Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』を観る

昨日のキネ旬シアターは『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』でした。

ポスター画像

 

監督:ケヴィン・マクドナルド

主演:ホイットニー・ヒューストン

制作:2018年 イギリス

 

正直、ホイットニーについてはあまり知識も興味もありませんでした。あまりにも有名人で人気者でしたので食指が動かなかったというのが本音です。何しろひねくれものですから。まあこの手の音楽はあまり好みではないというのもありますが。しかし、この映画を観て、私など知るはずもない事実を知り、やはり一人の人間の人生は一筋縄ではいかないなという思いを強く思わされました。

 

ホイットニー・ヒューストンは1963年、ニュージャージー州ニューアークの生まれ。1985年のデビューアルバム『そよ風の贈りもの』が大ヒット、一躍スターに。その後もヒットを飛ばし、映画女優としても活躍します。そんな華やかな彼女の人生にも、隠された真実がありました。さらには薬物・アルコールへの依存、離婚などが重なり、その後復活を果たすも2012年、わずか48歳の若さでこの世を去りました。

そんな彼女の波乱に満ちた人生のドキュメント映画です。

 

ホイットニーの母親はシシー・ヒューストンでプレスリーアレサ・フランクリンのバックコーラスやスイート・インスピレーションズのメンバーでソロシンガーとしても活躍しました。その母親の影響で幼少の頃から教会で歌っていました。従姉にはディオンヌ・ワーウィックやディー・ディー・ワーウィックなどがおり、まさに音楽一家でした。母親に似て抜群の歌唱力が備わっていました。

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父親のジョンは公務員でした。兄も歌手で異父兄はプロバスケット選手でした。兄弟も多くヒューストンファミリーは大家族でした。これが後にホイットニーの人生に大きく関与してくるのです。

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10代の頃はモデルとしても活躍しました。ある時、母親のシシー・が喉が痛いと言って、ホイットニーにステージを代われと命令します。ホイットニーは無理だと断りますが、どうしてもやれと言われ、仕方なくステージに立ちました。これが観客の大喝采を受けました。これは母親の企みでした。これが功を奏して、アリスタレコードのクライヴ・デイヴィスの目に留まり、契約に至りました。

 

そしてデビューアルバム『そよ風の贈りもの』が大ヒット、エルヴィス、ビートルズを抜いたと騒がれました。その後もヒットを飛ばし続け、彼女は大スターへの階段を上り続けました。そして1991年のスーパーボウルの開幕式にアメリカ国歌を斉唱し、これが大絶賛を浴び、後にシングルとして発売されました。

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さらに翌年、映画に初主演します。ケヴィン・コスナーとの共演『ボディ・ガード』です。この中の主題歌、ドリー・パートンのカバー曲『オールウェイズ・ラヴ・ユー』が14週連続No.1を記録する大ヒットとなりました。ここに彼女の絶頂期を迎えます。

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この年にR&B歌手のボビー・ブラウンと結婚します。ここから彼女の転落が始まります。ボビーとの間には娘クリッシーも生まれ幸せな家庭生活を築いているように見えました。ところがボビーはホイットニーとの人気の差に嫉妬するようになり、さらにホイットニーのマネジメントの主導権争いがボビーと父親ジョンの間に起こり、ファミリーもぎくしゃくしてきます。ホイットニーのファミリーは全て彼女の莫大な収入を糧としていました。

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ホイットニーは随分前から麻薬に手を染めていました。そしてその量はどんどん増えました。とうとう空港で捕捉され、激しく痩せた姿をテレビのインタビューで追及されるとその使用を認めました。夫のボビーは浮気のし放題。離婚説も流れ始めます。ホイットニーは麻薬漬けで子育ても放棄。やがて娘クリッシーも麻薬に手を出し、親子して麻薬漬けになってしまいました。ホイットニーは幼少の頃、性的虐待を受けていました。それも従妹のディー・ディー・ワーウィックからでした。そのため、我が子供をどのように愛していいのかわからなかったようなのです。言動も荒っぽくなっていきます。さらに父親の葬儀にも参列せず、世間からの非難が続きました。

 

2006年には離婚成立。それでもホイットニーは何とか立ち直ろうと施設への入所を決断します。しかし途中で資金難になってしまい、施設を退所せざるを得なくなりました。あれほど稼いだ金はどこへ行ってしまったのか。スッカラカンだったようです。その資金稼ぎのためにツアーを開催すると言い出しました。レコード会社のクライヴ・デイヴィスは反対しますが、ホイットニーは強行します。ところがやせ細っていた身体は醜く太り、かつての美声はどこへやらで、観客からは大ブーイングでツアーは失敗に終わりました。

 

そして、2012年2月11日、ビバリーヒルズのホテルで浴槽にうつ伏せに倒れているのを発見され、死亡が確認されました。僅かに48歳でした。おそらくコカインによる心臓発作だったのでしょう。

2015年7月には娘のクリッシーが17歳の若さで亡くなりました。

 

ホイットニー・ヒューストンは史上最も売れた女性シンガーとしてギネスに記録され、その売り上げはレコード2億枚と言わています。

 

表向きあれほど華やかだった女性シンガーも、その奥には多くの苦悩を抱え、そして転落していったのです。最後は胸が痛みました。大スターならではのドキュメンタリー映画でした。

 

 


映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』予告編

 


ホイットニーヒューストン「I will Always love you」

 

それでは今日はこの辺で。