Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

『エヴァ・キャシディ(Eva Cassidy)』を聴く

今日は久しぶりに買ったエヴァ・キャシディについて書いてみたいと思います。

今回購入したのは2007年の発売の『Somewhere / Eva Cassidy

私が初めてエヴァのCDを購入すたのは今から約10年ほど前でした。彼女の2枚目のアルバム『Live At Blues Alley / Eva Cassidy』です。

実はこのアルバムが発表された時(1997年)には彼女は既にこの世にはいませんでした。最後のライヴということになります。若干33歳、黒色腫(皮膚がんの一種)で亡くなりました。1996年でした。

このライヴ盤が発売された当時は、彼女はほとんど無名でした。死後、生前に録音されていた彼女の3枚目のアルバムとして発表された『Eva By Heart / Eva Cassidy』と先ほどのライヴアルバムの2枚からのコンピレーションアルバム『Songbird / Eva Cassidy』が大ヒットし彼女は一躍有名になりました。

 

その後、彼女の未発表作品が次々と発表され今回の『Somewhere』もその一環として発表されたものです。

なにしろ最初のライヴアルバムで彼女の音楽性の幅の広さに驚かされました。ライヴ会場がジャズクラブということもあってジャズナンバーは多いのですが、その他にブルースナンバー(T-Bone WalkerのStormy Monday)からアル・グリーンカーティス・メイフィールドなどのソウル、さらにはピート・シーガーサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」などのフォークまであらゆるジャンルの曲が選曲されていて、一見まとまりに欠けるように思われるかもしれませんが、これが実にバランスが取れていて素晴らしいライヴアルバムになっています。

今回購入した『Somewher』はオープニングナンバーにドリー・パートンの曲を持ってきているようにカントリーやフォーク調の曲が目立ちますが、それでもブルースナンバーやソウルナンバーもしっかり入っており、ガーシュインの「サマータイム」も入っています。ラストはかつてのボーイフレンドで、彼女のプロデューサーでもあったChris Blondoとの共作であるタイトル曲でしっとりと締めくくられています。おそらく彼は彼女の死を予期し、数多くの録音を残していたのでないかなと想像します。

彼女は本当に声がきれいで透き通っていて聴いていて癒されます。改めて惜しい人を亡くしたと感じさせてくれました。

先日紹介したサンディ・デニーが31歳、共に早すぎます。

 

それでは今日はこの辺で。

『ニーゼと光のアトリエ』を観る

今日のキネ旬シアターは『ニーゼと光のアトリエ』でした。

監督:ホベルト・ベルネール

主演:グロリア・ペレス

2015年の7ブラジル映画です。

 ポスター画像  f:id:lynyrdburitto:20170522135201p:plain

ブラジル映画というと、私の場合『黒いオルフェ』(これまた古い)ぐらいしか見た記憶がありません。ほとんど初体験のようなものでした。

この映画はニーゼという実在の女性精神科医の話です。

1944年、リオ・デジャネイロの国立医療センターに再赴任したニーゼは、精神病患者に対する治療方法が電気ショックや外科手術(ロボトミー手術)など暴力的な治療が中心に変わってきてしまっていることにショックを受けます。その治療方法に反対するニーゼは窓際の作業療法所の責任者に指名されます。着任するとやる気のない看護師たちとまったく生気のない、または暴力的な患者たちが待っていました。

ニーゼは手始めに薄汚れた作業所の掃除から始め、患者の様子をじっくりと観察します。暴れる患者を暴力で押さえつけようとする看護師にも、手出しを許さず、好きなようにさせなさいと命令します。

ある日、ニーゼは患者に絵筆を持たせてみたいとの提案を受けます。半信半疑でニーゼはやらせてみました。すると患者の中に絵筆を持って、キャンバスに絵を描くものが現れ、中には初めから素晴らしい絵を描く患者までいました。そしてその輪は徐々に広がり多くの患者が絵を描き始め、その表情や行動はは穏やかになっていきました。ニーゼは無意識を自由に表現させることが大切なのだと気づきます。

