Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

ブルースロックの名手たち 60年~70年代編 ③

今回はアメリカのブルースロックのお気に入りミュージシャンを何人か取り上げてみます。

書きたいことがいっぱいあって、あっ、まだあの人を書いていないとか、あれもまだだとか、何しろせっかちな性格なもので、一人で焦ったりしてバカみたいなのですが、これも性分でしょうがないのです。でもまあ先は長いことですので、のんびりとやっていくことにしました。

ということでまず、

Al Kooper(アル・クーパー)、Michael Bloomfield(マイケル・ブルームフィールド)

この二人はボブ・ディランの『Highway 61 Revisited』の録音で知り合います。マイケルは当時バターフィールド・ブルース・バンド(前々回紹介)に在籍しており、同バンドがディランのバックを務めることになり、レコーディングをしていたのですが、そこにアルが飛び入り参加して(オルガン)、知り合いになります。そして二人でセッションをする話が持ち上がり、レコーディングに取り掛かりましたが、2日目のセッションにはマイクは参加せず、代わりにスティーヴン・スティルス(Stephen Stills)が参加しました。その時の様子が『Super Sessions』に収められています。(1968年)

レコードでいうとA面がマイク、B面がスティルスでアルが両面参加です。

さらに翌年、再び二人はフィルモア・ウェスト『The Live Adventure of Mike Bloomfield and Al Kooper(フィルモアの奇蹟)』

をライブ録音します。レコードで2枚組です。このライブではマイクが途中で不眠症ででダウン、病院に担ぎ込まれ、代役でカルロス・サンタナや後で紹介するエルヴィン・ビショップ、スティーヴ・ミラー(レコードではクレジットされていませんが)務めます。レコードでは3面に収録されています。このアルバムではブルースナンバーのほかに”サイモンとガーファンクル”や”ザ・バンド”、”トラフィック”の曲なども取り上げ、それ以降のセッションブームの先駆けとなりました。

アルはディランのレコーディング参加後、"The Blues Project(ブルース・プロジェクト)"、”Blood,Sweat & Tears(ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ略してBST)”を結成しますが、いずれも短期間で脱退しマイケルとのセッションに参加することになります。その後はソロ活動に入ります。

   

 ソロになってから私が好きなアルバムは『Nakes Songs(赤心の歌)』ですね。

このなかのブルースナンバー「As Years Go Passing By(時の流れるごとく)」は珍しくアルがギターを弾き、ブルースフィーリングたっぷりに歌い上げています。

蛇足ですが大学時代、たしかマリア・マルダーのライブだったと思いますが、影の方でキーボードを弾いていたのはアル・クーパーじゃなかったのかなと、今でも思っています。

一方マイケルはディランのレコーディング参加後、バターフィールド・ブルース・バンドを脱退しバリー・ゴールドバーグやニック・グレイヴナイツなどと"The Electric Flag(エレクトリック・フラッグ)"を結成しアルバム『A Long Time Coming』を発表します。

その後もソロアルバムやニック・グレイヴナイツらと『Live at Bill Graham's Fillmore West(永遠のフィルモア・ウェスト)』を発表したりします。

その後はあまり輝かしい活躍もなく、1981年に薬による中毒で37歳で死亡しました。あまりに繊細な神経の持ち主だったのでしょう。

白人のブルースギタリストとしては間違いなく最高峰の1人だったでしょう。

 

Elvin Bishop(エルヴィン・ビショップ)

彼はバターフィールド・ブルース・バンドの3B(バターフィールド、ブルームフィールド、ビショップ)と呼ばれ、ブルームフィールド脱退後は同バンドのリードギターを務めました。しかし、すぐに脱退し独自の”Elvin Bishop Group"を結成します。当初はブルースを基調としたロックでしたが次第に様々な要素を取り入れ、しまいには大ヒット曲を出すまでに都会的に洗練されたグループになりました。

1st『Elvin Bishop Group』

2 nd『Feel It』

大ヒットの6th『Struttin' My Stuff』

先ほどのフィルモア・ウェストフィルモア・イーストというビル・グラハムが作ったロックのコンサート会場フィルモア・オーディトリアムが1971年に閉鎖されることになって、その最後の1週間の特別興行がドキュメンタリーとして作製され、『フィルモア最后のコンサート』として上映されました。フィルモアには数々のミュージシャンが出演して、数々のライブアルバムが発表されました。この最後の1週間にもそうそうたるメンバーが出演し、当時はビデオも洋楽のテレビ番組もなく洋楽ミュージシャンの動く姿はごく稀に映画で観る(ウッドストックギミーシェルターなど)以外にはなかったので、この映画は当時のウェストコーストのミュージシャンを観られたということで大興奮でした。

フィルモア 最后のコンサート[A4判]

