Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

聴き比べ バーズとドゥービー『Jesus Is Just Alright』

今日の「聴き比べ」は『Jesus Is Just Alright』です。

この曲はてっきりザ・バーズ(The Byrds)のオリジナルかと思っていましたが、実は違っていました。

1966年にArthur Reid Reynoldsという人が書いたゴスペルソングで、自身のバンド、ジ・アート・レイノルズ・シンガーズ(The Art Reynolds Singers)のアルバムTellin 'It Like It Isで発表したのが最初です。

www.youtube.com

 

Jesus is just alright

by Arthur Reid Reynolds

 

Jesus is just alright with me

Jesus is just alright, oh yeah

Jesus is just alright with me

Jesus is just alright

 

I don't care what they may know

I don't care where they may go

I don't care what they may know

Jesus is just alright, oh yeah

Jesus is just alright

 

I don't care what they may say

I don't care what they may do

I don't care what they may say

Jesus is just alright, oh yeah

Jesus is just alright

 

Dododo...

 

Jesus is just alright with me

Jesus is just alright, oh yeah

Jesus is just alright with me (Jesus)

Jesus is just alright

 

Jesus is just alright with me

Jesus is just alright, oh yeah

Jesus is just alright with me (Jesus)

Jesus is just alright, oh yeah

 

そして次に登場したのがザ・バーズのバージョンです。1969年に発表された彼らの8枚目のアルバム『Ballad Of Easy Rider』に収録されました。

Ballad of Easy Rider

 

前作の『バーズ博士とハイド氏』が商業的に低迷したことからプロデュースにテリー・メルチャー(Terry Meicher)を復帰させ、起死回生を狙いました。その効果があってか、映画のヒットも手伝ってビルボードの36位まで上がりました。

この中から2枚目のシングルとしてリリースされたのが『Jesus Is Just Alright』でした。しかし、これは大したヒットにはなりませんでした。


The Byrds - Jesus Is Just Alright (Audio)

 

バーズのドラマー、ジーン・パーソンズ(Gene Parsons)がアート・レイノルズ・シンガーズのレコーディングの時に居合わせ、これをバーズのメンバーに紹介し、これ以後ライブで演奏するようになったようです。

 

そして、1972年にドゥービー・ブラザース(Dobbie Brothers)がセカンドアルバム『Toulouse Street』でこの曲をカバーしました。

そして、このドゥービー・バージョンがこの曲の最大のヒットとなりました。日本公演でも演奏しました。このバージョンは基本的にはザ・バーズのアレンジを踏襲しています。


The Doobie Brothers - Jesus Is Just Alright

 

ドゥービー・ブラザースはこの後『The Captain And Me』で大ヒットを飛ばします。その下地となった彼らにとっても重要な曲でした。

 

それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ『絶望の人生(I've got a mind to give up living)』

今日の「聴き比べ」は『絶望の人生(I've got a mind to give up living)』です。

 

I've got a mind to give up living

And go shopping instead

I've got a mind to give up living

And go shopping instead

Pick me up a tombstone

And be pronounced dead

 

Well, I read your letter this morning

That was on your place in bed

Oh, when I read your letter this morning

That was on your place in bed

That's when I decided that I'd be better off dead

Oh, yeah

 

When I read your letter this morning

That was on your place in bed

Yes, when I read your letter this morning

That was on your place in bed

That's when I decided that I'd be better off dead

 

It read, "There is no use looking or ever hoping

Or ever hoping to get me back"

"Oh, no use looking, baby

Or ever hoping to get me back

Because it's all over now

And, baby, you can bet on that"

Oh, yeah

 

大好きなスロー・マイナー・ブルースです。この曲とくれば当然ポール・バターフィールド・ブルース・バンド(The Paul Butterfield Blues Band)です。1966年の彼らのセカンド・アルバム『East West』からのナンバーです。

 ポール・バターフィールドをはじめ、マイク・ブルームフィールド、エルビン・ビショップ、マーク・ナフタリンなど全盛期のメンバーが揃っています。私などはこの曲を聴いてブルースにのめり込んだと言っても過言ではありません。


The Paul Butterfield Blues Band - I Got A Mind To Give Up Living

 

そして日本ではこの人達です。グループサウンズの異端、ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)です。彼らはテレビで見せるヒット曲とは別にステージではロックやブルースを演奏していました。そんな彼らの3枚目のアルバム『ブルース・メッセージ/ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第3集』でこの曲をカバーしました。デイヴ・平尾、エディ・潘、マモル・マヌーの他、ミッキー吉野、柳 ジョージも在籍しました。