さらに施設内で犬を飼い始め、動物療法のようなことも始めました。しかし、病院施設内で犬を飼うことは禁止されており、すぐにやめなさいと警告されます。それでもニーゼは頑として言う事を聞きません。ある日、犬は皆殺しにされました。患者のショックは大きく、中には看護師に暴力をふるい大けがをさせてしまった者もいました。その患者は、ニーゼの反対にも拘わらず、手術を受けさせられました。

それでも絵画や彫像による治療方法の効果は大きく、退院できる患者まで出てきました。そしてブラジルでも著名な美術評論家がその絵の芸術性の高さを認め展覧会の開催を提案します。ニーゼは心理学者のユングに芸術療法の効果についての書簡を送り、ユングもそれを絶賛しました。やがて、展覧会は開催され多くの観客の感動を与えました。

最後に患者の実際の映像や写真は公開され、さらにニーゼの実際の映像が流されました。

この当時の精神病患者(統合失調症)に対する治療法というのは大体が外科的療法だったということです。この映画の中でもニーゼのように外科的療法以外の精神療法を唱えるのはごく少数で、しかも男性優位の社会の中で芸術療法なるものを実践していく苦悩は相当なものっだたことは簡単に推測されます。それでもニーゼが権威主義の男性医師に屈服することなく、自分の確信に基づく治療方法を貫く強さには感服します。

ロボトミー手術は1949年にはノーベル生理学・医学賞をとったそうです。しかし、術後廃人同様になった患者の家族からは抗議を受けた例もあったようです。ロボトミー手術というのは映画でも説明されていましたが、前頭葉の神経をアイスピックで切断するという乱暴な手術です。患者のその後1950年代になるとその治療方法が人道的に問題があるとして廃止されるようになったそうです。また電気ショック療法というのは高圧の電流を患者の首に当て、一時的に暴れるがその後はおとなしくなるという、なんとも乱暴な非人道的な療法です。これも映画で実演していましたが、こういう治療で統合失調症が治るなんて本気で考えていたのでしょうか。恐ろしいです。というか、精神を病んだ患者は人間扱いされていなかったという事でしょう。

オープニングの場面でニーゼが病院の門を叩きますが誰も出てきません。しつこくしつこく叩いてようやく開けてもらいます。この場面で象徴されているように女性への差別そしてさらに精神病患者への差別など当時のブラジルだけではなく世界的な社会風潮を描いた作品でした。

最後にニーゼ本人が「1万人いたら1万通りの生き方、人生がある」と言っています。彼女が言うと重みがあります。

 

デイヴ・ホール(Dave Hole)、コリン・ジェイムス(Colin James)、再び

 先日のデイヴ・ホールのCDを見つけましたので早速購入しました。

Dave Hole / Steel On Steel

これは彼にとっての4枚目、1995年の作品です。

1曲を除いて全てオリジナル曲です。その1曲はドン・ニックス(Don Nix)の「Going Down」です。この曲は多くの人が取り上げています。特にブルース系の人。

前回聴いたアルバムよりはブルース色が薄く、ロック色が強いです。相変わらずスライドギター弾きまくりですが、前回のアルバムより12年前ということで、よりブルース色が強いのかと思っていたら肩透かしを食ったような感じです。悪くはありません。

 

もう1枚見つけたのはこれも先日取り上げたコリン・ジェイムスです。

Colin James / Limelight』です。

これは彼にとっての通算9枚目のアルバム、2005年の作品です。

なんと2曲目ではボブ・ディランの「川の流れを見つめて(Watchin' The River Flow)」をブルースアレンジたっぷりで演っています。

またヴァン・モリソン(Van Morrison)の曲を2曲も取り上げています。10枚目のアルバム『A Period Of Transition』に入っている「It Fills You Up」と3枚目のアルバム『Moondance』に入っている「Into The Mystic」です。それとニック・ロウロックパイル(Rockpile)時代の曲「When I Write The Book」も取り上げています。その他の10曲はオリジナルです。

オープニングはポップな曲でスタート。これまた意外です。私が持っている最新のアルバムが1998年ですから、この間にこのような曲も演るようになったのでしょう。

全体的には完全にロックアルバムです。バラード風もあり、ややブルース調ありといったところです。ブルースロックを期待して購入すると期待外れになるかもしれませんが、私はこういうのも好きなので結構満足しました。ヴァン・モリソンのカバーはヴォーカルの迫力ではかないませんが、しゃがれた声がいい味を出しています。

