スティールハート(Steelhert)が華々しいデビューと共に世界中に知れわたったのが1990年です。それから3年後には不幸な事故により活動休止に追い込まれ、その後一旦は復活するも結局はそのまま長い長い活動休止状態に陥ってしまったバンドでした。
そもそものスタートは古く1981年にコネティカット州ノーウォークで結成されました。
クリス・リゾーラ(Chris Risola,g)
ジェームス・ワード(James Ward,b)
マイケル・マティアヴィッチ(Michael Matijevic,vo)
ジョン・ファウラー(John Fowler,ds)
フランク・ディーカスタンゾ(Frank Dicostanzo,g)
この5人が『Red Alert』というバンド名で活動を開始しました。デモテープの制作などを始めますが、どこのレコード会社も興味を示しませんでした。しかたなくローカル・クラブで演奏を続けていました。そんな時、その後マネ-ジャーになるスタン・ボーゼスと知り合います。そして彼の紹介でMCAと契約することになります。契約後『Red Alert』という名前が既に使われていることは判明し、バンド名を『Steelheart』に変更します。
そしてファーストアルバムがレコーディングされ世界に先駆けて日本で発売されるという運びになりました。
ファーストアルバムは『STEELHEART』です。
これは日本盤のジャケットです。アメリカ盤はこちらです。
このアルバムはアメリカでもビルボードの40位に入るヒットなり、シングルの「She's Gone」はインターナショナルチャートの1位になる大ヒットとなりました。
この「She's Gone」は絶品メロハーです。アメリカのバンドがこんな曲を作るのも驚きですが、日本での先行発売も納得です。
昨日紹介した『スキン(Skin)』はイギリスのバンドなのにアメリカの香りがしましたが、スティールハートは逆にアメリカのバンドなのにヨーロッパの香りがします。
というのもヴォーカルのマイクは元々両親ともに欧州の人でマイク自身もクロアチア生まれで7歳の時にコネティカット州に移住したようです。
4オクターブの声域を持つハイトーンヴォイスはヘヴィメタルのために生まれてきたようなものです。
1992年にセカンドアルバム『Tangled in Reins』をリリースします。
このアルバムはビルボードの144位にとどまりました。
そして不幸が起こります。アルバムのプロモーションツアー中のライブで照明器具が落下するという大事故が発生します。これにヴォーカルのマイクが巻き込まれ頭蓋骨や顔面、背骨などを骨折するという傷を負います。
そのためバンドはマイクの回復を待つため長期の活動休止を強いられます。その期間4年、メンバーは去ってしまいます。
復帰したマイクは新たなメンバーを集め再起を図りました。ケニー・カナウスキ(Kenny Kanowski,g)、ヴィンセント・メレ(Vincent Mele,b)、アレックス・マカロヴィッチ(Alex Makarovich,ds)というラインナップでレコーディングを開始し、1996年、サードアルバム『Wait』を発表しました。
名義こそスティールハートになっていますが、多分にマイクのソロアルバム的要素が強いアルバムになりました。活動休止中に世の中も変わりました。グランジブームが沸き起こり、それに便乗しようとしたかのような印象を受けます。
こうして再びスティールハートは長い長い活動休止状態に入ります。
2006年にクリスが復帰しバンドは活動を再開します。
2008年には12年ぶりにアルバム『Good 2B Alive』をリリースします。さらに2017年には9年ぶりに『Through Worlds Of Stardust』を発表します。
残念ながらこの2枚は未購入です。あまり芳しい評価は聞いていません。
長い下積みを経て、華々しくデビュ―し、一世を風靡したにもかかわらず不幸な事故で世の中から忘れ去られてしまったスティールハート。人にもバンドにも様々な人生があります。
それでは今日はこの辺で。