この演奏もまた1960年代の日本のバンドとは思えないくらいの素晴らしい演奏です。


I Got A Mind To Give

 

そして時は流れ、2002年、ロベン・フォード(Roben Ford)が自身のバンド、The Ford Blues Bandのアルバム『In Memory of Michael Bloomfield』でカバーしました。マイク・ブルームフィールドに捧げました。


The Ford Blues Band With Robben Ford & Chris Cain - I Got A Mind To Give Up Living

 

もちろん、御大B.B KINGもカバーしています。


B.B. King - 1968 I've Got a Mind to Give Up Living

 

どれも名演です。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『エバ・フォースバーグ(Ebba Forsberg)/Been There』

スウェーデンの女性シンガー・ソングライターエバ・フォースバーグ(Ebba Forsberg)です。

 エバ・フォースバーグは1964年、スウェーデンストックホルムで生まれました。エバ一家はエバが5歳の時に西インド諸島トルトラ島に移住しました。12歳まで過ごし、今度は南アフリカに移り8年間過ごし、スウェーデンに戻りました。

その後、エバスウェーデンでバック・ヴォーカリストとして活動します。そして1996年にマドンナでおなじみのマーヴェリック・レコードのガイ・オシアリーに認められました。彼はアラニス・モリセットを世に送りだした人物でした。

 

1997年、彼女のファーストアルバムがマーベリックからリリースされました。 

『Been There』です。

 

01.Lost Count

02.Most Of All

03.Carried

04.Photographs

05.I'll Do Fine

06.You Surprise Me

07.Take Me Some Time

08.Hold Me

09.Once Upon A Time

10.Fine Is The Line

11.Didn't Treat Me Right

12.When I Fall *

* 日本盤ボーナストラック

 

作詞は彼女の姉のKajsa Ribbingです。曲はエバ自身です。

 

1曲目から彼女の魅力に憑りつかれました。最初から最後まで飽きさせません。捨て曲は1曲もありません。彼女が幼いころからスウェーデン以外の中南米、アフリカと移り住んだ影響なのか、無国籍のポップスやジャズそしてロックを聴いているようです。

とても静かで、切なく、しかし優しく語り掛けてきます。歌詞はどこまでも内省的、抑制的です。このあたりが北欧的なのでしょうか。

 

この後、エバは2001年と2006年にオリジナルアルバム『True Love』『Ebba Forsberg』をリリースします。

 

残念ながらこれらは日本発売は無かったようです。

 

その後は、カバーアルバムを続けて2枚リリースしました。ボブ・ディランレナード・コーエンです。彼女が心酔しているアーティストらしいです。

 

2007年のディランの『Dylan På Svenska』Mikael Wieheとの競演でした。

レナード・コーエン『Ta min vals - Ebba Forsberg sjunger Leonard Cohen』は2009年のリリースでした。残念ながらこれらも日本未発売のようです。

 

2011年には『Falling Folding Flipping Feeling』、そして2015年に今度はトム・ウェイツのカバーアルバムをリリースしました。『Om Jag Lämnar Dig Ebba Forsberg Sjunger Tom』です。

 

これらも日本未発売のようです。

 

ファーストアルバムは発売しておきながら、その後は無視とはどういう訳なのでしょう。

もっとも、私自身もファーストアルバム以降購入出来ていないという非礼さであります。私の場合は経済的理由です。中古屋さんでもまず見かけません。見つけたら即買いです。

 


Ebba Forsberg - Lost Count (1998)


Ebba Forsberg- Most Of All


Hold me - Ebba Forsberg


Ebba Forsberg- Didn't Treat Me Right

 

それでは今日はこの辺で。

 

ノルウェー・メタル 『TNT/Intuition』

今日の「懐かしのヘヴィメタ・シリーズ(懐メタ)」はノルウェーのバンド、TNTです。

北欧メタルの代表的バンドです。結成は1982年です。当初のメンバーは

ダグ・インゲブリクトセン(Dag Ingebrigtsen,vo)

ロニー・ル・テクロ(Ronni Le Tekrø,g)

スタイナー・エイクム(Steinar Eikum,b)

ディーゼル・ダール(Diesel Dahl,ds)

