Flying Skynyrdのブログ

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ウェストコーストのそよ風『ダン・フォーゲルバーグ(Dan Fogelberg)/Souvenirs』

アメリカのシンガー・ソングライターダン・フォーゲルバーグ(Dan Fogelberg)は1951年、イリノイ州ピオリアの出身で、両親は共に音楽家。小さい時から音楽に親しみ、クラシック・ピアノを習っていました。やがてポピュラー音楽にも興味を持ち、高校時代にはビートルズコピーバンドも組んでいました。

バンドの解散と共に、フォークシンガーになり、コーヒーハウスやクラブで活動するようになりました。そして知り合ったマネージャーのアーヴィン・エイゾフと共にロサンゼルスへと向かいました。そこでプロデューサーをさがしながら、トルバドールなどのクラブやヴァン・モリソンの前座を務めました。

しかし結局プロデューサーは見つからず、ナッシュビルへと向かいます。ここで名プロデューサーでセッションマンのノバート・プットナム(Norbert Putnum)と知り合い、ファーストアルバムをレコーディングすることになります。

そのアルバム『Homefree』は1972年にリリースされました。

バックにデヴィッド・ブリッグスやケニー・バトレー、ウェルドン・マイリックなどが参加しました。

しかしこのアルバムは地味な印象でCBSにも気に入られず、プロモーションも十分ではなく注目されませんでした。

 

そしてレコード会社をエピックに変え、プロデュースもジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)に変え、セカンドアルバム『Souvenirs』を制作しました。

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Side A

1.Part of the Plan

2.Illinois

3.Changing Horses

4.Better Change

5.Souvenirs

6.The Long Way

 

Side B

1.As the Raven Flies

2.Song from Half Mountain

3.Morning Sky

4.(Someone's Been) Telling You Stories

5.There's a Place in the World for a Gambler

 

ダン・フォーゲルバーグはギター、ピアノ、シンセサイザー、オルガン、キーボードをこなすマルチプレイヤーでコーラスまで多重録音でこなしています。一人CSN&Yと呼ばれた所以です。

 

その他にも豪華なメンバーが揃いました。

 

ダン・フォーゲルバーグ(Dan Fogelberg,vo,g,p,synthe)

ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh,g)

ジェリー・べークリー(Gerry Beckley,g)

アル・パーキンス(Al Perkins,pedal steel,banjo)

ラス・カンケル(Russ Kunkel,ds)

ドン・ヘンリー(Don Henley,ds,backing vo)

ジョー・ララ(Joe Lala,ongas,timbales,tambourine)

ケニー・パサレリ(Kenny Passarelli,b,sousaphone)

ブライアン・ガロファロ(Brian Garafalo,bass)

ポール・ハリス(Paul Harris (p)

ジミー・ハスケル(Jimmie Haskell,accordion)

グレン・フレイ(Glenn Frey,backing vo)

グラハム・ナッシュ(Graham Nash,harmony vo)

ランディ・マイズナー(Randy Meisner, choir)

 

プロデュースはジョー・ウォルシュです。

 

メンバーを見るとまるでスティーヴン・スティルスのマナサスのメンバーと、イーグルスのメンバーの合同編成のようです。 ジョー・ウォルシュはこの時はまだイーグルスには加入していません。

このアルバムは全米17位を記録しました。

 

A-1はシングルカットされ31位になりました。軽快なロックンロールナンバー。まるでマナサスです。

A-2は打って変わってスローナンバー。

A-3はカントリーロックっぽいナンバー。これもスティルスの影響大な曲。

A-4はロジャー・マッギンがソロアルバムでカバーした曲です。しっとりと来るバラード風のナンバー。

A-5はタイトルナンバー。

B-1はメロディアスなロックナンバー。ダンの頼りなげなヴォーカルが逆にいい味を出しています。

B-2はダンのアコースティック・ギターとピアノ、シンセのみの静かな曲。

B-3は再びカントリーロックナンバー。これもマナサスに近い。

B-4はゲレン・フレイとドン・ヘンリーがバック・ヴォーカルで参加。ウェストコーストサウンドです。

B-5は最期を締めくくるドラマティックに盛り上がっていくナンバーです。

 

 

ダンはその後も順調にアルバムをリリースします。1979年のPhoenixは全米3位を記録するヒットとなりました。そして1981年には傑作『The Innocent Age』を発表します。

  

その後も80年代は社会問題を扱った曲などを作り活躍しましたが、90年代になるとアルバムも低迷しました。

そして2007年、前立腺癌でなくなりました。享年56歳でした。長く一線で活躍したマルチプレイヤーでした。

 

Souvenirs

Souvenirs

 

 


Dan Fogelberg, "Part of the Plan"


Dan Fogelberg - Better Change


Dan Fogelberg - As The Raven Flies


DAN FOGELBERG • Illinois • 1974

 

それでは今日はこの辺で。