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この人の、この1枚『ホームシック・ジェイムス(Homesick James)/Ain't Sick No More』

今日の「この人の、この1枚」はホームシック・ジェイムス(Homesick James)『Ain't Sick No More』です。

 

ホームシック・ジェイムスは1910年(1905年という説も)にテネシー州サマービルで生まれました。本名はジェイムス・ウィリアムソンといい、母親が農業の傍らギターを弾いていたのに感化されギターを覚えました。母親はナイフをボトルネック代わりに弾いており、それをまねして彼もボトルネック奏法を覚えたようです。

12歳ごろから放浪が始まり、南部の町はほとんど訪れました。14歳の頃にはノースカロライナブラインド・ボーイ・フラーニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡと出会い一緒にプレイしたようです。但し彼の経歴は謎が多く詳しいことはわかりません。あくまでも本人の弁によるものです。生まれた年もはっきりしないくらいです。

彼の経歴で大きなものはなんといってもエルモア・ジェイムスと従兄弟関係だったということでしょう。エルモアは彼の7歳年下です。ホームシックがエルモアにギターを教えたようです。一緒にプレイもしました。

1930年代にシカゴに移住します。そこでスリーピー・ジョン・エスティスウォルター・デイヴィス、ビッグ・ビル・ブルーンジーらと共演したりしました。

彼のレコーディングは1952年のチャンス・レコードでした。続く「Homesick/The Woman I Love」がヒットし、これをステージ名にしました。それまではジェイムス・ウィリアムソンでした。

1950年代はエルモア・ジェイムスのバンドで働きました。この頃にはエルモアは「Dust My Bloom」の大ヒットでシカゴのスターになっていました。ここで彼はエルモアから多大な影響を受けました。

60年代になってロバート・ジョンソン「Crossroad」の吹込みが評判を呼びました。その後白人によるブルース・ブームでホームシック・ジェイムスの名は知れ渡りました。

このアルバム『Ain't Sick No More』は1973年にブルースウェイからリリースされた通算4枚目のアルバムになります。

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A1 13 Highway

A2 12 Year Old Boy

A3 Buddy Brown

A4 Fayette County Blues

A5 Little Girl

A6 In Love

 

B1 My Baby's Gone

B2 Little And Low

B3 I Need Love (Money Getter)

B4 I Ain't Doin' No Good

B5 Sugar Mama

B6 Woman I Love

 

レコーディング・メンバーは

Guitar - Homesick James

Bass - Dave Myers

Drums - Willie Smith

Guitar - Eddie Taylor

Harmonica - Snooky Pryor

 

プロデュースはAl Smithです。

 

ギターには以前紹介したエディ・テイラーが参加しています。ハーモニカはスヌーキー・プライアーです。

A2とB1はエルモア・ジェイムスの持ち歌です。

 


HOMESICK JAMES / 13 Highway


Homesick James - 12 years old boy


Homesick James In love


HOMESICK JAMES / Woman I Love

 

それでは今日はこの辺で。