でした。

ノルウェーにはまだまだハードロックなどと言うものは定着していませんでした。地道な活動を続け、ようやくメジャーのヴァーティゴと契約を結び、ファーストアルバムTNTを1983年にリリースしました。

このアルバムは、ノルウェー語で歌われており、発売もノルウェーのみでした。バリバリのヘヴィメタです。しかし、商業的にはパットしませんでした。

 

上手くいかないとバンド内に不協和音が立ち始めます。まずステイナー・エイクムが脱退します。そして中心人物のダグ・インゲブリクトセンまで脱退してしまいます。代わりにモーティ・ブラック(Morty Black,b)が加入し、さらに難航したヴォーカルはアメリカ人のトニー・ハーネル(Tony Harnell,vo)が選ばれました。

 

そして早速セカンドアルバムのレコーディングを開始し、1984年にセカンドアルバム『Knights of the New Thunder』をリリースします。

このアルバムは国内でもトップ10に入るヒットでした。ノルウェー国外でも発売されました。これで知名度も上がりました。路線は前作を踏襲しています。

 

1987年にサードアルバム『Tell No Tales』がリリースされます。

トニー・ハーネルの天にも届くようなハイトーン・ヴォーカルとメロディアスでポップな曲が笛、バンドが生まれ変わったような印象を受けました。このアルバムでTNTは日本でも人気が大いに高まりました。

 アルバムは本国で3週連続1位、シングル「10,000ラヴァーズ」は2位になりました。アメリカでもビルボード200のチャートインを果たしました。

ドラマーがディーゼル・タールからケネス・オディイン(Kenneth Odiin,ds)に代わります。

 

そして1989年、4枚目のアルバム『Intuition』がリリースされます。

 

01.A Nation Free (Intro)

02.Caught Between the Tigers

03.Tonight I'm Falling

04.End of the Line

05.Intuition

06.Forever Shine On

07.Learn to Love

08.Ordinary Lover

09.Take Me Down (Fallen Angel)

10.Wisdom

11.Electric Dancer

 

プロデュースはBjørn Nessjøです。

ジョー・リン・ターナーがバックヴォーカルで参加しています。

前作よりもさらにポップに、そしてメロディックになりいかにも北欧メタル然としてきました。ハイトーン・ヴォーカルとロニーの速弾きギターが目立ちます。

シングルの「Intuition」が本国のチャートで5位を記録します。アルバムもビルボード200入りを果たしますが、TNTは「ヨーロッパ」や「スコーピオンズ」のようにアメリカでの商業的成功は収められませんでした。

 

ケネス・オディインが脱退し、ジョン・マカルーソ(John Macaluso,ds)が加入します。そして、1992年に5枚目のアルバム『Realized Fantasies』がリリースされます。

アメリカを意識したのか北欧らしさが交代し、アメリカン・ロックに近づいたようなアルバムになりました。

 

そして、予想どうり1992年に解散を宣言します。

 

1996年、バンド再結成。トニー・ハーネル、ロニー・ル・テクロ、モーティ・ブラックの3人による再結成でした。そして6枚目のアルバム『Firefly』を1997年にリリースします。

もはやヘヴィメタではありませんでした。オルタナバンドになってしまいました。

 

このあと、アルバム1枚『Transistor』をリリースして解散状態になります。

 

 

その後、2003年に再び再結成し現在も活動中です。

レコード会社のプロモーションが成功していればアメリカでの成功も当然あったでしょう。

『Tell No Tales』と『Intuition』は名作でした。

 


TNT - Tonight I`m Falling


TNT - Intuition


TNT - End Of The Line


TNT - Take Me Down (Fallen Angel)

 

それでは今日はこの辺で。

デビー・デイヴィーズ(Debbie Davies)『Blues Blast』入手

まとめ買いしたCDの内、先日紹介したデビー・デイヴィーズ(Debiie Davies)のもう1枚が届きました。2007年の11枚目のアルバム『Blues Blast』です。先日のアルバムの前の作品になります。

 

1. A.C. Strut (Coco Montoya)

2. My Time After Awhile (Coco Montoya)

3. Sittin' and Cryin' (Coco Montoya, Charlie Musselwhite)

4. Movin' & Groovin' (Charlie Musselwhite)

5. Crawling King Snake (Tab Benoit)

6. Howlin' For My Darlin' (Tab Benoit)

7. Like You Was Gone (Coco Montoya)

8. Where the Blues Come To Die (Coco Montoya, Tab Benoit, Charlie

9. Sonoma Sunset (Coco Montoya, Tab Benoit, Charlie Musselwhite)

 

