Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

マーク・ジョーダン(Marc Jordan)? 忘れてた!

 

今日の「この人の、この1枚」はマーク・ジョーダン(Marc Jordan)『ブルー・デザート(Blue Desert)』です。

 

生前整理中に出てきたレコードです。見た瞬間、???でした。解説などを呼んでいくうちに思い出しました。リリースが1979年になっています。80年代を前にしてアメリカンロック界はAORフュージョン真っ盛りでした。そんな中登場してきたマーク・ジョーダンもその範疇に入る一人でした。

このアルバムが日本での2枚目のアルバムになります。ファースト・アルバムは1978年にリリースされた『マネキン(Mannequin)』です。スティーリー・ダンのプロデューサーとして有名なゲイリー・カッツ(Gary Katz)が惚れ込んでプロデュースをしたといいますから、なんとなく想像できました。愛読雑誌の「ニュー・ミュージック・マガジン」でも高評価だったと思います。

 

そして翌年にリリースされたのが『ブルー・デザート(Blue Desert)』でした。

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Side A

1.Generalities

2,I'm A Camera

3,wilight

4.From Nowhere To This Town

5.Beautiful People

 

Side B

1.Lost In The Hurrah

2.Release Yourself

3.Tattooed Lady

4.Exile

 

パーソナルは

Bass – Abraham Laboriel

Drums –  Jim Keltner, Ralph Humphrey, Jeffrey Porcaro

Keyboards, Synthesizer – Michael Omartian

Electric Piano – Dave McMorrow

Lead Guitar – Jay Graydon

Guitar – Dean Parks, Ray Parker Jr.,Steve Lukather

Saxophone – Ernie Watts

Backing Vocals – Bill Champlin, Carmen Twillie, Venette Gloud

 

プロデュースはあのジェイ・グレイドンです。


こんな私でも時代についていかねば、なんて思う年頃もあったのでしょう。たぶんそれほど欲しいとは思わなかったのでしょうが、買いました。

想像通りの音と声でした。シティ・ポップフュージョンを混ぜ合わせたような、洒落た大人向けの音楽でした。スティーヴ・ルカサービル・チャンプリンマイケル・オマーティンなどが参加しているので凡その想像はできたのです。これがまさにAORなのでしょう。

 

結局、マーク・ジョーダンについてはこの1枚の購入で終わり、レコード棚の奥深く眠ることになったのです。

 

今回の整理で約40年ぶりのご対面で、A面から通して聴いてみました。BGMで流しておくには丁度よいかもしれません。

 

マーク・ジョーダンはソングライターとしての活躍の他にプロデュースや俳優としても活動中です。

 


Marc Jordan - Generalities


Marc Jordan - I'm a Camera


Marc Jordan - Lost In The Hurrah (1979)


Marc Jordan - Beautiful People

 

 それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『マーク=アーモンド(Mark-Almond)/ 心に…(To The Heart)』

今日の「この人の、この1枚」はマーク=アーモンド(Mark-Almond)『To The Heart 』です。

 

マーク=アーモンドはジョン・マーク(Jon Mark)ジョニー・アーモンド(Johnny Almond)が結成したデュオです。

二人はそれぞれ別々の音楽活動をしていました。ジョン・マークはマリアンヌ・フェイスフルのアレンジやプロデュースをしていました。

一方ジョニー・アーモンドはズート・マネー(Zoot Money)のバンドでサックスを吹いていました。この二人が出会ったのが1969年のジョン・メイオール(John Mayall)のレコーディングでした。これで意気投合した二人はバンドを組むことにしました。

 

そしてファースト・アルバムが1971年、そしてセカンド・アルバムが1972年にそれぞれ発表されました。『Mark-Almond』『Mark-AlmondⅡ』です。

実はこの2枚がレコード棚から消えていたのです。生前整理をしていてたまたまマーク=アーモンドのアルバムを見つけてこの2枚も探したのですが、どうしても見つかりません。不思議な話です。40年以上前に買ったレコードですが買ったのは間違いないのです。売った記憶もありません。

 

ジャズっぽい、都会的な雰囲気が何とも言えませんでした。

 

その後、1972年、73年にそれぞれ『Rising』Mark- Armond 73を発表します。

 

 

ここでマーク=アーモンドは解散します。ジョン・マークはその後もソロアルバムをリリースします。

 

そして1976年、二人は再びデュオを組みました。発表されたのが『心に…(To The Heart)』でした。

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Side A

A1 Medley: New York State Of Mind | Return To The City

A2 Here Comes The Rain (Part One)

A3 Here Comes The Rain (Part Two)

A4 Trade Winds

 

