昨日のキネ旬シアターは『娘は戦場で生まれた』でした。
監督:ワアド・アル=カデブ、エドワード・ワッツ
主演:ハムザ・アル=カデブ、サマ・アル=カデブ、ワアド・アル=カデブ
製作:2019年 イギリス、アメリカ、シリア
シリアでジャーナリスト志望だったワアド・アル=カデブが自らカメラを回して、シリア・アレッポの現状を撮ったドキュメンタリー映画です。カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞作品です。
時は2012年、ワアドはシリアのアレッポ大学に入学した女子大生です。シリアではその前年に起きたチュニジアの「ジャスミン革命」を発端として沸き上がった「アラブの春」の波が押し寄せていました。アレッポ大学はその先鋒として学生が立ち上がり、ストやデモが行われるようになりました。それは民主的な行動でした。ワアドはその模様をスマホで撮影するようになりました。
政府はこれを重要視し軍をもって鎮圧しようとしました。そしてデモ分子を殺害し川に捨てるなどという非道な行為も行われたのです。反政府活動家の中にワアドの友人で医師のハムザもいました。ハムザは医師仲間と共に病院を設営し、負傷者の治療にあたりました。ワアドはそんなハムザの献身的な医療の様子もカメラに収めました。
やがて、ロシア軍も政府に加担し戦況は悪化の一途をたどります。反政府軍やイスラム過激派も入り乱れての戦闘になって、市街地は瓦礫の山、まさに廃墟の街と化してゆきました。そんな中、負傷者は次々と運び込まれますが、死者は続出します。ワアドは撮影しながら思わず泣いてしまいます。そんなワアドにハムザは「泣くな!」と怒鳴ります。そして後になって、「君の泣く姿は見たくない。結婚しよう」とプロポーズされ、二人は結婚します。ハムザはすでに結婚していましたが、妻に「アレッポを出て欲しい」と言われ、革命を捨てるわけにいかないと断り、離婚していたのです。
やがて二人の間に女の子「サマ」が生まれます。「サマ」とは「空」という意味で、平和な空が見られるようにと願いを込めてワアドが名づけました。ワアドはサマにこの戦いの真実を伝えるためにカメラを回し続ける決心をします。
戦況はますます悪化し、空爆も激しさを増し、医師の仲間も犠牲になり始めました。病院は血の海と化し、阿鼻叫喚の世界、まるで地獄絵を見ているようです。しかし、ハムザもワアドもアレッポを離れることはしませんでした。当然離れてゆく市民もたくさんいました。しかし、残った市民も数多くいたのです。そんな彼らを残し、アレッポを去る選択肢は彼らにはありませんでした。
しかし、アサド政権による攻撃は激しさを増し、ハムザの病院にも襲い掛かりました。ガス攻撃やクラスター爆弾など容赦ない攻撃が続きました。そしてアレッポ包囲網は次第に狭まり、ついにアレッポは陥落し、政府軍が奪還しました。もはや選択肢はありません。あとは無事アレッポを脱出できるかどうかです。検問も何とか通過でき、仲間たちと一緒に無事脱出することができました。
なんともすごい映画でした。病院に運ばれてくる子供たちも目の前で亡くなっていきます。片腕が飛ばされた男の子や顔中血だらけの子供もいます。
そんな中、爆撃に遭った一人の妊婦が運ばれてきます。母子ともに危険な状態です。もはや帝王切開しか方法はありません。帝王切開で子供を取り出しましたが、脈はありません。医師は懸命に心臓マッサージや体を叩いたりしますが反応はありません。それでも医師は諦めずにマッサージを続けます。すると次の瞬間、赤ん坊の目がパチッと開き、泣き出したのです。これは実に感動的で思わず涙が出てしまいました。
この映画は2016年までの記録です。実際にはこの後もシリア内戦は続きます。ロシアを巻き込んだシリア政府軍と反政府勢力(欧米諸国も含む)、IS(イスラム国)、さらにはクルド民族まで入り乱れ、収拾がつかない状態でしたが、現在はアサド政権側がほぼシリア全域を掌握した状態になっています。いったいこの運動は何だったのだろうというむなしさが残ります。このような惨劇があったにもかかわらず、国際社会は何の有効な手立てもできませんでした。
「アラブの春」はアフリカから中東へと拡大し、民主化を唱え住民は戦いましたが、その結果、民主化が成ったのはチュニジアだけでした。エジプトも一時は政権打倒に成功しましたが、その後クーデターにより軍事政権が誕生してしまいました。その他、多少の成果をもたらした国もあったものの、従来の政権は健在です。複雑極まりない中東問題はやはりそう簡単には解決しません。
一人の女子大生が記録した動画がここまでの映画になるとは驚きました。やはり「母は強し」でしょうか。息もつかせぬ1時間45分、「サマ」の笑顔だけが救いでした。
それでは今日はこの辺で。