Flying Skynyrdのブログ

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もう、いない!『ダニー・カーワン(Danny Kirwan)』

フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)の第3のギタリストで私の大好きなダニー・カーワン(Danny Kirwan)のことを書いていなかったことを思い出し、最近の動向を調べようと思って探ってみたら、なんと今年の6月18日に亡くなっていました。ショックです。

日本での知名度はほとんど無いと言っていいくらいですから、新聞などに載るはずもなく、情報を積極的に取りに行かない限り見逃してしまいます。

 

ダニー・カーワンは1950年の生まれですから68歳でした。

17歳の頃、自身のバンドで演奏していた頃、フリートウッド・マックのプロデューサー、マイク・ヴァーノンがダニーのプレイを見て、マックのギタリスト、ピーター・グリーン(Peter Green,g)に紹介しました。マックには既に2番目のギタリスト、ジェレミー・スペンサー(Jeremy Spencer,slide g)がいましたが、ピーターはもう一人のギタリストを欲しがっていました。ピーターはダニーを気に入り、1968年に加入が決まりました。

そしてマックの最初のヒット曲「アルバトロス」を一緒に録音しました。フリートウッド・マックはもちろんブルースバンドでしたが、ダニーの加入によってその甘い声とポップな感覚でブルース一辺倒のバンドから新しい側面が出て来ました。

アメリカで発売された最初のアルバム『English Rose』では4曲を提供し「Something Inside Me」「Jigsaw Puzzle Blues」などのブルースナンバーも書いています。中でも「Something Inside Me」はブルースロックの傑作ではないかと思っています。

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次のアルバム『Then Play On』では14曲をダニーとピーターで半数ずつ分け合って書いています。ここでピーター・グリーンが突如脱退してしまいます。

ピーター・グリーン脱退後のアルバム『Kiln House』では今度はジェレミー・スペンサーと曲を分け合います。

そしてジェレミーが脱退します。代わりにボブ・ウェルチ(Bob Welch,g,vo)チッキン・シャック(Chicken Shack)からクリスティン・マクヴィー(Christine McVie,key,vo)が加入し、アルバム『Future Games』ではブルース色は抜け、フォークロックやポップなロックに変わって来ました。皮肉なことにこのアルバムはアメリカで売れました。そしてアメリカとイギリスでの大々的なツアーを敢行しました。

この頃からツアーでの疲労を癒すため、ダニーの酒量は増えていきました。そして彼の奇行はメンバーとの間に溝を深めていきました。ギターを壊して、ステージに上がらなかったりもしました。すっかりアルコール中毒の症状をきたすようになりました。

ダニーのフリートウッド・マックでの最後のアルバムは『Bare Trees』でした。ここでも半数の曲を書いています。

しかし暴力を振るうようになった彼をバンドは解雇しました。1972年、22歳の時でした。

 

そして1975年、ダニー・カーワンは復活します。ソロアルバム『Second Capter』を発表します。

 

Side A

1.Ram Jam City

2.Odds And Ends

3.Hot Summer's Day

4.Mary Jane

5.Skip A Dee Doo

6.Love Can Always Bring You Happiness

 

Side B

1.Second Chapter

2.Lovely Days

3.Falling In Love With You

4.Silver Streams

5.Cascades

 

レコーディングメンバーは

サヴォイ・ブラウン、チッキン・シャックのメンバー

アンディ・シルヴェスター(Andy Sylvester,b)

ポール・レイモンド(Paul Raymond,key)

それに

ジェフ・ブリットン(Geoff Burriton,ds)

ジム・ラッセル(Jim Russell,ds)

です。

 

プロデュースはマーティン・ルッセント(Martin Rushent)です。

 

ブルースの面影はありません。アメリカナイズされたポップナンバーが目白押しです。商業的には成功しませんでしたが、これはポップアルバムの傑作でしょう。

 

この後、ダニーは2枚のソロアルバムを発表します。1976年の『Midnight in San Juan』と1979年の『Hello There Big Boy! 』です。

 

 

しかし、すでにダニー・カーワンの精神状態は壊れていました。1980年に入ると、彼はホームレス生活を始めます。その後は介護施設に入ったりもしました。この頃ちょうど、彼がどん底の生活をしているという情報を得て、心配していました。ピーター・グリーンも同様に薬物で一時期は再起不能と言われましたが、何とか立ち直りました。しかし、ダニー・カーワンはそのまま最期を迎えたようです。

 

あれほど素晴らしい音楽を作ったミュージシャンの最期としては、あまりにも悲しいものでした。しかし、これが芸術家なのかもしれません。凡人の私などには理解できませんが。

冥福を祈ります。合掌。

 


Fleetwood Mac/ Danny Kirwan - Something Inside Of Me (live, Örebro 1969)


Danny Kirwan - Second Chapter - (DJM Records 1975).


Danny Kirwan - Ram Jam City (original)

 

 

それでは今日はこの辺で。