Side B

B1 One More For The Road

B2 Busy On The Line

B3 Everybody Needs A Friend

 

メンバーは

Jon Mark- Vocals, Classical Guitar  

Johnny Almond- Saxophone, Flute, Vibraphone  

Wolfgang Melz- Bass  

Billy Cobham- Drums

Jimmy Gordon- Drums

Milt Holland- Percussion

Jock Ellis- Trombone

Greg Bloch- Violin

 

プロデュースはRoy Haleeです。

ビリー・コブハムやジム・ゴードン、ミルト・ホランドらの顔が見えます。

 

オープニングはビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」です。これがまたビリーとは違うジャジーでおしゃれな雰囲気でびっくりです。

続いては打って変わって激しいドラミングと静けさが交錯する、荘厳な曲です。

B1はムーディーなフルートとピアノとバイオリンの静かな曲。

B3は美しいバラード。

 

この後、マーク=アーモンドは1981年までに3枚のレコードをリリースし解散します。

ジョン・マークはその後もソロアルバムを出し続けます。2004年にはグラミー賞も獲得しました。

ジョニー・アーモンドは2009年にがんで亡くなっています。

 

マーク・アーモンドというイギリスの歌手がいるので紛らわしいです。

 

それにしてもあのレコードはどこへ行ってしまったのでしょうか。

 


New York State Of Mind / The City - Mark Almond (HQ)


Mark Almond - Here Comes The Rain Parts 1 & 2


Mark Almond - One More For The Road


Mark Almond - Everybody Needs A Friend

 

それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ テンプターズとMI-KE『エメラルドの伝説』& 訃報

今日の「聴き比べ」は『エメラルドの伝説』です。またまたGSソングです。

1968年のザ・テンプターズの大ヒット曲です。テンプターズはデビュー曲『忘れ得ぬ君』がヒットし、続く『神様お願い』もヒット。これでテンプターズはタイガースのライバルに上り詰めました。その立役者が当時17歳の少年、ショーケンこと萩原健一でした。

そして第3弾の『エメラルドの伝説』が爆発的ヒットとなり、テンプターズの人気は絶頂期を迎えます。最初の2曲はリーダーの松崎由治の作詞・作曲でしたがこの『エメラルドの伝説』は専門の作詞・作曲家に任せました。

しかし、この翌年辺りからグループサウンズ・ブームは下火となり始め、1970年には解散しました。ショーケンはその後ジュリーや井上堯之大野克夫らと『PYG』を結成。そして俳優へと転身。大スターとなり、惜しくも2019年に68歳の若さで亡くなりました。

lynyrdburitto.hatenablog.com

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エメラルドの伝説

作詞:なかにし礼        

作曲:村井邦彦

 

湖に君は身を投げた

花のしずくが落ちるように

湖は色を変えたのさ

君の瞳のエメラルド

遠い日の君の幻を 追いかけても空しい

逢いたい 君に逢いたい

緑の瞳に僕は魅せられた

湖に僕はひざまずき

緑の水に口づける

 

遠い日の君の幻を 追いかけても空しい

逢いたい 君に逢いたい

緑の瞳に僕は魅せられた

湖に僕はひざまずき

緑の水に口づける

 

逢いたい 君に逢いたい

緑の瞳に口づけを

 


♪視聴No.3 ザ・テンプターズ The Tempters/エメラルドの伝説 The Legend Of Emerald(1968年)

懐かしい映像で。


The Tempters Legend Of Emerald

 

1991年に3人グループのMI-KEがGSソングをカバーしたアルバム『想い出のG.S九十九里浜というアルバムでカバーしました。当時珍しくて買ってしまいました。

 


エメラルドの伝説/MI-KE

 

彼女たちのヒット曲「想い出の九十九里浜。GSソングのタイトルが続々出てきて面白いです。


Mi-Ke ●想い出の九十九里浜

 

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

なお、昨日、GS時代のスター、ゴールデン・カップスのドラマー兼ボーカリストマモル・マヌーさんの逝去が報じられました。71歳でした。思わず『長い髪の少女』を聴いてしまいました。

ご冥福をお祈りします。合掌

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ 『スワンの涙』

今日の「聴き比べ」は1968年のグループ・サウンズオックスのヒット曲スワンの涙です。

 

GSの曲も随分聴き比べしましたが、今日はあの失神野郎、オックスです。

オックスと言えば『失神グループ』が代名詞のようなグループでした。赤松愛野口ヒデトの人気は異常なほどで、タイガース、テンプターズと並んでGSの3傑とまで言われるようになりました。ジューリー、ショーケン、ヒデト、です。当初はメンバーが失神していたのですが、そのうち観客が失神するようになりました。

