Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

岡林信康の、これが演歌だ!

岡林信康が「フォークの神様」のレッテルから逃れ、1971年『俺らいちぬけた』を発表してから、中津川近くの田舎、さらには京都府綾部市の過疎村に移り住むようになり、農耕生活を始めました。

その間、レコード会社をCBSソニーに変え、アルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』をリリース。フォークロック調の曲と、ディランばりの詩で音楽シーンに復活しました。

 

私などは1960年代後半からの、彼の強烈な政治的・社会的なメッセージソングに半ば洗脳されるように聴き込んだものですが、「俺らいちぬけた」と宣言され、「申し訳ないが気分がいい」と言われてしまうと、何か拍子抜けしてしまったものでした。

それでも岡林の歌には魅力がありました。アルバム『俺らいちぬけた』には佐藤信の劇団黒テントに提供した楽曲も収録されていました。それと名曲「つばめ」も収録されていました。

この当時、深夜のテレビで中津川フォークジャンボリーのライヴを放映していました。岡林が警備の警察に「帰れ、帰れ」のコールをしていました。異議なし!です。この時にも「おまわりさんに捧げる唄」「それで自由になったのかい」などのメッセージソングの他に「申し訳ないが気分がいい」などを歌っていたと思います。

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そして復活した、松本隆プロデュースの『金色のライオン』などを聴くと、やはり岡林の魅力に憑りつかれてしまいます。この頃の岡林が、実は一番ボブ・ディランを意識していた時代なのではないでしょうか。それは難解な詩にも現れているし、歌唱法にも現れているような気がします。

 

そんな岡林信康が次に仕掛けてきたのが、演歌でした。とうとうここまで来たか、という感じでした。レコード会社もコロムビアに移籍しました。

演歌アルバムのタイトルは『うつし絵』です。

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Side A

1 月の夜汽車

2 かえり道

3 青い月夜の散歩道

4 影と二人

5 夜風のブルース

6 雨上りの丘

 

Side B

1 村日記

2 橋~“実録”仁義なき寄合い

3 春を運ぶな雪の海

4 春の裾

5 風の流れに

 

ギターは木村好夫です。

手書きのライナーノーツとイラストは黒田征太郎。ラーナーノーツは吉岡治です。

 

岡林信康の次のアルバムは演歌らしいと聞いた時には耳を疑いましたが、その頃の雑誌で、最近岡林はコンサートで都はるみの「好きになった人」や美空ひばりの「越後獅子の唄」など演歌を歌っているなどが書かれていたのを読んでいたので、さもありなんと思いました。

発売日に買いました。1曲目は美空ひばりにも提供した「月の夜汽車」です。これを聴いて、なるほどと思いました。日本人は日本人らしい歌を歌えばいい、という心境になったのだと思います。

「フォークの神様」から「いちぬけた」と言って自然と戯れ、人間性を取り戻し、過疎村での生活で、ようやく自分を解放できたのだと思います。それがこの時の彼の心境と、過疎村の人達との触れ合いから演歌が自然に生まれたのだと思います。

 

本人曰く、三橋美智也や春日八郎、美空ひばりの歌が自然に自分の中に入り込んできて、妙に懐かしい気分になったと。そして美空ひばりとの交流が何といっても大きかったのでしょう。

 

村の生活を歌った歌も多く、彼らしいユーモアもたっぷりで、よくできたアルバムだったと思います。中でも「春を運ぶな雪の海」が大好きです。岡林もこんな詩を書くんだと、感心しました。

 

春を運ぶな 雪の海

 作詞・作曲 岡林信康

 

今朝は目覚めた 何だか早く

とても明るい 部屋の中

窓を開けると 外は雪

白く輝く 雪の海

 

冬はいつでも 雪溶けを

指折りながら 待ったけど

桜咲く頃 村を出る

あなた想えば 春待てぬ

 

凍りつくよな 冬の夜

三日月の下 星ひとつ

ひとりぼっちが 淋しいと

雪の野原で泣いてます

 

じっと両手を 胸に抱き

ふたり黙って うつむいた

通り過ぎてく 風の中

雪が舞います あなたの肩で

 

貴方連れてく 春よりも

ふたりで逢える 冬でいい

春を運ぶな 雪の海

春を運ぶな 雪の海

 

このアルバムの後に、今度は名作『ラブソングス』が生まれます。このアルバムはフォークロックに戻り、巷では「岡林が帰ってきた」などと騒がれましたが、歌っている中身は演歌の精神が生き続けていました。

 

アルバム『うつし絵』は賛否両論でしたが、私は非常に気に入ったアルバムでした。演歌も悪くないと。

 

この後、1975年、中野サンプラザで久しぶりのコンサートを開きます。友人のS.S君と喜び勇んで行きました。美空ひばりも飛び入り参加しました。昔の曲では「流れ者」「チューリップのアップリケ」「自由への長い旅」「今日をこえて」ぐらいで、ちょっと寂しかったですが、久しぶりに岡林信康の動く姿を観られて興奮したのを憶えています。

この時の模様は2009年になってようやくCD化されました。私の拍手も入っています、はい。

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1982年にこの頃のことも含めて書いた本が出版されました。フォーク時代の東京での生活での疲労、田舎での生活、村での農耕生活などを面白おかしく書いた本でした。イラストは本人作です。

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これ以後、岡林信康『セレナーデ』『街はステキなカーニバル』『ストーム』『グラフィティ』とアルバムをリリースします。この頃「君に捧げるラブソング」という名曲も生まれました。その後はベアナックル・レヴュー』と称して全国各地で弾き語りツアーを開始します。

 

そして独自のリズムを持ったロック「エンヤトットを考案し、発表。全国ツアー開始。

 

その後も美空ひばりのカバー集『レクイエム』の発表や、山下洋輔との共演、セルフカバー集の発表と活躍しています。

 

このアルバム『うつし絵』も発表から40数年が経ちます。賛否のあったアルバムも今では歴史の一コマになりました。感慨深いものが有ります。

 

動画があまりありませんでした。


橋・実録 仁義なき寄り合い 岡林信康


月の夜汽車 美空ひばり さん


美空ひばり 風の流れに


君に捧げるラブソング / 岡林信康 1980年代の「夜のヒットスタジオ」動画


私たちの望むものは/岡林信康Withはっぴいえんど

 

 

それでは今日はこの辺で。