Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚 『ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)/The Tin Man Was A Dreamer』

ロック・ピアニスト、キーボード奏者の最高峰、バンドメンバーとしてまたセッションマンとして60年代~90年代を通して活躍した男、ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)です。

 

1944年のイギリスのロンドン生まれです。ピアノは3歳から習い始めました。彼は持病のクローン病を患っていた為、演奏活動も限られていました。

彼が最初に参加したのが、ロード・サッチのバンド、続いてシリル・デイヴィスのR&Bオールスターズでしたが、持病が悪化し暫く療養生活に入りました。

1965年になると音楽界に復帰しましたが、健康問題でスタジオのセッションマンとして働くことになりました。そして多くのミュージシャンのセッションマンとしてレコーディングに参加し高い評価を得るようになりました。そしてグリン・ジョンズやシェル・タルミーなどとも知り合い、さらにスタジオミュージシャンとしての地位を高めていきました。

主だったレコーディングの参加は

ザ・フー(The Who) The Who Sings My Generation』『Who's Next』『Who By Numbers』

キンクス(Kinks)『The Kink Kontroversy』『Face To Face』『Something Else By Kinks』『The Village Green Preservation Society』

ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)『Between The Buttons』から『Tatoo You』までの作品とストーンズのメンバーとニッキーのセッションアルバムJamming With Edoward』 Edowardとはニッキーのことです。

ジェファーソン・エアプレイン(Jefferson  Airplane)『Volunteers』

ジョン・レノン(John Lenon)『Imagine』『Walls and Bridges』

ジョージ・ハリソン(Jeorge Harrison)『Living in the Material World』

リンゴ・スター(Ringo Star)『Ringo』

ビートルズ(The Beatles)The Beatles(White Album)』

ハリー・ニルソン(Harry Nillson)『Son of Schmilsson』『Son of Dracula』

ジョー・コッカー(Joe Cocker)『I Can Stand a Little Rain』『Jamaica Say You Will』

ジェリー・ガルシア『Reflections』

ロッド・スチュワート(Rod Stewart)『Foot Loose & Fancy Free』『Blondes Have More Fun』『Every Beat of My Heart』

ポール・マッカートニー(Paul McCartney)『Flowers in the Dirt』

ジェイホークス(The Jayhawks)『Hollywood Town Hall』

 

きりが無いのでこの位にしておきます。

 

続いてメンバーとして参加したバンドです。

正式に加入した最初のバンドは1968年の第1期のジェフ・ベック・グループ(Jeff Beck Group)です。ここで『Truth』Beck-Ola』をレコーディング。

このジェフ・ベックグループに参加したことで、初めてアメリカに渡ります。ここでアメリカのミュージシャンとのつながりが出来ます。

そして一時期スティーヴ・ミラー・バンド(Steve Milller Band)に参加します。アルバム『Brave New World』『Your Saving Grace』をレコーディング。

次にクイックシルバーメッセンジャー・サーヴィス(Quicksilver Messenger Service)に参加。アルバム『Shady  Grove』『Just For Love』『What About Me』をレコーディング。1975年のクイックシルバーのリユニオンアルバム『Solid Silver』にも参加しています。

1975年からはジェリー・ガルシアのバンドに加わります。ここでのレコーディングはライブ音源のみで後にCD化されました。

1980年からはAOR化してしまったクライマック・ブルース・バンド(Climax Blues Band)に参加します。アルバム『Flying The Flag』『Lucky For Some』をレコーディング。

同時期にはクイックシルバージョン・シポリナ(John Cipollina)と共にテリー&パイレーツ(Terry & the Pirates)に参加します。アルバム『The Doubtful Handshake』をレコーディング。

 

前置きが長くなりましたが、この間にニッキーは2枚のソロアルバムを発表します。その最初の1枚が『The Tin Man Was A Dreamer(夢みる人)』です。1973年の作品です。

 

Side A

1.Sundown In Mexico

2.Waiting For The Band

3.Edward

4.Dolly

5.Speed On

 

Side B

1.The Dreamer

2.Banana Anna

3.Lawyer's Lament

4.Shout It Out

5.Pig's Boogie

 

プロデュースはニッキー・ホプキンスデヴィッド・ブリッグス(David Briggs)です。

参加ミュージシャンは

ジョージ・オハラという変名でジョージ・ハリソン(George Harrison,g)が参加。

さらにストーンズミック・テイラー(Mick Taylor,g)

他にジェリー・ウィリアムズ(Jerry Williams,vo)

クラウス・ヴァウマン(Kraus Voorman,b)

プレイリー・プリンス(Prairie Prince,ds)

レイ・クーパー(Ray Cooper,perc)

ホーン・セクションで

ジム・プライス(Jim Price,tp)

ジム・ホーン(Jim Horn,sax)

ボビー・キース(Bobby Keys,sax)

 

[inspiration]としてハリー・ニルソンの名前が記されています。

 

このアルバムはどの曲を聴いてもニッキー・ホプキンスの流麗なピアノが流れてきて、実に聴きやすいです。オープニングはピアノソロです。ロックアルバムとは思えない出だしです。

何といってもA面の3曲目の「Edward」でしょう。この曲はクイックシルバーのサードアルバム『Shady Grove』でも演奏しています。そちらでは9分に及ぶ大作でしたが、ここでは5分ほどにまとめています。若干テンポが速いような気がしますが、最高の曲です。

 

 この後、セカンドアルバム『No More Changes』をリリースしますが、ほとんど話題になりませんでした。未だにCD化されていません。

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1994年、長年苦しんできたクローン病に関わる手術の合併症で亡くなりました。50歳でした。最後の最後まで音楽に関わっていました。レコーディング参加数は数え切れないほどでした。ロック界には無くてはならない存在でした。

 


Edward Nicky Hopkins with George Harrison


Nicky Hopkins - Dreamer


Nicky Hopkins - Speed On

 

それでは今日はこの辺で。