クリス・コーネル(Chris Cornell)逝く

クリス・コーネルの訃報が届きました。52歳でした。早すぎます。どうやら自殺だったらしいです。

ヘヴィーメタルグランジ系のバンド、サウンドガーデン(Soundgarden)とオーディオスレイヴ(Audioslave)のヴォーカリスト兼ギタリストでした。私もこの2つのバンドのCDを5枚ほど持っていました。

 

       

 今、久しぶりにこれらのCDを聴いています。

ヘヴィーメタルの勢いに陰りが出てきた1980年終盤ごろ、グランジと呼ばれるオルタナティヴにメタルが混ざったようなサウンドが出てきましたが、サウンドガーデンはその先駆けだったのではないでしょうか。ツェッペリンを思い起こさせるようなところもあり、重たくてヘヴィロックといってもいいようなサウンドです。

ニール・ヤングのツアーに参加したこともあります。ニールも一時グランジに傾倒した時期もありました。4枚目のアルバム『スーパー・アンノウン(Superunknown)』は全米1位を獲得しました。1997年にバンドは一旦解散します。

その後クリスはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(Rage Against The Machine)のメンバーとスーパー・グループ、オーディオ・スレイヴを結成します。3枚のアルバムを発表しますが、いずれも高評価で、特に2ndは全米1位を獲得しました。サウンドはまさにロックそのもので、メロディアスなところもあり、70年代をも彷彿とさせ聴きやすいです。その後クリスが脱退を表明、バンドは活動休止。

クリスはその後サウンドガーデンの再結成に参加します。そしてアルバムを1枚発表します。そして今月早すぎる死を迎えました。

私はクリス・コーネルの特別なファンでもありませんでしたが、ニール・ヤングの関係から、あるいはツェッペリン、サバスを思い起こさせるサウンドで結構気に入っていましたので残念です。

もう少しCDを聴きながら冥福を祈りたいと思います。

 

追伸 久しぶりのオーディオ・スレイヴ、やっぱりいい(特に3枚目)!

『殺人鬼フジコの衝動』の読後感は

最近、イヤミスなる言葉を知りました。「読んだ後にいやな気分になるミステリー」だそうです。知るのが遅かったですが。

このところ読む小説といったら女流作家が圧倒的多く、たまたまそうなのか、意識して女流作家を選んでいるのかは自分でもよくわかっていませんが、実際にそうなっています。最近では桜庭一樹沼田まほかる桜木紫乃村山由佳などなどです。昔から女流作家は嫌いではなく、小池真理子乃南アサ桐野夏生唯川恵高村薫宮部みゆき篠田節子角田光代林真理子などなど結構な数の女流作家を読んできました。その理由の多くは、女流作家が意外と(といっては失礼ですが)男性の気持ちがよくわかっていて、心理描写が面白いというところだと思います。もちろんミステリーではストーリーの面白さは欠かせませんが、それに加えて男の気持ちをうまく表現しているということだと思います。

ところで最近読み終わった『殺人鬼フジコの衝動』はイヤミスの代表作と言われているそうです。作者は真梨幸子です。初読みです。

 

 

この小説、最低でも15人を殺害したフジコという女の話ですが、その構成がちょっと面白いのです。

まず、「はしがき」から始まります。このはしがきはある女性作家と思われる人物(最後に明かされます)がある女性から送られてきた小説を紹介しますというものです。

そして第1章から第9章まで続き、「あとがき」で終わります。「あとがき」は「はしがき」を書いた人物です。第1章から第2章までは小学生の女の子の視点、3章以降8章まではフジコ(藤子)を主役とした物語、9章はまた女の子の視点という構成なのです。2章から3章に移った時に初めて主人公の名前(藤子)が登場します。それまでは小学生の女の子の1人称で語られます。そして一家惨殺事件が起き、両親と妹が殺され藤子だけが助かりその後、藤子が殺人鬼になっていく姿が三人称で描かれています。そして、9章で女の子の名前が初めて判明します。そこで、1,2章での主役は藤子ではなかったんだと気づかされたのです。気付くのが遅いのかも。