今回はゲスト陣が凄いです。ギターにココ・モントヤ(Coco Montya)タブ・ベノワ(Tab Benoit)、ハープでチャーリー・マッスルホワイト(Charlie Musselwhite)が参加しています。

いずれも好きなミュージシャンなので、聴く前からワクワクします。デビーとタブ・ベノワは以前にも一緒に組んでアルバムを出していました。

 

その他のミュージシャンは

Bass  Rod Carey

Drums  Per Hanson

Organ  Bruce Katz

です。

プロデュースはRandy Labbeです。

 

 

1曲目はインストでココ・モントヤのギターです。デビー作。

2曲目もココのギター。デビーのボーカル。Robert L. Geddins,Ron Badger 作。

3曲目はここのギターとチャーリーのハープ。デビー作。

4曲目はチャーリーのボーカルとハープ。チャーリー作。

5曲目はタブ・ベノワのギターとボーカル。ジョン・リー・フッカー作。

6曲目はタブのギター。デビーのボーカル。C.バーネット、W.ディクソン作

7曲目はココのギター。タブのボーカル。チャーリーのハープ。D.Castagno作。

8曲目はココのギター。デビーのボーカル。デビー作。

9曲目はココとタブのギター。チャーリーのハープ。ココとデビー作。インスト。

 

オープニングとエンディングがインストで決めています。これは次作への伏線でしょうか。

 

デビーは様々なミュージシャンとのコラボレーションが有名ですが、今回もブルース界の大物との競演で、どっぷりブルースロックを楽しめました。やっぱりブルースはいいですね。

 

ライブ音源しかありませんでした。


DEBBIE DAVIES - "MY TIME AFTER A WHILE"


Debbie Davies Howlin' For My Darlin'.wmv


Debbie Davies - Where The Blues Come To Die - Don Odells Legends


Debbie Davies Sonoma Sunset

 

それでは今日はこの辺で。

映画『永遠に僕のもの』を観る

昨日のキネ旬シアターは『永遠に僕のもの』でした。

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監督:ルイス・オルテガ

主演:ロレンソ・フェロ、チノ・ダリン、ダニエル・ファネゴ

制作:2018年 アルゼンチン、スペイン 日本公開 2019年

 

アルゼンチン史上最悪の犯罪者をモデルにした実話です。その名は「死の天使」と呼ばれたカルロス・ロブレド・プッチ

1971年から72年にかけて、11人の殺人、1人の殺人未遂、42件の強盗、その他強姦、性的虐待など悪事の限りを尽くしたカルロスはその時まだ19歳でした。1972年2月に逮捕された時には20歳になったばかりでした。

「映画 永遠に僕のもの」の画像検索結果

 

映画は1971年、ブエノスアイレス。カルロスことカルリートスは善良な両親のもとに育ちましたが、欲しいものがあると何でも手に入れたくなり窃盗を繰り返します。家には見慣れないものがたくさんありますが、両親は気が付いていますが厳しく注意できません。少年院にも入り、転校を余儀なくされました。カルリートスの心情は「みんなどうかしている、もっと自由に生きられるのに。楽しまなきゃ。」というものでした。

 

カルリートスは新しい学校で知り合った少年ラモンに急速に惹かれます。ラモンもカルリートスを気に入ります。ラモンはカルリートスを父親のホセに紹介します。そこで父親から銃を撃たせてもらい興奮したのです。ホセは前科者でした。そして3人で銃砲店に強盗に入りました。そこで大胆な行動をとるカルリートスにホセは感心し、しかし危険性も感じました。

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ある時は強盗に入り、起きてきた家のものを何のためらいもなく撃ち殺しました。まるで強盗や殺人を楽しんでいるようです。その後も次々と強盗をはたらき、都度殺人も繰り返します。

 

しかし、次第にラモンとの間に溝が生まれます。ラモンは足を洗いたいと言い出したのです。苛立つカルリートスはラモンと同乗した車でわざと事故を起こし、最愛の友人ラモンを死なせてしまいます。それからはラモンの新しい相棒ミゲルと組んで強盗を繰り返しますが、ささいな諍いからこのミゲルも残虐な殺し方で殺してしまいます。

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やがてカルリートスに捜査の手が伸び、逮捕されます。世間は美少年ということもあって、この稀にみる少年犯罪をセンセーショナルに報道します。両親は精神障害だということを主張しろと説得しますが、本人は自分はまともだと言って聞きません。そしてスプーンを飲み込んで医務室へ行った際に隙をついて脱走します。

