Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

聴き比べ 『アカシアの雨がやむとき』

今日の「聴き比べ」は『アカシアの雨がやむとき』です。

 

この曲は1960年に西田佐知子さんが歌ってヒットした曲です。関口宏の奥さんです。

当時の状況は幼かった子供時代の私にはわかりませんが、後年のテレビ報道や書籍から「60年日米安保闘争」の挫折感から、彼女の退廃的な歌声とメロディが若者に受けたということがわかりました。

その後も西田佐知子さんはテレビでよくこの曲を歌っていたので憶えています。確かに彼女の声や歌い方は寂しげで、はかなさが印象的でした。

その後も『コーヒー・ルンバ』や『エリカの花散るとき』『おんなの意地』などがヒットしました。

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アカシアの雨が止むとき

作詞:水木かおる

作曲:藤原秀行

  

アカシアの雨にうたれて

このまま死んでしまいたい

夜が明ける日がのぼる

朝の光のその中で

冷たくなったわたしを見つけて

あの人は

涙を流してくれるでしょうか

 

アカシアの雨に泣いてる

切ない胸はわかるまい

思い出のペンダント

白い真珠のこの肌で

淋しく今日も暖めてるのに

あの人は

冷たい瞳をして何処かへ消えた

 

アカシアの雨が止む時

青空さして鳩がとぶ

むらさきの羽の色

それはベンチの片隅で

冷たくなった私のぬけがら

あの人を

さがして遥かに飛び立つ影よ

 


アカシアの雨がやむとき ♪西田佐知子

 

山崎ハコちゃんがカバーしました。アルバム『十八番』です。ピッタリです。


山崎ハコ - アカシアの雨がやむとき

 

大好きな梶芽衣子さんもカバーしています。最近見かけません。


梶芽衣子 アカシアの雨がやむとき

 

歌のうまさ抜群、ちあきなおみさんです。


アカシヤの雨がやむとき (FULL) Cover song by ちあきなおみ

 

最近のお気に入り、浜田真理子さんも歌っています。これも凄い。


アカシアの雨がやむとき 浜田真理子

 

70年安保も挫折でした。

 

 それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド(The Paul Butterfield Blues Band)』

今日の「この人の、この1枚」はポール・バターフィールド・ブルース・バンド(The Paul Butterfield Blues Band)のファースト・アルバム『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド(The Paul Butterfield Blues Band)』です。

 

このシリーズでは前回まで「キャンド・ヒート」を取り上げていました。そこで今回はやはりこのブログの『ブルースロックの名手たち』で紹介したポール・バターフィールド・ブルース・バンド(The Paul Butterfield Blues Band)を取り上げたいと思います。

キャンド・ヒートを取り上げて、シカゴ・ブルースのメッカ、シカゴで生まれ育ったポール・バターフィールドを取り上げないわけにはいきません。両者ともアメリカの白人ブルース・ロックを代表するバンドです。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

この記事の中でこのバンドについてちょっと触れていますが、今読むとあまりにもあっさりとしすぎています。

 

ということで、すこし彼らについて書いておこうと思います。

 

ポール・バターフィールドは1942年のシカゴ生まれです。子供のころはクラシックを習いフルートを吹いていました。しかし、途中でブルースに嵌り、とくにハーモニカに夢中になりました。学生の頃はすっかりブルースのとりこになり、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュなどとも会うことができ、彼らにもその才能を認めてもらいました。その頃、一緒に演奏していたのがニック・グレイヴナイツ(Nick Gravenites)です。

やがてシカゴ大学に入学すると、エルヴィン・ビショップ(Elvin Bishop)と知り合い、バンドを組み演奏するようになります。その様子をプロデューサーのポール・ロスチャイルド(Paul Rothchild)が目を付けます。そしてもう一人マイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield)を紹介しメンバーに入れさせました。そしてエレクトラ・レコードと契約しました。

