Flying Skynyrdのブログ

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映画『LUCKY ラッキー』を観る

今日のキネ旬シアターは『LUCKY ラッキー』でした。

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監督:ジョン・キャロル・リンチ

主演:ハリー・ディーン・スタントンデヴィッド・リンチ

制作:2017年 アメリカ 2018年 日本公開

 

先週、当館で観た『パリ、テキサス』の主人公トラヴィスを演じたハリー・ディーン・スタントンが主演しています。

この映画の主人公ラッキーは90歳、演じたハリーも映画を撮っているときは90歳ではなかったでしょうか。昨年91歳で亡くなっていますから。ハリーはこれまでに映画、テレビ合わせると100以上の出演回数を誇る名脇役です。『パリ、テキサス』が初の主演作品でした。今回の映画では実際の主人公と同年齢で死と向かい合う老人役を演じています。この作品がハリーの遺作となりました。

ラッキーの有人役には『イレーザヘッド』や『エレファントマン』の監督でもあるデヴィッド・リンチが出演しています。

監督は俳優のジョン・キャロル・リンチ、これが監督としての初作品です。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

90歳になるラッキーは片田舎(アリゾナあたりの砂漠地帯か)で一人暮らしです。健康そのもので朝起きると、歯を磨き顔を洗い、牛乳を飲み、コーヒーを沸かし、ヨガ体操を行い、着替えて出かけます。街まで歩いて、行きつけの喫茶店へ。クロスワードパズルをして、店の人と雑談をして帰ります。途中で雑貨屋により牛乳とたばこを買い帰ります。テレビのクイズ番組を観ながらクロスワードパズルを解きます。夜は行きつけのバーに行って、ブラッディ・マリアを飲んで常連と話をします。これがラッキーの日常生活です。

ある時、ヨガ体操をしているときに倒れてしまいます。心配になって診療所に行って検査をしますが異常はありません。医師からは加齢だと言われます。ラッキーは落ち込みます。自分の死が近いことを感じ、恐怖を憶えます。

ラッキーは一見偏屈なおじいさんです。魂の存在など信じず、ただただ現実主義者です。しかし周りの人は年齢のこともあってか何かと気にかけてくれます。しかしラッキーはそういう人たちにも、憎まれ口をたたいたりしています。それでも内心は寂しく、何かというとすぐに誰かに電話したりします。そしてある時とうとう「怖いんだ」と告白します。

死を意識し始めて昔のことを盛んに思い出すようになりました。幼い頃の恐怖を感じた時の話や軍隊の時の話。呼ばれたパーティーで突然昔憶えたスペイン語の歌を歌い始め、大喝采をうけるなど、死を間近に感じるようになった老人の心境の変化を描いた映画です。そしてかなり哲学的な部分もありました。行き着いた結論。「すべては無くなる、最後は『無』だ」と。

映画のオープニングでリクガメが砂漠の風景画面を横切るのですが、映画の中でこのリクガメはラッキーの有人が飼っていたリクガメだということが分かるのですが、この友人はリクガメがいなくなったことに凄いショックを受け、家族を失ったようだと悲観に暮れていました。そして全財産をこのリクガメに譲る遺言書まで作成する準備を始めました。しかしその後、「リクガメは用事があって出て行ったんだ、それを自分が邪魔していたんだ、その内また会えることがあるかもしれない」と友人は悟り、元気を出しました。ラストシーンで再びそのリクガメが画面を横切りました。ふっと気持ちが温かくなるのを感じました。

 

映画では90歳になったハリー・ディーン・スタントンの皺だらけになった肌、年老いた肉体を惜しげもなくさらけ出します。しかし、歩く姿などはとても90歳には見えずしっかりとしています。この映画の後すぐに亡くなったとは思えません。

戦争中の沖縄戦での話などはハリー本人の体験談らしいです。この映画はまさにハリーの友人たちが作ったハリーの遺言のような映画でした。

ポスターの青空もそうですが、いくつかのシーンで夕陽が沈んだ後の夕焼けのシーンがありましたが、あれは『パリ、テキサス』のラストシーンへのオマージュでしょうか。

 


映画『ラッキー』予告編

 

それでは今日はこの辺で。