デビュー曲の『ガールフレンド』、続いて『ダンシング・セブンティーン』とヒットを飛ばし、3作目が『スワンの涙』でした。もうこの頃は私の中学生の女子の同級生たちは皆オックスに夢中でした。こちらは渋くサベージやヴィレッジ・シンガーズなどを聴いていました。

その後、赤松愛が突然グループを去ると、オックスの人気も次第に落ちて、やがてGSブームは去りました。赤松愛は赤毛で女の子のような容姿で人気もあったのですが、待遇に不満があったようです。野口ヒデト真木ひでとと名前を変えて演歌歌手としてデビューしました。あまり売れなかったと思います。

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スワンの涙

作詞:橋本 淳     

作曲:筒美京平 

  

君のすてきな ブラックコート

ふたりで歩く 坂道に

こぼれるような 鐘の音

誰も知らない ふたりの午後は

港が見える 教会の

小さな庭で お話ししましょう

いつか君が 見たいといった

遠い北国の みずうみに

悲しい姿 スワンの涙

 

(セリフ) 「あの空は あの雲は 知っているんだね。」

 

離れたくないふたりの午後は

ブラックコーヒー 飲みながら

街のテラスで お話ししましょう

いつか君が 見たいといった

遠い北国の みずうみに

悲しい姿 スワンの涙

 


オックス OX/スワンの涙 Tears Of Swan(1968年) 視聴No.17

 

奥村チヨちゃんがカバーしました。


奥村チヨ 「スワンの涙」1969

 

1990年代にGSソングやフォークソングを歌って人気になったMI-KEもカバーしました。


Mike~スワンの涙~

 

バンドを観て失神するなんて海外の出来事のようでした。

 

 

映画『その手に触れるまで』を観る

昨日のキネ旬シアターは『その手に触れるまで』でした。

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監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌ

主演:イディル・ベン・アディ、オリヴィエ・ボノー、ミリエム・アケディウ

製作:2019年 ベルギー・フランス 2020年日本公開

 

ベルギーに住む13歳の少年が過激なイスラム思想に目覚め、ジハード(聖戦)を目指す姿を描いた作品です。監督のダルデンヌ兄弟は第72回カンヌ国際映画祭の監督賞を受賞しました。

 

つい1か月ほど前まではゲームに夢中なごく普通の少年だったアメッドは今ではジハードで命を失った従兄の影響もありイスラム教の聖典コーランに夢中です。小さな食品店の2階にあるモスクに兄と共に熱心に通っています。

学校帰りに先生のイネスがさよならの握手を求めますが、「大人のムスリムは女性の肌に触れない」とそれを拒否する始末です。そのことを母親に咎められますが、父親が家を出て以来毎日酒を飲んだくれている母親を軽蔑しており「飲んだくれ!」と罵り、露出の多い服を着ている姉をも娼婦呼ばわりします。

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ある日、イネス先生がアラビア語を学ぶために歌で覚えようと提案します。しかし、保護者の間でも賛否両論でした。そのことをアメッドがモスクの導師に話すと、導師は「聖なる言葉を歌で学ぶなど冒涜だ。先生は背教者だ。」と一喝し、アメッドに「背教者はジハードの対象だ、どうする?」と問います。アメッドは決心します。

 

靴下の中にナイフを忍ばせイネス先生のアパートを訪れます。出てきた先生に襲い掛かりますが、先生はドアの中に逃げ込み難を逃れます。ジハードは失敗です。アメッドは導師の元に逃げ込みますが、導師は「私は指示はしていない、モスクのためにすぐに自主しろ」と諭します。アメッドは自首し、少年院に送られます。

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アメッドは少年院で更生プログラムの中の農場作業に従事します。しかしこれも1回で辞めてしまいます。心配した母親が面会に来て、「昔のお前に戻っておくれ」と泣き崩れます。そしてイネス先生が会いたがっていると伝えます。すると、後日アメッドは母親に電話でイネス先生に会いたいと伝えます。そして農場作業も再開します。教官にも心理士にも改心したことを訴えるのでした。農場主の娘ルイーズも親切にしてくれます。アメッドは礼拝所の洗面所で歯ブラシを盗みそれを削って尖らせるのでした。

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イネス先生と面会の日、アメッドは尖った歯ブラシを靴下に隠し面会に向かいました。アメッドを見た瞬間、イネス先生は泣き出し部屋を出てしまいます。面会は中止になりました。またしてもジハードは失敗に終わりました。

 

