たった1枚、歴史的名盤と呼ばれたアルバムを残して消えたサンダークラップ・ニューマン(Thunderclap Newman)。
メンバーはジョン・スピーディ・キーン(John "Speedy" Keen,vo,ds)、アンディ・サンダークラップ・ニューマン(Andy "Thunderclap" Newman,p)それにこの時若干15歳のジェイムス・ジミー・マカロック(James "Jimmy" McCulloch,g)です。
そもそものきっかけは、ザ・フーが3枚目のアルバム『Who Sell Out』のA面の1曲目にスピーディ・キーンの曲「Armenia City in the Sky」を取り上げたことです。この風変わりな曲を気に入ったピート・タウンゼントがスピーディー・キーンを入れたバンドを作ろうと思い、他の二人を誘い込みこのバンドが結成されました。
アンディ・ニューマンはピート・タウンゼントの友人でジャズピアニストです。
ジミー・マカロックは11歳の時に「ワン・イン・ア・ミリオン」というバンドを結成し、1967年のザ・フーのツアーでサポートを務め、ピートタウンゼントに見初められました。バンド加入の時は若干15才でした。
そして1969年にこの3人によるバンド、サンダークラップ・ニューマンが結成されピート・タウンゼントのプロデュースの元、シングル「Something In The Air」をリリースし、一躍全英1位を獲得する大ヒットとなり、続いて1970年にアルバム『Hollywood Dream』がリリースされました。
Side A
1.Hollywood #1
2.The Reason
3.Open The Door, Homer
4.Look Around
5.Accidents
Side B
1.Wild Country
2.When I Think
3.The Old Cornmill
4.I Don't Know
5.Hollywood Dream
6.Hollywood #2
7.Something In The Air
なお、このアルバムジャケットは1974年のMCAからの再発盤です。
オリジナルジャケットは下記です。
これはCDですがレコードの初版ジャケットと同じです。CDにはボーナストラックが付いておりお得だと思います。
ピート・タウンゼントはやはりこういう音楽を好んでいたのかな、と思わせるような極上のポップアルバムに仕上がっています。ザ・フーの初期のモッズ・サウンドとかサイケデリック・サウンドとかが程よく交じり合って、ほのぼのとするようなアルバムです。スピーディー・キーンのハイトーンな歌声は好き嫌いが出そうです。
A-3はボブ・ディラン。B-5のタイトル曲はジミー・マカロック。その他は全てスピーディー・キーンの曲になっています。
B-7の「Something In The Air」は後に映画『いちご白書』でも使われました。またトム・ペティ―やライトニング・シーズもカバーしています。珍しいところでは、ジャズのハービー・マンが取り上げています。
サンダークラップ・ニューマンはこのアルバム1枚を残し解散します。もともとそんなに続けようとする意志はなかったとは思いますが。
アンディ―・ニューマンは1971年にソロアルバムをリリースしています。2016年73歳で亡くなりました。
スピーディー・キーンは1975年までに2枚のソロアルバムをリリースし、2002年に亡くなりました。57歳でした。2枚目のアルバムはアイランドからのリリースでジミー・マカロックも参加しました。
そのジミー・マカロックはその後、自身のバンドを結成したり、ストーン・ザ・クロウズに参加したり、多くのミュージシャンのセッションに参加します。そして1973年から1977まではポール・マッカートニーのウィングスにリードギタリストとして参加します。その後も再結成したスモール・フェイセスに参加したりと活躍しましたが、1979年に薬物の過剰摂取で亡くなりました。僅か26歳でした。デビューも早かったですが退場も早かった。
たった1枚ですが50年近くたっても、こうしてCD化されて残っているというのは、やはりそれなりに魅力があるのでしょう。
Thunderclap Newman - Something In The Air
Thunderclap Newman: Open The Door, Homer
1970 THUNDERCLAP NEWMAN:LOOK AROUND
それでは今日はこの辺で。