藤子は両親から虐待を受け育ちます。一家惨殺された後は叔母夫婦に育てられます。この叔母は姉、つまり藤子の母親を毛嫌いしています。決して母親のようにはならないようにと事あるごとに言って聞かせます。

藤子が高校生の時、自分の彼氏と出来てしまった親友がやはり藤子に申し訳ないと思いその恋人に別れを切り出したところ、逆上した恋人は親友の首を絞めて殺害してしまいます。たまたまその場に駆け付けた藤子は途方に暮れて自首しようとする恋人を止め逆に死体を処分しようと説得します(実際にとどめに首を絞めたのは藤子なのですが)。そして二人で死体を切り刻みミンチ状態にして処分します。そして妊娠を理由に結婚を迫ります。恋人は弱みを握られ逃れることが出来ず言いなりになります。そして夢に見た結婚生活へと。が、働かない夫、うるさい舅、息子に甘い姑、そして赤ん坊の4人で狭い団地暮らし。せっかく肩身の狭い叔母夫婦との生活から逃れられたと思ったら、それまで以上の最低の生活。保険の外交員になるが成績はさっぱり、夜のバイトもやって何とか生活。そんな時、容姿にコンプレックスを持つ藤子は整形でもしたらとの話に飛びつき、そして整形が病みつきに。金が要る。あとはもう転落の一途。実は藤子は中学生の時にも殺人を犯しています。自分の行いを注意した同級生を殺害していたのですが、迷宮入りになっていたのです。また、この一家惨殺事件を追い続けていたジャーナリストも不審死を遂げています。

ぐずる娘を虐待死させ、夫も殺し、その後、整形美貌のお陰で一時は金持ちとの再婚で裕福な生活も手に入れますが長くは続かず、顔の崩れを補う整形の金や生活費のために次々と殺人を繰り返し、最後は逮捕され死刑判決を受け死刑は執行されました。

しかし、物語はこれで終わりではないのです。「あとがき」で語られる内容で、これは続編があるのだろうなと思ったら、やはりありました。今の内容を忘れないうちに読んでみようかと思っています。

実は「はしがき」と「あとがき」を書いたのは藤子の二女なのです。そして小説の書き手は藤子の長女でした。つまり、1、2章と9章の女の子は長女だったのです。長女は一家惨殺事件や母親の犯した事件も丹念に調べていたのです。長女は既に死んでいます(自殺か他殺かは不明)。長女は9章で、2章で書かれていたこととは(同級生の男子が踏切で事故にあった件)異なる事実を書いています。なぜなのか、この謎のこともあって二女はこれから育ての叔母と中学の時殺害した少女の母親に会いに行くつもりです、というところで終わります。この二人が一家惨殺事件と長女の死に大きく関係しているのではないかと疑われますが、それは続編でということになのでしょう。こうして最後の最後に謎が残ります。

桐野夏生の「OUT」や「グロテスク」、沼田まほかる湊かなえなどもイヤミスだと言われますが、私にはそんないやな読後感などありませんでした。この種類の本を読む人はもともと人間の裏の顔や人の暗部・恥部、失敗談、不幸な人生、転落の人生などを覗いてみたくて興味津々で読んでいると思うのです。私もそうです。明るいだけの、希望に満ちた小説など読みたくありませんので。ですから嫌な気分というよりはスッキリしたとか、うん納得とか、興味深いとか、妙な高揚感があるとか、という感想のほうが強いのです。「人の不幸は蜜の味」ですから。言ってみれば「ハイな気分になるミステリーで『ハイミス』」ですね(失礼しました)。つまりイヤミスなんていう言葉はこの種の本を好んで読む人には本来あり得ないのではないでしょうか。そういう話が嫌いな人はこの種類の本はもともと読まないでしょうから。猟奇物は確かにいやな気持になりますが、グロテスクだけを追求した猟奇物とは明らかに違います。猟奇物は私はあまり好みません。

