Flying Skynyrdのブログ

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皆に愛されたよ! 『ウォーレン・ジヴォン(Warren Zevon)/Warren Zevon』

1976年、当時雨後の筍のようにシンガーソングライターのデビュー盤が発売されていました。その中で際立っていたのがウォーレン・ジヴォン(Warren Zevon)でした。

正確に言うと、デビュー盤ではなく彼の場合は2枚目のアルバムでした。ファーストアルバムが1969年ですから、1976年に出たアルバムが実質デビューアルバムのようなものでした。日本でもそのような扱いでした。

ウォーレン・ジヴォンはロシア出身のユダヤ系移民の父親とモルモン教でイギリス人の母親との間に1947年にシカゴで生まれました。

小さい頃からクラシックを学び、両親の離婚と共にニューヨークへ移り、音楽活動を始めました。

1969年には映画『真夜中のカウボーイ』の中でウォーレンの曲「She Quit Me」という曲を「He Quit Me」に変えて使われました。歌ったのはレスリー・ミラーという人でした。

そしてその年にファーストアルバム『Wanted Dead or Aliveをリリースします。しかし、これが大失敗で、ウォーレンは以後、キーボードプレイヤーとしてエヴァリーブラザース等と活動することになりました。

1975年頃にはロサンゼルスに戻り、そこでリンジー・バッキンガムスティーヴィー・ニックスと知り合い、さらにジャクソン・ブラウンとも知り合うことになりました。ウォーレンの才能を見抜いたジャクソン・ブラウンアサイラムレコードに彼を売り込み契約を交わしました。そして1976年に生まれたのが実質上のデビューアルバム『Warren Zevon』です。

 

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Side A

1.Frank And Jesse James

2.Mama Couldn't Be Persuaded

3.Backs Turned Looking Down The Path

4.Hasten Down The Wind

5.Poor Poor Pitiful Me

6.The French Inhaler

 

Side B

1.Mohammed's Radio

2.I'll Sleep When I'm Dead

3.Carmelita

4.Join Me In L.A.

5.Desperados Under The Eaves

 

参加メンバーは

 

ワディ・ワクテル(Waddy Wachtel,g)

デヴィッド・リンドレー(David Lindley,g,banjo,fidle)

リンジー・バッキンガム(Lindsey Buckingham,g,vo)

ボブ・グラウブ(Bob Glaub,b)

マーティ・デヴィド(Marty David,b)

ラリー・ザック(larry Zac,ds)

ゲイリー・マラバー(Gary Mallaber,ds)

グレン・フレイ(Gllen Fley,g,vo)

ネッド・ドヒニー(Ned Doheny,g)

ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne,p,slide g,vo)

ボビー・キース(Bobby Keys,sax)

フィル・エヴァリー(Phil Everly,vo)

ジョン・デヴィッド・サウザー(John David Souther,vo)

ドン・ヘンリー(Don Henley,vo)

スティーヴィー・ニックス(Stevie Nicks,vo)

ボニー・レイット(Bonnie Raitt,vo)

ローズマリー・バトラー(Rosemary Butler,vo)

カール・ウィルソン(Carl Willson,vo)

 

プロデュースはジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)です。

 

アサイラムの力の入れようが分かります。

 

リンダ・ロンシュタッドはこのアルバムの中からHasten Down The Windをカバーし、アルバムのタイトルにもしているほどの惚れ込みようで、以後ウォーレンの曲を数多くカバーしています。

 

ジャクソン・ブラウンウォーレン・ジヴォンはある意味対照的で、ジャクソンが「柔」とすれば、ウォーレンは「剛」です。私見ですが。

 

音楽性の面でもジャクソン・ブラウンがどちらかといえばフニャフニャ、うなぎのヌルヌルといったソフトな感じですが、ウォーレンはカチカチ、メリハリが効いてハードです。

歌詩の内容もジャクソンは柔らかな表現、ウォーレンは激しい表現と対照的です。

それはそれでどちらもいいのです。

 

このアルバムはそれほど成功はしませんでした。しかし続くアルバム『Excitable Boy』がヒットします。中でも「ロンドンの狼男」はシングルヒットとなりました。

フリートウッド・マックのメンバーやワディ・ワクテルリランド・スクラーラス・カンケル、さらにダニー・コーチマーなどお馴染みのセッションマンが参加したこのアルバムも名作でしょう。

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その後のウォーレン・ジヴォンは薬物、アルコール中毒に悩まされるようになりました。1982年の『Enjoy』を最後にアサイラムから契約を解除されました。

 

5年後の1987年、ウォーレンはヴァージンレコードと契約し、R.E.Mの3人(Bill Berry、Peter Buck、Mike Mills)の協力を得て、アルバム『Sentimental Hygiene』で復活しました。ボブ・ディランニール・ヤングも参加しています。

しかし次のアルバムが失敗し、ヴァージンとの契約は終了しました。

 

つづいてジャイアントレコードから3枚のアルバムをリリース、さらにArtemis Recordsから3枚のアルバムをリリースしました。2003年、最後のアルバム『The Wind』がリリースされてから2週間あまりで肺がんのため亡くなりました。56歳でした。

最後のアルバムではボブ・ディラン「天国の扉」をカバーしています。このアルバムは余命宣告されてから制作されたようで、多くの親交があったミュージシャンが参加しています。ジャクソン・ブラウンライ・クーダーTボーン・バーネット、マイク・キャンベル、エミール・ハリス、ドン・ヘンリージム・ケルトナー、デヴィッド・リンドレー、トム・ペティ、ティモシー・シュミット、ブルース・スプリングスティーンジョー・ウォルシュなど多くのミュージシャンに見送られました。中でもブルース・スプリングスティーンとのデュエット「Disorder in the House」は5か月後にグラミー賞をベスト・フォーク・アルバム賞と一緒に獲得しました。

 

最後に双子の孫の顔も見られたようですし、太く短い人生でしたが、みんなに愛され、幸せだったかもしれません。

 

Warren Zevon

Warren Zevon

 

 

 

Excitable Boy

Excitable Boy

 

 

Sentimental Hygiene

Sentimental Hygiene

 

 

Wind

Wind

 

 


Warren Zevon - Mohammed's Radio


Warren Zevon - Hasten Down The Wind


Warren Zevon Mama Couldn't Be Persuaded

 

それでは今日はこの辺で。