Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

ザ・サベージから「ルビーの指環」へ 『寺尾 聡』

グループサウンズの時代、フォークロック的なバンドで人気を博したザ・サベージ寺尾 聡は在籍していました。

サベージはグループサウンズと言ってもカレッジ・ポップスのバンドのような感じでした。確かテレビ番組の「勝ち抜きエレキ合戦」で優勝したと思います。腕前は確かなバンドでした。デビュー曲の「いつまでもいつまでも」がヒットし、続く「この手のひらの愛を」もヒット、ブルー・コメッツやザ・スパーダースと並んで人気バンドになりました。

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バンドはリーダーの奥島吉雄以下寺尾聡を含め4人組でした。寺尾聰はベースとヴォーカル担当です。この2曲がヒットしたものの、ジュリーのザ・タイガースショーケンテンプターズなどアイドル的なバンドが続々と登場してくると、おとなしめで地味なバンドのサベージの人気は下火になり、結局1968年には解散しました。

 

活動期間は2年強と短かったですが、一時期は凄い人気でした。その一つの原因は寺尾聡の存在です。リーダーの奥島もヴォーカルをとりますが、やはり寺尾聡の甘いヴォーカルには敵いません。それに寺尾聡は宇野重吉の息子だということで有名でした。そういうこともあってサベージは人気バンドでした。

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ところが寺尾は「この手のひらの愛を」がヒットすると、あっさりバンドを脱退してしまいます。その後は俳優に転じます。石原裕次郎主演の映画黒部の太陽に出演したのをきっかけに石原軍団に入りました。『大都会』西部警察での刑事役はカッコよかったです。その他多くのテレビドラマや映画に出演しました。

 

そして1981年、久しぶりに歌を聴かせてくれました。それが寺尾聡のソロ・デビュー作となる『Reflections』です。

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Side A

1.HABANA EXPRESS

2.渚のカンパリソーダ

3.喜望峰

4.二季物語

5.ルビーの指環

 

Side B

1.SHADOW CITY

2.予期せぬ出来事

3.ダイヤルM

4.北ウィング

5.出航 SASURAI

 

プロデュースは武藤 敏史寺尾 聡です。

作曲は全曲寺尾聡。作詞はA-2,3,5が松本 隆、他は有川 正沙子です。

 

テレビでルビーの指環を聴いて、一発で気に入り、即レコードを買いに行きました。

この曲は、当初はそれほどではなかったようですが、次第に売れ出し『ザ・ベストテン』では12週連続1位という大記録を達成しました。そしてこの年のレコード大賞に輝きました。

この曲を石原軍団の裕次郎と小林専務に聴いてもらったところ、専務は「こんなお経みたいな曲、売れるわけがない」と否定的でしたが、裕次郎が「いいんじゃない」と言ったのでレコード化が決定したという逸話が残っています。

 

「この手のひらに愛を」から15年、楽曲もすっかりシティ・ポップになり垢抜けました。

 

そして寺尾聡の俳優としての活躍は目を見張るものがあります。黒澤作品にも出演したり、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を「雨あがる」と「半落ち」で受賞しています。その他多くの賞を受賞しています。すっかり父親の宇野重吉のような性格俳優になってきました。いぶし銀な演技が魅力です。

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現在72歳、まだまだ健在です。

 


寺尾聰 ルビーの指環


ザ・サベージThe Savage/いつまでも いつまでもItsumademo Itsumademo (1966年)  視聴No.2


ザ・サベージThe Savage/この手のひらに愛をKono Tenohira Ni Ai Wo (1966年) 視聴No.14

 

 それでは今日はこの辺で。