Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚 『デラニ―&ボニー(Delaney & Bonnie)/オリジナル・デラニ―&ボニー(Accept No Substitute )』

アメリカ南部音楽の発展に大きく寄与したデラニ―・ブラムレットとボニー・ブラムレット夫妻のデュオ・グループ、デラニー&ボニ-(通称デラボニ)。

ラニーはロスアンゼルスでバンド活動、ボニーはアイク&ティナ・ターナーのバックヴォーカルグループなどを務めていました。二人は1967年にロスアンゼルスで出会い、結婚。そしてデラニー&ボニーを結成します。

1968年にスタックス・レコードと契約し『Home(ホーム)』というアルバムをレコーディングしますが、お蔵入りになります。

その後二人は、のちにデレク&ドミノスに参加するボビー・ウィットロックと知り合い、一緒にロスアンゼルスに戻り、エレクトラと契約し『オリジナル・デラニー・アンド・ボニー』でメジャーデビューします。1969年のことです。

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Side A

1.Get Ourselves Together

2.Someday

3.Ghetto

4.When the Battle Is Over

5.Dirty Old Man

 

Side B

1.Love Me a Little Longer

2.I Can't Take It Much Longer

3.Do Right Woman, Do Right Man

4.Soldiers of the Cross

5.Gift of Love

 

参加ミュージシャンは

ボビー・ウィットロック、レオン・ラッセル、リタ・クーリッジ、ジム・ケルトナー、カール・レイドル、ジェリー・マギー、ジム・プライス、ボブ・キースという錚々たるメンバーが顔を揃えました。

 

A-1,2,3,B-1がボニーの手によるもの、A-5、B-2、5がデラニ―の手によるものです。A-4はドクター・ジョンことマック・レべナックの曲。B-3はアレサ・フランクリンで有名、フライング・バリットもカバーした名曲です。すべて南部音楽の要素がぎっしり詰まった名盤でしょう。

 

このあとデラボニはクラプトンたちのスーパーグループ『ブラインド・フェイス』のアメリカツアーのオープニング・アクトを担当、ここでクラプトンと知り合い、意気投合します。デラボニのギタリスト、ジェリー・マギーが辞めたため、クラプトンがギタリストとして参加するようになり、デラボニのイギリスッツアーには元トラフィックのデイブ・メイソンなども加わり大々的なツアーになりました。この模様はレコード化されました。『On Tour with Eric Clapton』です。

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その後二人は『To Bonnie from Delaney』『 Motel Shot』『D&B Together』とアルバムを出しますが、1972年に二人は離婚し、デュオは解散します。

 

 

 

ボニーはこの後ソロ活動の後、女優に転身。デラニーはソロ活動を続けますが、2008年に胆嚢手術後の合併症で亡くなります。59歳でした。

 

デラボニはスワンプミュージック、レイドバックミュージック、サザンロックなどアメリカ南部の音楽を広く知らしめた、偉大なミュージシャンでした。一般のリスナーはもとより、多くのミュージシャンに好まれたアーティストでした。

 


Delaney & Bonnie and Friends - Do Right Woman, Do Right Man


When The Battle Is Over by Delaney & Bonnie Studio

それでは今日はこの辺で。