Flying Skynyrdのブログ

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バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)とその後

以前、バーズ関連を書きましたので、今日はもう一つ忘れてはならない、フォークロック、カントリーロックの草分けバンド、バッファロー・スプリングフィールドを取り上げてみたいと思います。

バッファロー・スプリングフィールドは1966年に結成されました。

初期メンバーは

ティーヴン・スティルス(Stephen Stills, vo,g)

リッチー・ヒューレイ(Richie Furay, vo,g)

ニール・ヤング(Neil Young, vo,g)

ブルース・パーマー(Bruce Palmer, b)

デューイ・」マーティン(Dewey Martin, ds)

後にブルース・パーマーが麻薬で逮捕され、代わりにジム・メッシーナ(Jim Messina)が加わります。

私は当然この頃のことは知りません。後追い知識です。

1966年に1stアルバム『Buffalo Springfield(バッファロー・スプリングフィールド)』が発表されます。

このアルバムの1曲目「For What It's Worth」はスティルスの曲ですが、これはスティルスの代表曲といってもいいくらいの素晴らしい曲です。全米でも100万枚売れたそうです。ニール・ヤングも曲を書いていますが、このアルバムは完全にスティルスが主導権を握っている感じです。

 

2枚目は『Buffalo Springfield Again(バッファロー・スプリングフィールド・アゲイン)』です。

このアルバムではヤングとスティルスとリッチーが三つ巴のように主導権争いが繰り広げられているような感じがします。しかし内容は素晴らしく、バッファローの中ではこれが一番いいという声が多いです。スティルスの「Bluebird」、ヤングの「Mr.Soul」、リッチーの「A Child's Clame To Fame」など名曲揃いです。

しかしこの頃からスティルスとヤングの対立が表面化してきます。パーマーが抜け、ジム・メッシーナが入ると、ヤングもメンバーとは別行動をとることが多くなり、レコーディングも困難を極めました。そして遂に解散を決断します。レコーディングの方は結局、リッチーとジムとスティルスで何とか仕上げ最後のアルバムとして発表されます。タイトルもその名の通り『Last Time Around(ラスト・タイム・アラウンド)』です。

このジャケット、ニール・ヤングだけよそを向いていて、何か象徴的です。

ヤングの「I Am A Child」やリッチーの名曲「Kind Woman」など佳曲がそろいますがアルバム全体としてはやはりまとまりに欠けます。

こうしてバッファロー・スプリングフィールドは約2年という短い活動期間で幕を閉じます。

 

しかし、この後のメンバーの活動がその後のロック界に大きな影響を与えていくことになります。

ここではリッチー・フューレイとジム・メッシーナ、そしてスティーヴン・スティルスについて書いてみたいと思います。

ニール・ヤングについては別途書いてみたいと思います。なぜかと言いますと、ニール・ヤングは私のフェバリット・アーティストのベスト10には間違いなく入る人なので書き出すときりが無くなりそうなので、改めてということにします。

 

バッファロー解散後、リッチーとジムはカントリーロックバンド"Poco(ポコ)を結成します。メンバーはランディ・マイズナー(Randy Meisner b,vo のちイーグルス)、ラスティ・ヤング(Rusty Young steel,vo)、ジョージ・グランサム(George Grantham ds)でした。しかし、1stアルバム発表前にランディーはイーグルスに参加、代わりにティモシー・シュミット(Timothy B. Schmit)が加わり、アルバム『Pickin' Up The Pieces(ピッキング・アップ・ザ・ピーシーズ)』を発表します。

これはその後のポコのアルバムの中でも1,2を争う出来栄えではないでしょうか。フライング・バリットとはまた違ったカントリーロックで、まさにリッチーのバンドと言ってもいいかもしれません。しかしそのリッチーのワンマン体制にジムが反発しグループを脱退し、ケニー・ロギンスと"Loggins & Messina(ロギンス・アンド・メッシーナ)を結成します。1972年のことでした。以降、1976年までに8枚のアルバムを出し、全米でも大人気になりました。その後ジムはソロ活動実行中です。

一方ポコの方は2nd以降、あまりパットせずジムの後任のポール・コットンを加えて発表した5枚目『Good Feelin' To Know(グッド・フィーリング・トゥ・ノウ)』は期待されましたが今一つの評判に終わりました。私個人的には大好きなアルバムです。