彼らは1965年のニューポート・フォーク・フェスティバル出演することになり、そこでボブ・ディランのマネージャー、アルバートグロスマンと契約し、ディランのバックバンドとして演奏しました。これは衝撃的で、彼らの名前は一躍有名になりました。

そして、マーク・ナフタリン(Mark Naftalin,key)を加入させ、レコーディングが開始されし、この年ファースト・アルバム『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド(The Paul Butterfield Blues Band)』がリリースされました。

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Side A

1.Born In Chicago

2.Shake Your Money-Maker

3.Blues With A Feeling

4.Thank You Mr. Poobah

5.I Got My Mojo Working

6.Mellow Down Easy

 

Side B

1.Screamin'

2.Our Love Is Drifting

3.Mystery Train

4.Last Night

5.Look Over Yonders Wall

 

メンバーは

ポール・バターフィールド(Paul Butterfield,vo,harmonica)

マイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield,g)

エルビン・ビショップ(Elvin Bishop,g)

ジェローム・アーノルド(Jerome Arnold,b)

サム・レイ(Sam Lay,ds, vo)

マーク・ナフタリン(Mark Naftalin,org)

 

ジェロームとサムは共に黒人でハウリン・ウルフのバンドにいました。

 

プロデュースはポール・ロスチャイルド(Paul Rothchild)マーク・アブラムソン(Mark Abramson)です。

 

いよいよ白人ブルース・ロックバンドの幕開けです。

 

A1はニック・グレイヴナイツの曲。いかにもシカゴブルースという感じです。

A2はエルモア・ジェイムスのブルースナンバー。

A3は最高のブルース・ハーモニカ奏者、リトル・ウォルターの曲。ポール・バターフィールドのハーモニカも負けていません。

A4はポールとマイクとマークの共作。インストです。

A5はマディ・ウォーターズのヒット曲。

A6はウィリー・ディクソンの曲。

B1はマイクの曲で、インスト・ナンバー。ポールのハーモニカが凄い。

B2はポールとエルヴィンの共作。

B3はジュニア・パーカーとサム・フィリップスプレスリーでヒットしました。ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」でポール・バターフィールドが演奏していました。

B4はリトル・ウォルターの作品。

B5はジェイムズ・クラークの曲。マイクのギターに注目。

 

このアルバムはビルボードの123位になりましたが、それ以上にこれ以後のロック界に与えた影響は大きかったのではないでしょうか。

これまでにも白人がブルースを演奏するということが無かったわけではありませんが、本格的にブルース・バンドとして世に認められたのはこれが最初ではないでしょうか。

同じころ、アメリカの西海岸でもキャンド・ヒートが生まれ、そしてまた同じ頃、イギリスでもこのブルース・ブームに火が付き、ブリティッシュ・ブルースが沸き起こるのでした。

キャンド・ヒートが深くデルタ・ブルースを意識していたところがありましたが、ポール・バターフィールド・ブルースバンドのほうはどっぷりとシカゴ・ブルースに重心が置かれていました。

 

ポール・バターフィールド・ブルースバンドはこの後、世紀の名盤を生み出すことになります。

それは次回に回します。

 


The Paul Butterfield Blues Band "Born in Chicago"


Blues with a Feeling- Paul Butterfield Blues Band


I Got My Mojo Working


Our Love Is Drifting

 

 それでは今日はこの辺で。

 

映画『スパイの妻』を観る

昨日のキネ旬シアターは『スパイの妻』でした。

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監督:黒沢清

主演:蒼井優高橋一生東出昌大

製作:2020年 日本

 

黒沢清監督がベェネツィア国際映画祭で監督賞にあたる「銀獅子賞」を受賞した作品です。

戦時中に日本軍の国家機密を世界に知らしめようとして、スパイ容疑をかけられた夫婦の物語です。が、スパイ映画ではありません。恋愛サスペンス・ミステリーといったところでしょうか。

 

