Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画のことなど、あれこれ

まずは私の幼かった頃の話から始めましょう。

私の小さい頃は父親が映画好きだったせいなのか、当時はまだテレビがなかったせいなのかわかりませんがよく映画に連れて行ってもらった記憶があります。が、どの様な映画だったかはほとんど憶えていません。ただ『大いなる旅路』という映画はなぜかよく憶えています。後になって調べてみると1960年公開、主演 三国連太郎でなんと高倉健まで出演していました。なぜこの映画を憶えているかというと汽車の脱線シーンが衝撃的だったからだと思います。

やがて小学校も高学年になってくると御多分に漏れず怪獣映画にはまります。特に『モスラ』です。ザ・ピーナツの唄う”モスラーや、モスラ”には感動しました。『モスラ対ゴジラ』にも興奮して、学校でもその話題で持ちきりだったような記憶があります。

さらに加山雄三の『若大将シリーズクレージーキャッツの『無責任シリーズ』(以上、東宝)、日活の青春もの、アクションもの、中でも吉永小百合ちゃんは永遠のあこがれとなりました。『キューポラのある街』『愛と死を見つめて』など小百合ちゃんの映画はほとんど観たと思います。

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こんな感じで映画に関しては平和な小・中学校生活は終わりました。

そして高校生活へ。当時の時代背景(1960年代後半)としては学園紛争真っ盛りで、それは高校にも押し寄せてきました。授業のボイコット・討論会の開催、制服・制帽廃止運動等々。当然のごとく私もその影響をもろに受け、友人からマルクスやらレーニンやらを授業中散々読まされました。それによってそれまでのただ何となく部活をしたり遊んだり(勉強はしなかった)していただけの生活に色々な疑問を抱くようになってきました。これらについてはまたの機会にということにします。

映画にもそのような変化が現れてきていたようで、フランスのヌーベルバーグに影響されて大島渚吉田喜重らの松竹ヌーベルバーグ、アメリカではアメリカン・ニューシネマなど、映画を単なる娯楽ではなく芸術や思想にという風潮が社会を覆っていました。

私はその頃は当然そんなことは知らず、相変わらず娯楽専門の映画に夢中だったのですが、ある時、どういう経緯だったか記憶がありませんが、ミケランジェロ・アントニオーニという監督の『欲望』という映画を観ました。さっぱりわかりませんでした。が、帰ってからもその映画が頭から離れませんでした。映画を観て、考えなければ理解できない映画があるなんて言うこと自体がすごいショックでその夜は眠れませんでした。後日、再びその映画を観に行きました。

 そして、自分なりにこの作品はこういうことを言いたいんだろうと納得させました。この時以来、この種の映画を盛んに観るようになりました。幸いまわりの友人にもこの手の映画に興味を持っている連中がたくさんいたので皆で競い合って観に行き、そのあとは映画の内容についての議論があるのです。さらに市内にある映画連盟(大学生・高校生中心の)等にも参加してのめり込んでいきました。その連盟の本部がとある映画館にありましたので その映画館には無料で入館できて映画鑑賞ができたのです。まさにわたしにとっては夢のような環境でした。

アントニオーニ、フェリーニパゾリーニゴダール、トリフォー、アラン・レネブニュエル、ワイダ、今村昌平大島渚吉田喜重黒澤明松本俊夫等々観たい映画は数え切れませんでした。田舎町なのでなかなかこういった映画が上映される機会は少なかったのですが、この映画館のオーナーが連盟のリクエストに比較的よく応えてくれ、上映されれば必ず観に行ってました。高校も朝は登校するものの午前中のみで午後は映画館で過ごすなんていうとんでもない生活を送っていました。映画の雑誌も購入するようになりました。「映画批評」「映画評論」等今では廃刊になっていると思いますが・・・。すべて処分してしまいましたがとっておけばよかったな、と後悔しきり。

当時はビデオなどなくてどうしても映画館に足を運ばなければなりませんでしたが、それがまた楽しかったのです。しかしそれでもやはり田舎町、集客が見込めない上映には限度がありました。観たい映画の1割程度しか見れていなかったと思います。心は東京へと向かいます。一度だけ貯金をはたいて新宿までゴダールの『アルファビル』を観に行ったことがありました(内容はさっぱり憶えていませんが)。そういうこともあってどうしても東京に出たいという気持ちが強くなっていきました。

しかしここで問題が生じます。こんな生活を送っていたお陰で勉学の方は全くしていませんでした。これでは大学などいけるはずもありません。さあ就職か進学かどうしようか、と思い悩んだ末家族の強い薦めもありやっぱり進学することにしました。

こうして滅茶苦茶な?高校生活は終わり、大学へと向かうのですが当然ながらそう簡単にはいきませんでした。

 

この後のいきさつはまた後程書くとしましょう。