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電車に乗ったカルリートスは初めて涙を流します。カルリートスはラモンの家に行きました。しかし、そこは空き家になっていました。一晩そこで過ごし、翌朝そこから自宅へ電話をします。電話に出た母親から「帰ってきて」と言われますが、様子がおかしいことに気付き「ラモンの家にいる」と言って電話を切ります。

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置き忘れていたラジオのスイッチを入れると音楽が流れてきました。カルリートスは音楽に合わせて踊り始めました。やがて外は警察の包囲網で一杯になりました。それでもカルリートスは踊り続けるのです。

 

果たしてカルリートスの流した涙はなんだったのでしょう。後悔か、寂寥感か、いやいやこの少年は明らかにサイコパスです。良心のかけらも無く、罪悪感もなく、平気で嘘をつく、自己中心的。そんなサイコパスの特徴が至る所に見られます。そのような人間に後悔や孤独感などありません。とすると涙の意味は何だったのでしょう。何か中途半端です。もっと徹底的にサイコパス人間を描いてもらいたかった。

あなたの隣にもサイコパスはいるかもしれません。普段は普通の人と全く変わらず生活しています。気を付けましょう。

 

カルロス・ロブレド・プッチは現在67歳。終身刑で今も服役中です。

 

 

 


【公式】『永遠に僕のもの』8.16(金)公開/本予告

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ『亜麻色の髪の乙女』

今日の「聴き比べ」は亜麻色の髪の乙女です。

 「亜麻色の髪の乙女」とくれば私などは当然ヴィレッジ・シンガーズを思い浮かべます。

ところが原曲は違うんです。1966年に青山ミチという、巨乳歌手の元祖が風吹く丘というタイトルでレコーディングし、ポリドールから発売されました。しかし、青山ミチ覚せい剤で逮捕され、さらに彼女がクラウンへ移籍したため、レコードは回収。幻のレコードとなりました。

青山ミチはミッチーの愛称で人気があり、エミー・ジャクソンの涙の太陽のカバーでヒットを飛ばしました。父親が在日米軍の黒人で、母親は日本人。私が小学生の頃には人気がありました。復帰後も1974年には万引きで、1978年には再び覚せい剤で逮捕され、芸能界から追放。さらに1999年には三度覚せい剤で逮捕され、実刑判決を受けました。その後、娘と二人で生活保護を受けて生活していることも判明。2017年に67歳で亡くなりました。壮絶な人生でした。

 

1968年、グループサウンズの人気も絶頂期。「バラ色の雲」の大ヒットで一躍スターになったヴィレッジ・シンガーズ「好きだから」に続くシングルとして発表したのが亜麻色の髪の乙女でした。ヴィレッジ・シンガーズグループサウンズの中でも、髪は短く、どちらかというとフォーク系のバンドでした。グループサウンズらしからぬバンドで大人からも人気がありました。清水道夫の正統派のヴォ―カルが受けていました。

 

それからなんと34年経って、再びこの歌が脚光を浴びました。島谷ひとみがカバーしてヒットしたのです。そしてこの曲でその年の「紅白歌合戦」にまで出場しました。

 

なんとも不思議な現象です。青山ミチヴィレッジ・シンガーズを知っている人は、もう残り少なくなってきているでしょう。

 

亜麻色の髪の乙女

 

橋本淳作詞・すぎやまこういち作曲

  

亜麻色の 長い髪を

風が やさしくつつむ

乙女は胸に 白い花束を

 

羽根のように 丘をくだり

やさしい 彼のもとへ

明るい歌声は 恋をしてるから

 

バラ色のほほえみ 青い空

幸せな二人は よりそう

 

亜麻色の 長い髪を

風が やさしくつつむ

乙女は 羽根のように

丘をくだる 彼のもとへ

 

バラ色のほほえみ 青い空

幸せな二人は よりそう

 

亜麻色の 長い髪を

風が やさしくつつむ

乙女は 羽根のように

丘をくだる 彼のもとへ

彼のもとへ

 

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青山ミチ 風吹く丘で(亜麻色の髪の乙女)

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亜麻色の髪の乙女ヴィレッジ・シンガーズ

 


島谷ひとみ / 「亜麻色の髪の乙女」【OFFICIAL MV FULL SIZE】

 

それでは今日はこの辺で。