ザックリとしたあらすじです。

1940年、神戸。貿易会社を経営する福原優作は妻の聡子と優雅な生活を送っています。ある日、優作の取引先の野崎医師の依頼で薬品を安価に入手するために甥の竹下文雄を連れて満州へ出張します。そこで優作は関東軍が行っている細菌兵器の実験によって亡くなった死体の山を目撃してしまいます。優作は実験の資料を持ち帰り、一緒に生体実験に関わっていた看護婦を連れ帰りました。そしてこの資料を国際政治の場で公表しようと考えました。

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夫の様子に異変を感じた聡子は問いただします。優作が事実を話すと、聡子はそれは売国奴だと反対します。しかし優作は「私はポピュリストだ。日本国家の正義ではなく、絶対的な正義を選ぶ」と言うことを聞きません。聡子は納得できませんが、後日、優作が持ち帰ったフィルムを観て愕然とします。すると聡子は、一緒に持ち帰った人体実験に関するノートを幼馴染の憲兵隊の分隊長の津森泰治に渡してしまいます。

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これによって甥の文雄と優作は連行されます。文雄は「すべて自分がやったこと」としてむごい拷問に耐え、一人で罪を被ります。釈放された優作は聡子を詰ります。しかし、聡子はノートの英訳とフィルムは渡さず隠し持っていたのです。そしてこれをもってアメリカへ亡命しようと持ち掛けます。聡子は「あなたがスパイなら私はスパイの妻になります」と強い決意を示します。

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亡命は二手に分かれて行くことにしました。聡子は貨物船でサンフランシスコに行くことになりましたが、何者かの密告で憲兵隊に捕まってしまいます。連行された聡子は「関東軍の行っていることを見て欲しい」とフィルムを渡しますが、そこに映っていたのは優作が撮影した会社の忘年会用のドラマでした。聡子は優作に騙されたことを悟り、「お見事」と叫び、発狂し気を失ってしまいました。

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1945年3月、聡子は軍の精神病院に入院させられていました。そこで訪ねてきた野崎医師から、優作をインドのボンベイで見かけた、その後優作の乗った船は潜水艦に撃沈されたという話を聞きますが不確実な情報でした。医師は退院の手続きをしましょうと言いますが、聡子は断ります。「私は狂っていませんが、それが狂っているということなのです。この国では」と言います。

 

その夜、神戸は大空襲に遭います。焼け野が原になった光景を見て、聡子はこれで戦争が終わることを確信するのです。聡子は「お見事」とつぶやきます。

1945年8月、終戦。翌年、優作の死亡報告書が届きます。しかし、これは偽造の疑いがありました。数年後、聡子はアメリカへ渡りました。

 

聡子の密航を通報したのも、フィルムを入れ替えたのも優作でしょう。優作は聡子を守るためにこんな巧妙な嘘をついたのでしょうか。そしてその嘘に対して聡子は思わず「お見事」と叫んでしまったのでしょうか。もしそうなら、こんな崇高な夫婦愛はなかなか見られません。

そして敗戦が濃厚な状況を見て「お見事」と言ったのは、優作が「この資料をアメリカで発表すれば、アメリカとの戦争になる。そして日本は必ず負ける」と予言しました。その先見性に対する「お見事」だったのでしょう。

そして終戦後、優作が生きていると確信して聡子はアメリカに渡ったのでしょう。

 

映画の途中までは優作の行動に対し疑心暗鬼なところもあった聡子ですが、関東軍の非道を目の当たりにしてからは、優作の正義感に共鳴し、ともに行動することで心の底から優作を愛することが出来たのです。

 

このドラマは戦争や生体実験など政治的な背景を盛り込んではいますが、夫婦間の愛情をミステリアスに描いた第一級の娯楽作品でした。

 

戦前・戦中のスパイ事件と言えばすぐに思いつくのはソ連のスパイリヒャルト・ゾルゲでしょう。かつて、いわゆる『ゾルゲ事件』の文献を読み漁ったことによって、当時の日本政府やソ連、ドイツの動向が手に取るように理解できたものです。