アメッドは再び農場に戻ります。娘のルイーズはアメッドに気があるようです。そしてとうとう畑の中でルイーズはアメッドにキスをします。アメッドは口をゆすいで礼拝しますが女性の肌に触れてしまったという罪の意識が消えません。ルイーズの部屋を訪ね、イスラム教に改宗する気はないかと尋ねます。イスラム教同志なら罪の意識が弱まるからです。しかし、ルイーズは拒否します。アメッドは自分を好きなら何故改宗しないのかと迫ります。強制されるのは嫌だというルイーズを突き飛ばしてしまいます。

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農場からの帰り、アメッドは少年院の車から飛び降ります。そしてバスで自分の街に戻り、学校に忍び込もうとします。凶器になる釘をみつけ、塀を昇って2階に入ろうとしますが屋根から落ちてしまいます。またしても失敗です。動けなくなったアメッドはやっとの思いで凶器の釘を壁に撃ち付けながら助けを呼びます。するとイネス先生が出てきて、驚き、「アメッド、大丈夫?」と呼びかけます。アメッドは先生の手を握り「許して!」と訴えます。先生は頷き、救急車を呼びに行きます。その瞬間画面が消え、映画は終わります。

 

あまりにも唐突な終わり方でした。アメッドの「許して!」の意味は何だったのでしょう。殺そうとしたことに対する謝罪なのか、殺せなかったことに対する謝罪なのか。あれほどジハードに凝り固まった心がそんなに簡単に改心するとも思えないのですが、読みすぎでしょうか。観る人によって意見が分かれそうです。ただ、自ら女性の手に触れにいったということは改心したと素直に見るべきなのでしょう。

 

アメッドは思春期です。ジハードで死んだ従兄を英雄崇拝の対象としてみており、イスラム教のコーランを絶対視しています。思春期の一時の心の迷いなのか、それともいやいやこれがイスラムの過激な思想に発展しISなどの過激派の温床となるのでしょうか。イスラム過激派は多分にこのような少年を勧誘しているのでしょう。

 

ベルギーのブリュッセルでは近年テロ事件が続出しています。パリのテロ事件にもベルギー在住のイスラム過激派が関与していました。ダルデンヌ監督はそれらに対する警告の意味でこの映画を製作したとも考えられますが、最後は観る人の想像にお任せします、って感じでしょうか。  


ドキュメンタリー・タッチのカメラワークは少年を追い続けます。少年の表情はいつでも無表情です。思春期の少年の一途さがカメラワークによって強調され胸に迫ります。

 

予告編を観た時にはこの少女によって少年が改心する話かな、なんて想像していましたが、まったく見当はずれでした。

 


映画『その手に触れるまで』予告編

 

 それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『マンフレッド・マンズ・アース・バンド(Manfred Mann's Earth Band)/静かなる叫び(The Roaring Silence))』

今日の「この人の、この1枚」はマンフレッド・マンズ・アース・バンド(Manfred Mann's Earth Band)静かなる叫び(The Roaring Silence))』です。

 

マンフレッド・マンズ・アース・バンドはマンフレッド・マン(Manfred Mann)が1971年に結成したイギリスのバンドです。

この結成の経緯は少々複雑になります。元々はマンフレッド・マン(個人名)が1962年に盟友マイク・ハグ(Mike Hugg)と結成したバンド、マンフレッド・マン(バンド名)がスタートとなっています。このバンドはポップ・ロックとして多くのヒットを飛ばしました。このバンドには途中クリームのジャック・ブルース(Jack Bruce)なども在籍しました。

しかし、マンフレッド・マンはバンドのスタート時からのスタイルだった、ジャズやR&Bを忘れることができませんでした。そして1969年、メンバーチェンジを機会にマンフレッド・マン・チャプターⅢを結成しました。ここで本格的にジャズ・ロックを演奏しました。しかし時代はジャズ・ロックからは離れていました。2枚のアルバムを残し解散します。ここで長年苦楽を共にしたマイク・ハグと別れ、マンフレッド・マンズ・アース・バンドを結成したのです。

 

メンバーはマンフレッド・マン(Manfred Mann,key,vo)、ミック・ロジャース(Mick Rogers,g,vo)、コリン・パッテンデン(Colin Pattenden , b)、クリス・スレイド(Chris Slade ,ds, vo, perc)の4人でした。

1972年から1975年までに6枚のアルバムをリリースしますがいずれもヒットには至りませんでした。

 

そして1976年に発表したのが静かなる叫び(The Roaring Silence))』です。ミック・ロジャースが抜けて、クリス・トンプソン(Chris Thompson, vo, g)デイヴ・フレット(Dave Flett , g)が加わりました。