リッチーはここでポコに見切りをつけ、シンガーソングライターのジョン・デヴィッド・サウザーとバーズ、フライング・バリットのクリス・ヒルマンと共に"Souther-Hillman-Furay Band(サウザーヒルマン・ヒューレイ・バンド、SHF)を結成します。

なお、ティモシー・シュミットはランディがイーグルスを脱退すると、その代わりにイーグルスに加入しました。

SHFは2枚のアルバムを発表します。共にいいです。(1974、75年)

 

特にファーストの最終曲「Deep,Dark And Dreamless」は名曲です。

活動期間は約2年余りでした。

リッチーはその後もソロで活躍しています。

 

ティーヴン・スティルスはというとバッファロー解散のあと、先日書いたアル・クーパー、マイク・ブルームフィールドとのスーパーセッションに参加の後、バーズのデヴィッド・クロスビーとホリーズ(「バス・ストップ」で有名な)のグラハム・ナッシュとともにクロスビー・スティルス・アンド・ナッシュ(CS&N)を結成します。と、今度はそこにニール・ヤングが加わります。喧嘩別れしたと思ったら、またくっついて、いったいどうなってるんだ、と思ってしまいます。ですがわずかな期間に出した2枚のアルバムは歴史に残る名盤でした。『Deja Vu(デジャ・ヴ)』『4Way Street(4ウェイ・ストリート)』です。

 

前者は今ではすべてがクラシックな名曲と言われているほどの曲で埋め尽くされています。後者はライブアルバムでレコードでは2枚組で1枚目がアコースティック、2枚目がバンド形態です。特に2枚目のヤングの「Suthern Man」でのスティルスとヤングのギターバトルは凄いです。まさに喧嘩しているようです。

映画『ウッドストック』を思い出します。夜のCSN&Yのステージ、よかったですね。

その後CS&NもCSN&Yも何度か再編成します。でもこの時の輝きにははるかに及びませんでした。

ティルスはその後、ソロ活動をし1972年にバーズのクリス・ヒルマンらと"Manassas(マナサス)"を結成し2枚のアルバムを制作します。このグループはブルース、カントリー、フォーク、ロックとなんでもありの面白いグループでした。

 

その後、スティルスはソロ活動をし最近は驚くことにケニー・ウェイン・シェファード(Kenny Wayne Shpherd)、超ベテランのブルースマン、バリー・ゴールドバーグ(Barry Goldberg)と組んで”The Riders(ライダース)"なるブルースバンドを結成しました。驚くべきバイタリティです。これがまたいいんです。

 

こうしてみるとあの頃のミュージシャンは早逝したか、いつまでも元気で頑張っているか、極端になっているような気がします。それでも最近当時のミュージシャンの訃報が多く気が滅入ってしまいます。私より若干年上の人が多いのです。

 

それはさておき、ざっと流して見てきましたが、これだけでも当時のウェストコーストのミュージシャンのグループ間の移動が激しかったことがわかりますが、今まではバーズとバッファローに限って見てきたのでこの程度ですが、その他のグループを交えていくと訳が分からなくなりそうな時がありました。系図を書いて解説されているなんていうレコードもありました。

こうしてアメリカ・ウェストコースとのフォークロック、カントリーロックは全盛を迎えます。この他にも数多のグループが雨後のタケノコのように出現しては消えていきました。バッファローとバーズは正にそのさきがけとなりました。

 

アメリカ・ウェストコースにはまた別な流れがありました。サイケデリック系のジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドクイックシルバーメッセンジャー・サービスなどですが、これらを先のバーズやバッファローのロックと明確に区別するのは不可能です。お互いに強く影響し合いながら進化していきます。さらにはドアーズ、カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ、スティーヴ・ミラー、モビー・グレープなどなど数え上げたらきりがありませんが、アメリカンロックを語るうえでは彼らのことに触れない訳にはいきません。それとオールマン・ブラザース・バンド、レーナード・スキナードなどのサザンロック勢を忘れてはいけません。が、これらについてはいずれまたの機会にでもボチボチ書くことにします。いずれまた、が多くなってきてしまっていますが。

 

ニール・ヤング様、今しばらくお待ちくださいませ。