依頼し、了承を取ります。
早速二人はアイルランドでシングルのレコーディングを開始します。これが名曲として名を馳せる「Please Don't Leave Me」です。プリティ・メイズでもヒットします。
これをきっかけにフィル・ライノットからシン・リジィに誘われ加入します。そしてアルバム『Thunder and Lightning』をレコーディングします。1983年です。
しかしこの後シン・リジィは『Life(ラスト・ライヴ)』を発表して解散してしまいます。
1984年に今度はデヴィッド・カヴァーデールにスカウトされホワイトスネイクに加入し、1984年の傑作『Slide It In』、そして1987年に世紀の大ヒットアルバム『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』の制作に参加します。
しかしアルバム発表後カヴァーデールを除くメンバーは全員解雇されてしまいます。
そして以前からバンドを組む計画をしていた、同じくホワイトスネイクにいたコージー・パウエル(Cozy Powell,ds)に連絡を取り、ベーシストにはポール・ロジャースとジミー・ペイジのファームのトニー・フランクリン(Tony Franklin,b)を起用することになりました。しかし、ここで問題発生。ヴォーカルが見つかりません。オーディションを行ってもなかなか決まりません。コージー・パウエルは業を煮やして脱退してしまいます。
すると今度は、カーマイン・アピス(Carmine Appice,ds)が声をかけてきたあっさりと決まりました。ヴォーカリストはジョン・サイクスが執ることになりました。
こうしてようやくブルー・マーダーのデビューアルバムの制作に取り掛かることが出来ました。
そして1989年、『Blue Murder』がリリースされました。
これは間違いなく名盤です。これまでジョン・サイクスが参加してきたバンドは、彼が参加することによって一段とスケールアップした感がありますが、このアルバムはそんな彼の集大成と呼べるような作品になっています。
ギターは勿論ですが、ヴォーカルも悪くありません。カーマイン・アピスのドラムは相変わらずカッコいい。ハードロック・ヘヴィメタルの良さが凝縮されています。
これほどのアルバムでも売れ行きは芳しくありませんでした。
次のセカンドアルバムがリリースされるまでに4年という月日を重ねてしまいました。トニー・フランクリンとカーマイン・アピスは1992年に脱退してしまいます。
代わりにマルコ・メンドーサ(Marco Mendoza,b)とトミー・オスティーン(Tommy O'steen,ds)、ニック・グリーン( Nick Green,key)、ケリー・キーリング(Kelly Keeling,vo)が加入して、ようやく1993年にセカンドアルバム『Nothin' But Trouble』がリリースされます。
カーマイン・アピス とトニー・フランクリンはアディショナル・ミュージシャンとしてクレジットされています。
メンバーチェンジなど何も心配いりませんでした。前作にも劣らず素晴らしい出来栄えです。というか私の好みに合っているというだけですが。ブルー・マーダーはやはりジョン・サイクスです。
この頃ジョン・サイクスはバンド名を変更することを考えていましたが結局は『ブルー・マーダー』の名前でセカンドアルバムはリリースしましたが、この後は『Sykes』というバンド名に変えました。
そして1995年に『Out Of My Tree』をサイクス名でリリースします。
メンバーは マルコ・メンドーサ(Marco Mendoza,b)とトミー・オスティーン(Tommy O'steen,ds)が再び参加しています。
このアルバムは名前を変えただけではなく、音楽性も大分変りました。HM/HRからいかにも90年代のロックという感じになりました。それまでのブルー・マーダー、ホワイトスネイク、シン・リジィとは一線を画しています。いい意味でのNWOBHM(ニューウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)を期待すると肩透かしを食います。それでも中にはブリティッシュ・ハードロックを感じさせる曲もちらほらあり、私にとっては許容範囲です。
1994年にはブルー・マーダーの1993年に二度目の来日公演のライブアルバムが発売されています。『Screaming Blue Murder~Dedicated To Phil Lynot』です。
フィル・ライノットに捧ぐとなっています。1986年に急逝したフィルに対しては特別な思い入れがあったのでしょう。「Please Don't Leave Me」の共作がジョンの人生を変えたといっても過言ではないかもしれません。このアルバムには「Please Don't Leave Me」を含め3曲、フィルとの共作が収められています。
1992年にはその「Please Don't Leave Me」のオリジナルバージョンとショート・バージョン、それにインストゥルメンタル・ヴァージョンの3曲とタイガース・オブ・パンタン時代の未発表曲を集めたコンピレーションがソロアルバムという形で発売されました。アルバム名も『Please Don't Leave Me』です。
ジョン・サイクスは1996年にシン・リジィの再結成に参加します。ここにはブルー・マーダーのマルコ・メンドーサなども加わっていました。
しかし、2009年には脱退を表明します。
ブリティッシュ・ハードロックを体感できた最後のギタリストかもしれません。
John Sykes & Phil Lynott - Please Don't Leave Me '82
それでは今日はこの辺で。