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Side A

1.Blinded by the Light

2.Singing the Dolphin Through

3.Waiter, There's a Yawn in My Ear

 

Side B

1.The Road to Babylon

2This Side of Paradise

3.Starbird

4.Questions

 

ゲストでミック・ロジャースが参加しています。またサックス奏者のバーバラ・トンプソンも参加しています。

A1はブルース・スプリングスティーンのデビューアルバムからの曲です。彼の曲は前作でも取り上げていましたが、これが全米1位になる大ヒットをもたらしました。アルバムも全米10位と大健闘でした。

A2はマイク・ヘロンの曲です。

このアルバムではそれまでのジャズやフュージョンばかりでなく、あらたにクラシックの要素も取り入れるということにチャレンジしました。

 

アース・バンドはこの後もヒットアルバムを出し続けますが、メンバーチェンジも頻繁に行われ、1987年以降しばらく活動休止状態になりました。

 

1991年にはジェスロ・タルのメンバーだったクライヴ・バンカーなども加わって活動を再開し、現在も新たなメンバーで活動中です。

50年以上に及ぶキャリアで唯一人、バンドを率いてきたマンフレッド・マン。現在79歳。どうなっているのでしょう。

 


Blinded by the Light


Manfred Mann's Earth Band - Singing the dolphin through.wmv


Manfred Mann's Earth Band - The Road to Babylon


Manfred Mann - Questions

 

それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ 『無法松の一生(度胸千両入り)』

今日の聴き比べは無法松の一生(度胸千両入り)』です。

 

もちろん、村田英雄の歌唱で有名です。

無法松の一生』とは元は岩下俊作の小説を映画化して有名になった話です。荒くれ者の人力車夫・富岡松五郎とその恩人とその家族との交流を描いた話です。

 

何度も映画化されました。さらにテレビドラマでも何度か放映されました。最初の映画化は1943年と言いますから戦前です。監督は伊丹万作です。伊丹十三のお父さんです。主演は坂東妻三郎です。田村3兄弟のお父さんです。

 

2度目の映画化は1958年、東宝で監督は稲垣浩、主演は三船敏郎高峰秀子です。この作品はベネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。私はこの映画をテレビで放映したのを観た記憶があります。

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3度目の映画化は1963年、東映村山新治監督、三国連太郎淡島千景主演でした。これもテレビで観た記憶があります。

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そして4度目は1965年、今度は大映で監督三隈研次、主演勝新太郎有馬稲子でした。

 

その他テレビでも何度かドラマ化されています。それほどジンと胸にせまる内容でした。



さて、肝心な歌の方ですが、こちらは2度目の映画化の後、1958年に村田英雄がレコーディングしました。作詞は吉野夫二郎、作曲は古賀政男でした。レコードではA面が無法松の一生、B面が「度胸千両」となっていました。オリジナルの「無法松の一生」は3番までありました。

 

無法松の一生

作詞:吉野夫二郎

作曲:古賀政男

 

1 小倉生まれで 玄海育ち

  口も荒いが 気も荒い

  無法一代 涙を捨てて

  度胸千両で 生きる身の

  男一代 無法松

 

2 今宵冷たい 片割れ月に

  見せた涙は 嘘じゃない

  女嫌いの 男の胸に

  秘める面影 だれが知る

  男松五郎 何を泣く

 

3 泣くな嘆くな 男じゃないか

  どうせ実らぬ 恋じゃもの

  愚痴や未練は 玄海灘に

  捨てて太鼓の 乱れ打ち

  夢も通えよ 女男(みょうと)波

 


無法松の一生

 

一方、B面の「度胸千両」は

度胸千両

作詞:吉野夫二郎

作曲:古賀政男

 

空にひびいたあの音は

たたく太鼓の勇み駒

山車(だし)の竹笹 提灯は

赤い灯(あかし)にゆれて行く

今日は祗園(ぎおん)の夏祭り

揃いの浴衣の若い衆(しゅ)は

綱を引き出し 音頭(おんど)とる

玄海灘(なだ)の風うけて

ばちがはげしく右左

小倉名代(なだい)は無法松

度胸千両のあばれうち

 


度胸千両 (村田英雄)

 

その後、1981年にこの2曲を組み合わせた形で歌われるようになりました。


無法松の一生(度胸千両) 村田英雄

 

今多くの歌手がカバーしているのはこのバージョンです。

 

そして私のお気に入りは女王美空ひばり・バージョンです。「度胸千両」がいいですね。映画の場面を観ているだけでウルッときてしまいます。


無法松の一生~度胸千両入り 美空ひばり

 

それでは今日はこの辺で。