Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『銃』を観る

昨日のキネ旬シアターは『銃』でした。

 

監督:武正晴

原作:中村文則

主演:村上虹郎広瀬アリスリリー・フランキー日南響子

制作:日本 2018年公開

 

原作は芥川賞作家の中村文則のデビュー作です。新潮新人賞を受賞した作品です。この小説は読んでいましたが、記憶が定かではありませんでした。従って原作との比較は出来ません。もっとも小説と映画は別物ですからそんなことは気にしなくてよいのです。

 

完全ネタバレです。読みたくない方はスルーしてください。

 

映画のストーリーの方はというと、主人公の大学生・西川トオル村上虹郎)が雨の夜の河原で、一人の男の死体のそばで銃を見つけ持ち帰るところから始まります。

 

トオルはその日以来、拳銃の虜になっていきます。気持ちが高揚して、それを宝物のように大事に扱い、保管します。

 

大学では遊び人の友人に誘われて合コンへ。知り合った女(日南響子)とセックスフレンドに。また女子学生のヨシカワユウコ(広瀬アリ)から声をかけられ、興味を持ちますが、トオルはあくまでも冷静を振る舞い、親しくなるゲームをしようと心の中でつぶやきます。

 

やがてトオルは拳銃を持ち歩いてみたくなり、バッグに入れて外出するようになりました。高揚感はさらに増してきました。

 

ある夜の帰り道、公園で猫の唸り声を聞き、近寄ってみると瀕死の状態でした。トオルは楽にしてやろうと拳銃を取り出し、2発発砲しました。そして一目散に逃げかえりました。

 

しばらく経った朝、一人の刑事(リリー・フランキー)が訪ねてきます。近くの公園で猫が惨たらしく殺されていたと言うのです。家に上がろうとしますが、それを断り近くの喫茶店で話します。

『銃』 ©吉本興業

 

その刑事いわく、猫は銃に撃たれて死んだ、撃った男が逃げるのを目撃した人がいる、白いハーフコートを着ていた、などと言い、そして「今確信した。犯人はあんただ」と言い切ります。トオルは「そんな証拠はないでしょう」と言います。刑事は「証拠はあんたの態度だ。そのおどおどしたしぐさが何よりの証拠だ」と言い切ります。

 

そして「銃を持った人間は、まず動物に対して撃ちたくなる。その次は人を撃ちたくなる。人を殺した人間は普通の理性ではいられなくなるようですよ」と言います。そして「早いとこ自首するか、拳銃を分解して捨てなさい。そうすれば何事もなかったことになる。」と言い、帰っていきます。

 

追い込まれたトオルは人を撃ちたくなってきました。アパートの隣の部屋に引っ越してきた水商売の女が自分の子を虐待しているのが壁を通して毎日聞こえてきます。そしてその女を撃とうと決め、計画を立てます。毎日女を尾行して、射殺する場所まで決めました。トオル自身も幼いころ両親に捨てられ、養護施設で育ちました。そんな母親は死んだ方が子供のためだという理屈まで考えました。

 

そう決めてからのトオルは、異常な興奮と行動をとるようになりました。トースト女と呼ぶ合コンで知り合った女に無理なセックスを強要したり、ヨシカワユウコにもいきなり抱こうとしたりして、彼女達に避けられるようになりました。

 

そしていよいよ実行の日。「どうってことない」とつぶやきながら家を出て、女を待ち伏せします。やがて女が現れ銃口を向けます。狙いを定めますがどうしても引き金を引けませんでした。がっくりと天を仰ぐトオルでした。

 

日常を取り戻したトオルは銃を捨てようと思いある渓流に行き、一発撃って川の中に銃を捨てます(ところがこれはまだ予想の世界)。

 

電車に乗って居眠りをしているトオルの横にやくざ風の男が乗ってきて、携帯で大きな怒鳴り声で喋り始めます。

『銃』 ©吉本興業

トオルはその携帯を取り上げ放り投げて、うるさいから降りろと注意します。男は携帯を拾えと脅します。トオルは立ち上がり携帯を拾う振りをして拳銃を取り出します。そして男の口の中に拳銃を入れます。男は笑いながら、撃ってみろよと馬鹿にします。トオルは「死ね!」と叫び引き金を引きます。男は即死。回りは血の海と化します。

 

映画はここからカラーになります。血の海を見て正気に戻ったトオルは自殺しようと、銃口をこめかみに当て引き金を引きますが弾が出ません。弾を一発抜いて置いたのです。慌てて弾を込めようとしますが、血で手が滑ってなかなか装填できません。電車の中にはあの刑事もいました。ああ、やってしまったのか、という顔をしました。慌てるトオルを映しながらエンディングです。

 

なんとも衝撃的なエンディングでした。この最後のやくざ風の男は、主役の村上虹郎の実の父親村上淳です。

 

銃の魅力に憑りつかれてしまった男。持っているだけでは飽き足らなくなる。何かを撃ってみたい。当然の人間心理かもしれません。それが動物、そして人間へと。

何年か前の「神戸連続児童殺傷事件」の少年Aもそうでした。彼の場合は銃ではなくナイフでしたが、やはり動物から人間へとエスカレートしました。

 

この映画のトオルは「持ち歩いてみたい」、そして「撃ってみたい」から「撃ちたい」、そして「撃たなければならない」と、逆に銃に支配されていきます。

 

人間の欲望とは「~したい」から「~ねばならない」に変化していくのでしょう。そうなると目的が目的化してしまい、その目的に自分が支配されてしまうという結果が生まれてきてしまうのかもしれません。

 

この映画を観ていてなぜか連続射殺魔・永山則夫を描いた新藤兼人監督の『裸の19才』を思い出してしまいました。これは貧困が問題でしたが、今日の映画はネグレクトですか。

久しぶりに白黒映像を観ましたがよかったです。最後の血の海を際立たせるためのパートカラーだったのでしょうか。なぜか私は白黒映画が好きです。パートカラーと言えばピンク映画に多かったし、黒澤明の『天国と地獄』、松本俊夫の『修羅』などが有名です。

 

中村文則の小説は何冊か読んでいるのですが、忘れてしまっています。全てが忘却の彼方です。情けない。

 

 


映画『銃』予告編

 

 

それでは今日はこの辺で。