今日の「聴き比べ」は『また逢う日まで』です。
『また逢う日まで』と言えば、尾崎紀世彦の歌唱で有名です。1971年のレコード大賞の受賞曲です。爆発的なヒットをしました。
高校生の時の修学旅行で京都に行った時に、歌声喫茶なるものに入ったら、この曲をみんなで合唱していました。私は聴いたことがなかったので、京都ではこんな歌が流行っているんだな、などと思いました。それから暫くしたらこの曲がテレビで何度も歌われるようになり、驚きました。歌っている人の迫力ある歌いかたにも驚いたものです。
しかし、後になって知ったのですが、この曲の原曲はグループサウンズのズー・ニー・ヴーが1970年に発売し歌った曲でした。タイトルは『ひとりの悲しみ』です。作詞は阿久悠、作曲は筒美京平でした。詩が『また逢う日まで』とは全く違っています。
この曲は阿久悠が「安保闘争に挫折した青年の孤独」をテーマに作詞したものでした。しかし、売れませんでした。ズー・ニー・ヴーはその前年に『白いサンゴ礁』でヒットを飛ばしていました。グループサウンズも末期の頃で、どちらかというとフォークっぽい曲でした。この『ひとりの悲しみ』もその路線を狙ったのでしょうが不発でした。
作詞:阿久 悠
作曲:筒美 京平
明日が見える 今日の終りに
背のびをしてみても 何も見えない
なぜか さみしいだけ なぜか むなしいだけ
こうして はじまる ひとりの悲しみが
こころを寄せておいで あたためあっておいで
その時二人は何かを見るだろう
一人がだまって いたい時には
一人はなぜかしら 話したくなる
なぜに 二人だけが なぜに 話せないの
こうして はじまる ひとりの悲しみが
こころを寄せておいで あたためあっておいで
その時二人は何かを見るだろう…
ズー・ニー・ヴーZoo Nee Voo/ひとりの悲しみHitori No Kanashimi (1970年)
その頃、筒美京平の楽曲を管理していた日音の村上司は、カントリーバンド上がりの尾崎紀世彦にこの歌を歌わせたところ、尾崎も気に入り、村上は阿久悠に歌詞を変えて欲しいと頼みました。阿久悠は渋々了解し、「別れ」をテーマにした詩に書き替えました。そして生まれたのが『また逢う日まで』でした。
作詞:阿久 悠
作曲:筒美 京平
また逢う日まで逢える時まで
別れのそのわけは話したくない
なぜかさみしいだけ なぜかむなしいだけ
たがいに傷つきすべてをなくすから
ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
また逢う日まで逢える時まで
あなたは何処にいて何をしてるの
それは知りたくない それはききたくない
たがいに気づかい昨日にもどるから
ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
尾崎紀世彦にとってはこの曲との出会いは人生を変えたと言っても過言ではないでしょう。テレビに出演したときは最後の最後まで必ずこの歌を歌っていました。尾崎紀世彦は2012年、肝臓がんのため亡くなりました。69歳でした。
それでは今日はこの辺で。