その中でエルヴィン・ビショップが夢中で首を振り振りギターを演奏する姿は圧巻でした。この映画の目玉の1つになっていたと思います(個人的感想ですが)。このあと出てくるボズ・スキャッグスも目玉の1つでしたが。

 

Steve Miller Band(スティーヴ・ミラー・バンド

当初は”Steve MIller Blues Band"と名乗っていたくらい、ブルースに傾倒していました。1stアルバム『Children Of The Future(未来の子供達)』

2ndアルバム『Sailor』

 

まではボズ・スキャッグスBoz Scaggs)が在籍していました。濃厚なブルースを聴かせます。3rdアルバム以降は徐々にブルース色は薄れていきます。

そして8枚目の『The Joker』が大ヒットします。

続く『Fly LIke An Eagle(鷲の爪)』で不動の人気を獲得します。

この後も良質な作品を残し現在に至っています。

実は彼をこの稿に載せるのには迷いがありました。このアルバムは中村とうよう氏が当時の「ニューミュージックマガジン」で確か99点か100点を付けたと思います。理由はロックの新しい時代の始まりだというようなことが書かれていたと記憶しています。それぐらい素晴らしいアルバムでした。楽器の使い方やメロディー、録音すべてがこれまでにないような処理の仕方でした。ということで私は今でも彼の新譜を追いかけ続けていますので、ブルースロックの範疇に入れるのにはちょっと抵抗があったのですが、初期のころのブルース色を考慮して入れてみました。

彼についてはまた別途取り上げるかもしれません。

 

Boz Scaggsボズ・スキャッグス

上のスティーヴ・ミラー・バンドに2ndまで在籍していた彼は、その後ソロとなって1969年に1stアルバム『Boz Scaggs』を発表します。

この中の「Loan Me A Dime」はフェントン・ロビンソンのブルースでデュアン・オールマンも参加して12分に及ぶ大作、傑作になっています。

しかしレコードの売り上げは芳しくありませんでした。そのような状態が4作目まで続き、5作目の『Slow Dancer』で大変身を遂げます。

 

それまでの野暮ったい兄ちゃんから、あか抜けた紳士に変身したように音楽の方も泥臭い音楽から、都会的なそれでいてソウルフルなボーカルであっと言わせました。

次の『Silk Degrees』で決定的となりました。なかでも「We Are All Alone(ウィー・アー・アール・アローン)」は今でも名曲として歌われています。

その後はAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の分野で人気を保っているようです。私は次の『Down To Then Left 』で卒業しました。

1978年の日本公演も日本武道館に観に行きました。残念ながらチケットの半券は残っていません。

 そういえばボズも「フィルモア最后のコンサート」で頑張ってギターを弾いていました。確か映画では「Loan Me A Dime」だったと思うのですがレコードでは「Baby's Callin' Me Home」でした。何年か前にこの映画がDVD化され発売され(日本では未発売)たのですが、なぜかボズの場面がカットされているのです。こんなふざけた話はありません。早く完全版を日本から発売してくれるのを切に望みます。

 

 

Canned Heat(キャンド・ヒート)

このバンドはメンバーの入れ替わりが激しくつかみどころのないバンドですが間違いなくアメリカを代表するブルースロックバンドでしょう。映画『ウッドストック』のオープニングにも彼らの曲が使われました。

初期のメンバーはAllan"Blind Owl" Wilson(アラン・盲目のフクロウ・ウィルソン)、Bob"The Bear"Hite(ボブ・熊・ハイト)を中心にLarry Taylor(ラリー・テイラー)、Henrry Vestine(ヘンリー・ヴェスティン)、Frank Cookでまさにブギウギ、ブルースバンドでした。アランのボーカルが非常に特徴的で、なんか気が抜けるような細い声で、逆に”熊”の方は身体同様野太い声で対照的でした。そこがまた良かったのでしょう。

アランは1970年27歳で亡くなりました。最後はほとんど目も見えなくなっていたようです。牛乳瓶の底のような眼鏡をかけていましたから。死因は謎です。殺人といううわさも流されましたが、薬物によるものとされたようです。

アランが亡くなってからは”熊”がグループを引っ張っていきましたが、彼も1981年36歳で亡くなりました。途中Flying Burrito Brothersに参加するJoel Scott Hill(ジョエル・スコット・ヒル)やWalter Trout(ウォルター・トラウト)なども参加しますが、両巨頭を失ってからは残念ながら存在感が失なっていきました。

アルバムは数多く出ています。私が好きなアルバムは

『Rollin' And Tumblin'』

『Boogie With Canned Heat』

『Living The Blues』

『Future Blues』

   

 ちなみに『Living The Blues』はレコードとジャケットが違います。

 

ちょっと長くなってしまいました。きりがなくなってきたので今日はこの辺にします。

また後日ということで。