ドイツのナチス党員の記者として巧みに日本政府・軍に入り込み、その情報を盗んでいく過程は、そこらのサスペンス物を読むより断然面白いです。

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今回のこの映画もその類を期待して観たのですが、まったく別ものでした。なにしろ映画は毎回予備知識ゼロで観るので、このようなことは間々あることです。

 


蒼井優×高橋一生×東出昌大×黒沢清監督『スパイの妻』90秒予告

 

それでは今日はこの辺で。

桐野夏生『死の谷を行く』を読む

ちょうど読んでいた本が読み終わったので、次の本を探そうと本棚を探っていたところ、桐野夏生死の谷を行く』という本が目につきました。しかも単行本です。私は収納の関係で小説はあまり単行本は買わないようにしているのですが、よほど気になって買ったのでしょう。それにしては不思議なことにいつ買ったのかも記憶がないのです。桐野夏生の小説は好きで、これまでも『OUT』や『グロテスク』、『ダーク』などたくさんの小説を読んできました。それが買ったきりほったらかしにしていたのも不思議です。

 

ということでさっそく読み始めました。読み始めてすぐにどうして購入したのか納得しました。『連合赤軍』の文字が見えたからです。私は『連合赤軍』に関する書籍はノンフィクションからフィクションまで欠かさず、さらには裁判資料まで読んでいたのでその関係で購入したのだと思います。あの桐野夏生が『連合赤軍』を書くとは、と思ったのでしょう。やはり女流作家の小池真理子も1970年前後の学生運動を題材にした小説を何冊か書いていますので、この年代の人にとっては忘れられない事件なのでしょう。

 

『死に谷を行く』はフィクションとノンフィクションを混ぜた、『小説』です。主人公の『西田啓子』は連合赤軍の中の『革命左派』の被指導部の活動家でした。この西田啓子は架空の人物です。さらに一緒に山岳ベースから逃走したという君塚佐紀子という人物も架空の人物です。その他、永田洋子森恒夫などすでに死んだ人物や殺された人物は実名です。そして山岳で起きたリンチ事件もほぼ事実です。

 

小説は「連合赤軍事件」後40年が経過した2011年の西田啓子の日常生活から始まります。2011年2月5日、永田洋子が獄中死したことから、それまではアパートで平凡な独居生活を送ってた、彼女の生活に変化が現れます。そして3月11日の東日本大震災。かつてともに活動した仲間からの電話によって元夫との再会、一緒に逃亡した友人との再会を通して彼女の心境にも微妙な変化をもたらします。

そして彼女に様々な情報を提供してくれる親切なルポライターとともに、かつて逃亡した迦葉山の山岳ベースの跡地を訪ねることになります。そこで意外な事実が発覚するのです。

 

途中までは西田啓子の日常生活と過去の回想、彼女の心理描写で進んでいきますが、最後の最後でミステリーの大どんでん返しになります。やはりミステリー作家の真骨頂がここで発揮されます。

が、私にはどうもしっくりこない小説でした。事件そのものは事実で、そこで行われていたこともほぼ事実なのに、そこに架空の人物が存在するということに違和感を感じてしまうのです。作者は何を書きたかったのか。山岳ベース事件の残酷さと、事件にかかわった人間のその後の心境をを描きたかったのか。それとも単にミステリー小説の舞台を連合赤軍事件にしたのか。それだったら架空の事件を設定した方がよかったような気がしてなりません。

 

連合赤軍事件の当事者である永田洋子坂口弘森恒夫、吉野雅邦、坂東国男、加藤倫教、植垣康博、大槻節子らの自叙伝や関連本を読んでしまうと、この類の小説がどうしても希薄に感じてしまいます。フィクションだという割り切りが出来ない、自分の脳ミソを恨みます。

夜の谷を行く (文春文庫)

