Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚 『エレクトリック・プルーンズ(The Electric Prunes)/ Mass In F Minor』

サイケデリック・バンドの雄、エレクトリック・プルーンズ(The Electric Prunes)です。

彼らは1965年にロサンゼルスで結成されました。

当初のメンバーは

ジェームズ・ロウ(James Lowe,vo,harmonica)

マーク・テューリン(Mark Tulin,b,key)

ケン・ウィリアムズ(Ken Williams,g)

ウィーゼル・スパグノーラ(Weasel Spagnola,g,vo)

マイク・ウィークリー(Michael "Quint" Weakley,ds)

でした。

 

彼らはローリング・ストーンズのエンジニア、デイヴ・ハッシンジャーに認められ、リプリーズと契約しました。ファーストシングル「Ain't It Hard」こそチャートインしませんでしたが、第2弾の今夜は眠れないI Had Too Much to Dream (Last Night)』は全米11位の大ヒットとなりました。この時点でマイク・ウィークリーはバンドを去り、代わりにプレストン・リッター(Preston Ritter,ds)が加わりました。

バンドの曲はほとんどがアネット・タッカー(Annette Tucker)ナンシー・マンツ(Nancie Mantz)のコンビで書かれていました。レコーディングはレオン・ラッセルのスタジオでした。

 

そして1967年にファーストアルバム『The Electric Prunes』がリリースされます。

I Had Too Much to Dream (Last Night)」の他にGet Me on the World」もシングルカットされました。この曲も27位まで上昇しました。アルバム自体は全米113位とまずまずの成功でした。

 

続いて同年セカンドアルバム『Underground』がリリースされます。

このアルバムの途中でプレストン・リッターがバンドを去り、代わりに前のドラマー、マイク・ウィークリーが復帰しました。

このアルバムではオリジナル曲が増えました。キャロル・キングの曲なども取り上げています。しかし、商業的には全米172位と振るいませんでした。

 

これを受けて、デイヴ・ハッシンジャーは起死回生を狙ってコンセプト・アルバムの計画を立てました。そしてそのアレンジ一切をデヴィッド・アクセルロッドに任せました。そして出来上がったのが『Mass In F Minor』です。

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Mass in F Minor

Mass in F Minor

 

 

Side A

1.Kyrie Eleison

2.Gloria

3.Credo

 

Side B

1.Sanctus

2.Benedictus

3.Agnus Dei

 

プロデュースは デイヴ・ハッシンジャー(Dave Hassinger)です。

作詞・作曲・アレンジはデヴィッド・アクセルロッド(David Axelrod)です。

 

詩はラテン語ギリシャ語で作られ、曲はクラシックとロックを組み合わせた音楽です。多分に宗教的な内容になっています。

アクセルロッドのアレンジは複雑でメンバーたちの力量ではついていけません。結局スタジオミュージシャン達の手を借りて完成させました。

しかしそれでも世間の反応は良く、前作を上回る成功を収めました。オープニングの曲は映画『イージーライダー』にも使われ評判になりました。

 

しかしこの試みによってバンドは解散へと向かってしまいます。もう彼らがやりたがっていた音楽とは全く違う方向に向かってしまったからです。

 

次に出たアルバムには彼らの名前はありませんでした。デヴィッド・アクセルロッドとスタジオミュージシャンの名前があるだけです。

 

その後は全く新しいメンバーを募集しアルバムを1枚残しました。そしてエレクトリック・プルーンズは解散しました。

 

今日は彼らにとって何とも皮肉な結果を生んだアルバムを取り上げました。

 


The Electric Prunes- I Had Too Much To Dream (Last Night)

 

 

それでは今日はこの辺で。