吉田拓郎が「よしだたくろう」と名乗っていた頃のアルバム。実質的に彼のファーストアルバムになります。正確には自主制作盤『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』がありますが、名義は広島フォーク村になっていますので、よしだたくろう名義ではデビューアルバムということになります。1970年でした。当時はまだインディーズのようなレコード会社エレック・レコードから『青春の詩』が発売されました。今振り返ると、そんなに昔だったかな、という気がしていますが、実際に流行ったのはもう少し後だったような気がします。
Side A
1.青春の詩
2.とっぽい男のバラード
3.やせっぽちのブルース
4.のら犬のブルース
5.男の子女の娘(灰色の世界Ⅱ)
6.兄ちゃんが赤くなった
Side B
1.雪
2.灰色の世界Ⅰ
3.俺
4.こうき心
5.今日までそして明日から
6.イメージの詩
「青春の詩」がラジオから流れてきたのを聴いたのは、確か高校生の頃だったかと思いますが、その頃は岡林信康の「私たちの望むものは」などを夢中で聴いていた頃ですから、何とも奇妙な感じを受けました。それでも、当時の若者の一面を表現しているのは間違いないと確信しました。そして、そのあと「今日までそして明日から」を聴いて、「私たち」「俺たち」から「わたし」「俺」へと表現が変わってきているのを感じました。
拓郎は、当時の若者からは大バッシングを受けました。1970年、71年というと、まだまだフォークの世界では反体制的な歌が主流を占めていましたから当然と言えば当然でした。しかし、時代の変化と共に拓郎は若者に受け入れられるようになっていきます。
第3回全日本フォークジャンボリーに初出演した拓郎は荒れて、「人間なんて」を2時間もぶっ続けで演奏したなどという逸話も残っています。
「イメージの詩」は7分にも及ぶ曲で、ラジオではめったに聴けませんでしたが、このレコードで聴いて感動しました。これほど当時の若者の心を捉えた歌はあまりなかったでしょう。後に、ああこれはボブ・ディランのパクリだなと思いましたが。岡林の「私たちの望むもの」や「それで自由になったのかい」も多分にそうですが、この頃の日本のフォークシンガーにディランが与えた影響というのは物凄いものだなと改めて感心します。
「戦い続ける人の心を誰もが分かってるなら、戦い続ける人の心はあんなには燃えないだろう」
ちなみにこの頃のフォークのレコードにはだいたいにおいてコード表とか楽譜が付いていました。ギターブームを取り入れていたのでしょう。
翌年にライブアルバム『オン・ステージ ともだち』を発表します。
ここには名曲「マークⅡ」や「夏休み」が収録されています。さらに「青春の詩」の替え歌「老人の詩」、六文銭のカバー「面影橋」、斉藤哲夫のカバー「されど私の人生」、レイ・チャールズのカバー「わっちゃいせい」なども収録されています。「イメージの詩」はさらに詩が付け加えられています。
何といっても拓郎の軽妙なおしゃべり(今で言うMCですか)が面白かった。このようにしゃべりを丸ごと収録するのもフォークアルバムならではでした。
そしてこの年の暮れに『人間なんて』が発売されます。
ここには私の大好きな「雨の日の情景」と「どうしてこんなに悲しいんだろう」が収録されています。今でも好きです。
それでも何といっても、世間をあっと言わせたのが「結婚しようよ」でしょう。この曲の大ヒットによって、フォークソングは完全に変わりました。連合赤軍の「浅間山荘事件」とそれに伴う「大量リンチ殺人事件」の発覚で、学生運動が急速にしぼみ、政治の季節は終わりを告げ、「歌で世の中を変えるんだ」的なフォークソングは次第に影を潜め、自分の内面を見つめる歌や日常生活を歌った歌がフォークソングの主流を占めるようになりました。そして「神田川」や「赤ちょうちん」などの四畳半フォークがもてはやされるようになり、歌謡曲の世界にまで影響を与えるようになりました。そのきっかけとなったのがこの「結婚しようよ」だったのではないでしょうか。
拓郎はフォーク界のプリンスとしてもてはやされ、快進撃を遂げます。特に女性ファンが多くアイドル扱いでした。
TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のDJも週一回担当しており、多くのフォークソング曲を知ることができました。
続く『元気です』は大ヒットアルバムになりました。1972年です。
ここには大ヒット曲「旅の宿」が収録されています。岡本おさみの作詞が6曲と多くなっています(襟裳岬で有名)。
「春だったね」は本人も言っているようにディランのパクリ。「夏休み」も再録音しています。
モップスでヒットした「たどりついたらいつも雨降り」も収録されています。あと、大好きな「リンゴ」も収録。
このアルバムからCBSソニー傘下のODYSSEYにレコード会社が変わっています。
この後の拓郎の活躍はご承知の通りです。小室等、井上陽水、泉谷しげるとともにレコード会社、フォーライフレコードも設立しました。
フォークのどうのこうのではなく、ロック、歌謡曲、演歌、あらゆるジャンルでの活躍ぶりとその影響力はスーパースター並みになってしまいました。
拓郎については『元気です』までしかレコードは買っていません。その後は、2枚のCDを買い、時々テレビで見たりする程度ですが、青春の1ページであったことは確かです。
体調不良の時期などもあったようですが、今は元気で頑張っていることと思います。
オリジナル音源ではありませんが「どうしてこんなに悲しいんだろう」。いい曲です。
どうしてこんなに悲しいんだろう by 吉田拓郎 2002 15/19
遂に拓郎まで来てしまいました。誰かを忘れているような気もしていますが、思い出したらまた書きましょう。
日本人アーティストも今まで加川良、岡林信康、山崎ハコ、遠藤賢司、シルクロード、浅川マキ、早川義夫、高田渡、高石友也、五つの風船、吉田拓郎ときましたからとうとう11組になりました(懐メロ除く)。何だかんだで結構書きましたね。
それでは今日はこの辺で。