夜の谷を行く (文春文庫)

 

 

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それでは今日はこの辺で。

 

 

 

聴き比べ クリームの『バッジ(Badge)』

今日の「聴き比べ」はクリーム(Cream)『バッジ(Badge)』です。

この曲はクリームの1969年の最後のアルバム『Googbye』に収録され、シングルでもヒットしました。

 

エリック・クラプトン(Eric Clapton)と親交の深かったジョージ・ハリソン(George Harrison)との共作による作品です。ジョージはレコーディングにも参加していますが契約上の関係から変名「L'Angelo Misterioso」でクレジットされています。クラプトンとジョージの何とも微妙な関係が頭の中に湧いてきます。

 

Badge

by  Eric Clapton, George Harrison

  

Thinkin' 'bout the times you drove in my car

Thinkin' that I might have drove you too far

And I'm thinkin' 'bout the love that you laid on my table

 

I told you not to wander 'round in the dark

I told you 'bout the swans that they live in the park

Then I told you 'bout our kid, now he's married to Mabel

  

Yes, I told you that the light goes up and down

Don't you notice how the wheel goes 'round?

And you'd better pick yourself up from the ground

Before they bring the curtain down

Yes, before they bring the curtain down, woo-ooh

 

Talkin' 'bout a girl that looks quite like you

She didn't have the time to wait in the queue

She cried away her life since she fell off the cradle

 


Cream - Badge

 

クラプトンの1973年の復帰コンサート、「レインボーコンサート」でも演奏されました。


Eric Clapton 's Rainbow concert - Badge

 

この曲をエルヴィン・ビショップ・グループのヴォーカリストミッキー・トーマス(Mickey Thomas)がカバーしました。1981年のアルバム『Alive Alone』です。ミッキー・トーマスと言えばエルヴィン・ビショップの一番売れたアルバム『Struttin' My Stuff』「愛に狂って」が大ヒットしました。

 


Mickey Thomas Badge

 

大好きな曲です。

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ BOROの『大阪で生まれた女』

今日の「聴き比べ」はBORO『大阪で生まれた女』です。

この曲は私自身、ショーケンこと萩原健一が歌ったのを先に聴いていたような記憶がありますが、定かではありません。

ショーケン盤が1979年5月、BORO盤は8月ですからショーケンを先に聴いたというのも頷けるところです。

曲はBOROの作詞・作曲です。この曲はなんと18番まであるのです。シングル盤では3コーラスですが、後に34分のフル・バージョン盤も発売されました。シングル盤は4番、6番、16番が使われています。

若い男と女の切ない青春時代です。

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大阪で生まれた女

作詞・作曲:BORO

 

放課後のグランドで 待ち合わせて帰る

二人を西陽がつつんでいる

徒手帳の中の写真が

愛を教えていた

大阪の風をうけて歩いた

まだなにも知らなかった

大阪は二人にとって大きすぎて

怯えるようにながめていた

放課後のグランドで待ち合わせて帰る

風にほこりが笑ってた

 

ある日 母が眠った朝

ただとまどっていた二人

すべてがその日から変わりはじめ

男は夢にむかいはじめた

大阪の街を二人で歩き

少し大人を演じていた

大阪の街は二人を見ていた

小さな恋人達を見ていた

ある日 母が眠った朝

小さな男が歩き出した

 

卒業をむかえた 3月のある日

二人はもっと愛しはじめ

この愛のくずれることだけが

とても怖かった

大阪でぎこちなく生きていても

夢を見れないと思ってた

大阪を出ることでそれに変わる

夢を手にいれようと思った

卒業をむかえた3月のある日

愛はより深くなった

 

踊り疲れた ディスコの帰り

これで青春も終わりかなとつぶやいて

あなたの肩をながめながら

やせたなと思ったら泣けてきた

大阪で生まれた女やさかい

大阪の街 よう捨てん

大阪で生まれた女やさかい

東京へはようついていかん

踊り疲れたディスコの帰り

電信柱にしみついた夜

 

