私がフィル・スペクター(Phil Spector)の名を始めて知ったのは、たぶんビートルズ(The Beatles)のラストアルバム『レット・イット・ビー(Let It Be)』によってだと思います。
紆余曲折の末出来上がった本アルバムを最終的にプロデュースしたのがフィル・スペクターでした。元はジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドのシングルのプロデュースにジョージ・ハリソンがフィル・スペクターを紹介したのが始まりです。そして行き詰っていた「ゲット・バック・セッション」の音源のレコード化をフィル・スペクターに任せたのです。そして『レット・イット・ビー』が完成しました。ジョンとジョージは彼の仕事を評価し彼らの後のソロアルバムでもフィルを起用しました。ジョンの『ジョンの魂(Plastic Ono Band)』『イマジン(Imagine)』『ロックンロール』、ジョージの『オール・シングス・マスト・パス』です。
しかし、ポール・マッカートニーは不満でした。特に「ロング・アンド・ワインディンング・ロード」での過剰なオーヴァーダヴとオーケストラサウンドには全く不満でした。しかし契約上発売するしかありませんでした。
2003年にはフィルのオーバーダヴを取り除いた『レット・イット・ビー…ネイキッド(Let It Be... Naked)』が発売されました。
前置きが長くなりました。フィル・スペクターです。
彼は1960年代のポップス界をリードした大物プロデューサーです。この『レット・イット・ビー』を買うまでは彼を知りませんでしたが、曲は知っているものが多くありました。彼のサウンドは「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれました。なんじゃそりゃ、となりますが、要はオーバーダヴィングを何度も施し重厚なサウンドを作り上げる、ということのようです。
彼がプロデュースしたロネッツ(The Ronettes)、クリスタルズ(The Crystals)などはアメリカで大ヒットを飛ばしました。
1980年代になると彼の功績が見直されレコードなども再発されました。私も遅ればせながら買い集めました。
Ronettes - Be My Baby, in color! (1963)
確かにこれらの音楽を聴くと軽いメロディーの曲もずっしりとした重みが出ています。彼はその音を出すために執拗なまでに多重録音を繰り返しました。偏執狂的なところもあったようです。それはビートルズのプロデュースの際にも現れていたようで、周りのスタッフたちは頭を抱えていたようです。気に入らないとジョン・レノンにも銃を向けたりしていたようです。そして麻薬の常習犯でとうとう1980年以降は現場から退きました。
そして、2003年には女優のラナ・クラークソンを自宅で射殺したとして逮捕され、結局禁固19年の刑が言い渡されました。現在は薬物中毒治療施設に収監されているようです。
とにかく奇人変人で、奇行も多く変わり者でしたが、音楽界に残した功績は偉大なものがありました。
フィルが放ったヒット曲は日本でも多くの歌手がカバーしていました。私もそれらを聴いて曲を知ったようなものでした。
それでは今日はこの辺で。