ただし、この小説は読後感がよくありません。それはつまらなかったという事ではありません。なぜなのでしょうか、すっきりしません。途中からの藤子の変質ぶりが度を越しているせいなのか、現実味が薄いというのか、結末がはっきりしないせいなのかわかりませんが。やはりエンディングの納得感が欲しいのでしょうか。それでも決してイヤミスなんかではありません。

いずれにしても続編を読んでみようと思います。

『クリス・デュアーテ(Chris Duarte)』を聴く

今日は『Chris Duarte/Vantage Point 』です。

 彼のCD購入は6枚目です。比較的安価で見つけたので購入しました。この作品は彼にとっても6枚目です。今までに13枚出していますのでようやく半分です。

彼も先日のコリン・ジェイムスと同じく90年以降のブルースロック・ギタリストとして安心して聴ける一人です。それでももう54歳なんですね。早いもんです。彼の尊敬するミュージシャンはスティーヴィー・レイヴォーンとジョン・コルトレーンだそうです。スティーヴィーはわかりますが、コルトレーンは意外でした。そういえばジャズっぽい曲もやっていました。このアルバムもブルースはもちろんですが、ロックンロール、ジャズやフュージョンと様々な要素を取り入れています。とにかく気持ちいいぐらいギターを弾きまくっています。

2008年のアルバムですが、写真を見るとだいぶおっさんになっています。

これまでに購入したアルバムは次の通りです。

   

やはりファーストの印象は強烈でした。あれから20年ほど経ってしまいました。

新しいのを見つけたらまた買います。

最近ブルースロックに偏ってしまっているので、ちょっとまた別なジャンルを聴いてみたくなってきています。

 

『セッション』を観る

今日は久しぶりにキネ旬シアターに行ってきました。

映画は『セッション』です。

監督・脚本:デミアン・チャゼル

出演   :マイルズ・テラー、J・K・シモンズ

 

いやー、凄い映画でした。ジャズ・ドラマーを目指す青年とその教師の物語です。が、内容はそんな甘い世界ではありませんでした。

ストーリーはジャズ・ドラマーを目指しアメリカで最高の音楽学校に入学し勉強に励む19歳の青年・ニーマン(マイルズ・テラー)はある日、学校で最高の教師・フレッチャー(J・K・シモンズ)と知り合います。フレッチャーはニーマンの練習風景をみて自分のバンドに誘います。そのバンドの練習に参加したニーマンはフレッチャーの指導に厳しさに驚きます。まるで人格を無視したような罵詈雑言の連続、わずかな音程のズレを指摘され退場させられる者、練習の場は緊張感であふれていました。ニーマンも練習の最中にテンポのズレを指摘され散々悪態をつかれ、椅子を投げつけられ、ビンタをされ自信を無くしてしまいます。しかし、彼は必死に練習に励みます。指から血が出るほどの練習を重ねていきます。それでも補欠のドラマーの地位は変わりません。あるコンサートの時、正ドラマーが譜面をなくしてしまい、自分は暗譜をしていないのでステージには立てないと言い出し、フレッチャーは「自分は暗譜をしている」と申し出たニーマンをステージに立たせることにしました。演奏は上出来で、以降フレッチャーはニーマンを正ドラマーとして起用するようになりました。ニーマンは有頂天になり、それまで映画館の受付をしている女性に今まで心に秘めていた気持ちを打ち明け、付き合うようになりました。ところがある日、フレッチャーは新しいドラマーの候補を連れてきました。それはかつてニーマンと同じバンドにいた同級生でした。そしてフレッチャーはかつての正ドラマーと3人に正ドラマーの座を競わせました。ニーマンはますます練習に没頭せざるを得ず、恋人と付き合っている暇もないということで彼女とも別れてしまいます。そんなある日、フレッチャーはかつての優秀な教え子が交通事故で亡くなったとメンバーの前で話しながら涙を流しました。フレッチャーの意外な一面を見てニーマンは驚きましたが、その後の練習は壮絶を極めました。3人の争いは最終的にニーマンが勝ち取り、コンテストへの正ドラマーとして参加することが認められました。ところが当日、事故でバスが遅れ、会場に間に合わない事態が起き、到着した時には、ドラマーは同級生が務めると決定してしまっていました。激怒したニーマンはフレッチャーに食って掛かりましたが、スティックを忘れたことを指摘され、すぐに取ってくるから待ってほしいとなんとか説得してスティックを取りにレンタカーで戻りました。しかしスティックを持って戻る途中で交通事故にあってしまいます。それでも彼は血だらけになりながらも、なんとか会場に到着しドラム席に着き、そして演奏が開始されました。しかし怪我をした彼の腕は言う事を利かず、演奏は中断されます。そしてフレッチャーに無能呼ばわりされ、思わず飛び掛かってしまいます。それがもとで彼は退学処分となり学校を去り、別な大学へと移ります。