男は夢に 立ちむかうけれど

女はまもるものがある

男は壁をのりこえるけれど

女は愛をさがした

大阪で生まれた女やさかい

この街をまもりたい

大阪で生まれた女やさかい

この街で何かをさがしてた

男は夢に立ちむかうけれど

女はまもる愛をみた

 

たどり着いたら 一人の部屋

裸電球をつけたげど 又消して

あなたの顔を思い出しながら

終わりかなと思ったら泣けてきた

大阪で生まれた女やけど

大阪の街を出よう

大阪で生まれた女やけど

あなたについて行こうと決めた

たどり着いたら一人の部屋

青春に心をふるわせた部屋

 

ひかり32号に乗って 東京へと

涙がとめどなく流れつづけた

街をすてることの涙と

止める言葉をふりきる涙

大阪の街をふりかえると

そこにも夢はあった

大阪の街をふりかえると

そこにも愛は確かにあった

ひかり32号に乗って東京へと

二人きりの夢を持って……

 

立教大学の近くの小さな部屋

それが二人の愛のかたまり

夢を追いつづける二人は

現実のすべてを見た

大阪で生まれた女やさかい

負けられへんと思った

大阪で生まれた女やさかい

がんばらなあかんと言いつづけた

立教大学の近くの小さな部屋

何もないけど輝いていた

 

学生達でにぎわうこの街に

似合いもしない二人のくらし

求人広告を目でおいながら

なんとかなるよとつぶやいた

大阪で生まれた女やもん

夢をもたんとよう生きていかん

大阪で生まれた女やもん

負けられへんそれが口ぐせ

学生達でにぎわうこの街に

今夜小雨の空の色

 

10

今日 西口のロータリーでのもめごと

警官が学生を追いかけてた

生きることに必死の二人には

馬鹿げたことだと思えた

大阪で生まれた女にとって

夕焼け色のビルは喜び

大阪で生まれた女にとって

明日を感じる何かがほしい

今日 西口 ロータリーでのもめごと

テール・ランプに揺れる人影

 

11

あつい日々を生きてた二人

夢は現実にくずれ去ろうとする

苦しみの中で二人の愛だけが

ただ一つの本当のこと

大阪で生まれた女にとって

喜びはどこにあるのだろう

大阪で生まれた女にとって

悲しみはどこにあるのだろう

あつい日々を生きてた二人

愛しか信じるものはなかった

 

12

ゆうべ二人の部屋に届いた手紙

つらいメッセージだった

そんな暮らしをはやくやめて

大阪へ帰れと言っている

大阪から飛び出した若い二人は

とまどうばかりだった

大阪から飛び出した若い二人は

この街で怯えていた

ゆうべ届いた手紙に

目をふさぐ二人がいた

 

13

なすすべもなく眠る人よ

あなたの夢は終りじゃない

現実にくずれ去ることよりも

現実を生きてほしい

大阪で生まれた女が今日

東京を一人 出て行く

大阪で生まれた女が今日

生まれた街へと帰って行く

なすすべもなく眠る人よ

自分をこわさないでほしい

 

14

扉をあける 扉をしめる

きしむような 音がする

心に扉があったら

二人の扉に鍵がかけられた

大阪からの手紙はやがて

色あせた悲しみに変わり

大阪からの手紙はそして

色あせた人生の事実となった

二人には好きな人が出来

やがて大人の扉をあけた

 

15

やがて愛する子供が出来

あの青春を思い出す

やがて愛する子供が出来ても

あの日々は消えない

大阪はめまぐるしく変わって行く

時代を創る人達の手で

大阪を変えて行く時代の中で

あなたのうわさを聞くことがある

ここで愛する子供が遊んでいる

あの日の思い出にありがとう

 

