Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『NO』を観る

今日は久しぶりのキネ旬シアターです。約10日ぶりです。

今日の映画は『NO』です。

監督:パブロ・ラライン

主演:ガエル・ガルシア・ベルナル

2012年 チリ

ピノチェト政権の崩壊につながる国民投票のCM制作に関わる広告マンを通して、チリの民主化を実話に基づいて描いた映画です。

1973年の軍事クーデターにより誕生したピノチェト政権の軍事独裁体制に対し国内・国外からの批判に対し1988年に政府はピノチェト政権の信任を国民投票で行うことを決断します。

賛成派、反対派にそれぞれ毎日15分間のテレビ・キャンペーン・コマーシャルを4週間にわたり流すことが認められます。古くからの友人に反対派のCM作成を依頼されるのが、フリーの広告マン・レネでした。しかし、レネは会社の上司が賛成派の政権幹部と繋がりがあり、その話には乗るなと釘を刺されます。それでもレネは広告マンとしての使命に駆られ制作を手助けするようになります。

反対派は初めから勝利は無理だろう、でも国民を啓蒙するのが目的だと考えていました。そしてCM作成においては過去にどれだけ国民が弾圧されてきたか、実際のニュース・フィルムを用いて作成しようとしますが、レネは過去の暗い出来事よりも、逆にチリの明るい未来を表現しようとします。当然反対者が出ますが、それでもレネは衝突を重ねながらも自分の意見を通していきす。

実際に放映が始まると、反対派のCMが圧倒的に好評で、政権幹部は苛立ちます。政権側は選挙は形式的で勝つのは当然政権側だと高を括っていました。それでも状況が悪くなってくると反対派に対し様々な妨害を加えます。レネにも子供に対する脅迫がありました。最終版の双方の大集会では政権からの暴力的な弾圧まで行われます。

それでも国民投票の結果、反対派が勝利を収め、無血で政権交代が行われました。国民は自由を勝ち取ったのです。

この映画はショットも画像もドキュメンタリー・タッチで描かれており、実際映像も多数組み込まれ、現実味を倍増させています。

映画を観ていて感じたのは独裁政治の恐ろしさです。それでも、チリの場合、国際世論に負けて国民投票に踏み切るという決断をするところはまだまだ民主的です。もちろん投票に不正が無ければですが。どこかの国では国際世論などお構いなしに、独裁に拍車がかかっていくようなところもあります。

また、政権に対抗する者に対する弾圧は、必ず行われます。映画の終盤における国家権力の反対派への弾圧・暴力は、まるで天安門事件や我が国の70年安保当時の学生に対する暴力とそっくりです。

しかし、これらのことを対岸の火事として見ていていいのでしょうか。独裁政治は既に身近なところに入り込んで来ていると私などは感じてしまいます。「何とか罪」の成立で権力に牙を剥くような映画や文学や音楽が影を潜めるような時代にだけはなって欲しくないものです。

この映画を観ながら、ふとそんなことを考えてしまいました。

 

それでは今日はこの辺で。