フレッチャーのかつての教え子が亡くなった件で弁護士がニーマンに接触してきます。教え子は交通事故ではなく自殺だったのです。フレッチャーの指導の行き過ぎで精神を病んで自殺した、だからニーマンにも訴えを起こしてほしいという事でした。ニーマンは迷った挙句、匿名でという条件で応じました。

ある日、街を歩いているとジャズ・ライブにフレッチャーが特別出演しているのを見かけ、店に入り彼のピアノ演奏を聴きます。フレッチャーと目が合って、帰ろうとしたとき呼び止められ、ニーマンはフレッチャーと話しあうことになりました。フレッチャーから誰かの訴えで学校を辞めざるを得なくなったと聞かされました。そして今はジャズバンドの指揮をやっている、よかったら正ドラマーとして参加して、近々行われるフェスティバルに出てくれないかと頼まれます。ニーマンは再びスティックを握ることを決意します。そしてかつての恋人にフェスティバルに来てほしいと頼みますが、彼女には既に新しい恋人がいて、断られてしまいます。

そしていよいよフェスティバル当日、ドラム席に着いて演奏が始まる寸前、フレッチャーが寄ってきて、「密告したのはお前だろう、俺をなめるなよ」と言い放します。そして紹介された演奏曲目はニーマンが知らされていたものとは全く別な曲でした。ニーマンには譜面もありません。フレッチャーは復讐をしたのです。全く演奏になりませんでした。これでニーマンのジャズマンとしての生命は終わり、失意のもとに舞台から降りました。父親に迎えられよく頑張ったと慰められましたが、彼は再び舞台に上がりました。そしてドラム席に着くと、指揮者フレッチャーを無視してドラムをたたき始めました。『キャラバン』です。やがて他のメンバーもドラムに併せて演奏を始めました。フレッチャーは止めろと言いますが、ニーマンは止めません。演奏はどんどん白熱していき、そして長いドラムソロに入ります。やがてフレッチャーもそのドラムソロに魅入られ、そして今度は逆に彼を励まし、最後のエンディングへと向かいます。途中まで救われない映画だと思っていましたが、最後の最後に救われました。

監督のデミアン・チャゼルは昨年『ラ・ラ・ランド』で史上最年少のアカデミー賞の最優秀監督賞を受賞した人です。この『セッション』もアカデミー賞の3部門を受賞したようです。本人もジャズドラマー志望だった時期もあり、交通事故の経験もありと、この映画製作には事故の体験が大いに役立っていたそうです。

また、ニーマンが尊敬するドラマーがバディ・リッチだったり、チャーリー・パーカーの逸話が入ったりとなかなか興味深かったです。ニーマン役のマイルズ・テラーはドラムの猛特訓をし全て本人が演奏していたようです。フレッチャー役のJ・K・シモンズの演技は迫力ありました。この映画でアカデミー賞助演男優賞をもらったそうです。

とにかく息もつかせぬ映画でした。

私はビッグバンドジャズはあまり聴かないので、バディ・リッチもレコードで2枚ほどしか持っていませんが、プロのドラマーが目指す先にいる存在なんだろうなということは理解できました。それとチャーリー・パーカー(アルト・サックス)がフィリー・ジョー・ジョーンズに演奏が下手だとシンバルを投げつけられ、その悔しさをバネにして「モダン・ジャズの父」と呼ばれるまでになったという話は、本当かどうかはわかりませんがいい話でした。