16

最後の手紙

夢をつかんだ人へ

すばらしい人生を創る人よ

あなたがくれた日々に乾杯

大阪は今日もあの日のまま

あなたの青春が残っている

大阪は今日も活気にあふれ

又どこからか人が来る

最後の手紙

夢をつかんだ人へおめでとう

大阪で生まれた女より

大阪で生まれた女より

 

17

すべてをつつむ力があれば

愛は終わらない

たとえばあの陽のように

すべてをつつめば……

そこに 街があり人が住む

そこに 川が流れ、鳥が舞う

そこに 小さなアパートがあり

そこに 永久の愛があるかも知れない

でも それを

大人達は知らない

 

18

青春は何かを

つかもうとする時

ゆがんだ正義を

つかまされもする

それを否定することは出来ない

たとえ小さな過ちでさえも

それは小さな二人の

愛のせいではなく

青春そのものが

ゆれ動く時代

 

フル・バージョンで


BORO 大阪で生まれた女・18

 

ショーケンもカッコいい。


大阪で生まれた女 萩原健一

 

ライブが有名です。この頃はまだまともに歌っています。ショーケンももういません。


大阪で生まれた女  萩原健一  1979

 

河島英五もこの曲が似合います。


河島英五  「大阪で生まれた女」

 

 それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ ジュリーの『時の過ぎゆくままに』

今日の「聴き比べ」はジュリーこと沢田研二『時の過ぎゆくままに』です。

 

ジュリーがザ・タイガースの解散、PYGの結成~解散を経て、ソロになって14枚目のシングルです。これまでにも『危険なふたり』『追憶』などのヒット曲を飛ばしてきましたが、この曲は彼の最大のヒット曲になりました。

 

この曲が印象に残っているのは当時のテレビドラマ悪魔のようなあいつの主題歌だったからです。ジュリー主演のこのドラマは3億円事件を題材にしたドラマでした。1975年の放映です。この年の12月で3億円事件も時効を迎えようとしていました。そんな時のドラマだったので余計に興味深かったのでしょう。実際のドラマは現実とは大きくかけ離れたものだったと記憶しています。

ジュリーも今の姿とは違って、ヴィジュアル系ど真ん中のいい男そのものでした。

ただ、この当時、私は下宿生活をしており、部屋にテレビもなかったのでどこで観ていたのか不思議です。おそらく友人宅で観ていたのでしょうが、記憶が跳んでいます。

いずれにしてもこのドラマにはこのテーマ曲が何故かぴったり嵌っていたのでした。作詞は阿久悠、作曲はスパイダースの大野克夫でした。

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時の過ぎゆくままに 

作詞:阿久 悠

作曲:大野克夫

 

 

あなたはすっかりつかれてしまい

生きてることさえいやだと泣いた

こわれたピアノで想い出の歌

片手でひいてはためいきついた

 

時の過ぎゆくままにこの身をまかせ

男と女がただよいながら

堕ちてゆくのもしあわせだよと

二人つめたいからだ合わせる

 

からだの傷ならなおせるけれど

心のいたではいやせはしない

小指に食い込む指輪を見つめ

あなたは昔を思って泣いた

 

時の過ぎゆぐままにこの身をまかせ

男と女がただよいながら

もしも二人が愛せるならば

窓の景色もかわってゆくだろう

 

時の過ぎゆくままにこの身をまかせ

男と女がただよいながら

もしも二人が愛せるならば

窓の景色もかわってゆくだろう 

 


沢田研二/時の過ぎゆくままに (1975年) 視聴No.33

 

この曲は多くの人にカバーされています。山崎ハコちゃんもカバーしていますが、残念ながら映像がありません。

甲斐よしひろがカバーしています。これはカッコいい。甲斐よしひろはジュリーが好きなんでしょうか、以前にも他の曲をカバーしていました。


甲斐よしひろ「時の過ぎゆくままに」

 

その他にもたくさんいるのですが、どれもいまいちピンときません。この曲はやっぱりジュリーでしょうか。

 

それでは今日はこの辺で。