競馬
昨日、とんでもなく悲しい知らせが入ってきました。なんとあのディープインパクトが死んだというのです。それも安楽死です。驚きと共に悲しみに暮れました。 40年超の競馬歴の中でも、私の中では史上最強馬だったことは疑いもありません。 現役時代の競走…
私がまだまだ競馬なんぞに興味が無かった頃、昭和48年(1973年)、ハイセイコーという馬が地方競馬から中央競馬に殴り込んできたと大変な騒ぎになっていました。それまでシンザンの名前ぐらいは聞いたことがありましたが、ハイセイコーの出現で競馬が…
長い競馬観戦の歴史の中で、私が最強と思う馬は無敗の3冠馬であるシンボリルドルフとディープインパクトでしょう。どちらも甲乙つけがたい強さを持っていました。 シンボリルドルフは先行抜けだしの、安定感抜群の優等生的競走馬でした。その分競馬でのハラ…
2000年はテイエムオペラオーの快進撃で幕を開けました。 その前年の4歳(当時の馬齢)クラシック戦線は皐月賞がテイエムオペラオー、日本ダービーがアドマイヤベガ、そして菊花賞がナリタトップロードでした。 テイエムオペラオーは皐月賞を勝っていま…
1998年の4歳牡馬のクラシックは横山典弘セイウンスカイと武豊スペシャルウィークの戦いになりました。 スペシャルウィークは3歳の11月、阪神の新馬戦で勝ち上がります。続く500万特別は2着でしたが、きさらぎ賞を1番人気で勝ち弥生賞を目指し東…
1997年のクラシックは以前の記事で紹介した1981年の皐月賞、日本ダービーの2冠を達成したカツトップエースによく似た馬が登場し結果的にはこの年の4歳馬の主役になりました。 その馬はサニーブライアンです。ブライアンズタイムにスイフトスワロー…
誰もがその目を疑った瞬間でした。1996年の日本ダービー東京優駿での出来事です。 僅か2戦のキャリアでダービーに臨んできたフサイチコンコルドが勝ってしまったのです。 フサイチコンコルドはカーリアンとバレークイーンの仔で、体質が弱くデビューも…
1994年の4歳クラシックはナリタブライアンに始まりナリタブライアンで終わりました。 ナリタブライアンは1993年8月の函館の新馬戦でデビューしました。前年の菊花賞馬で年度代表馬のビワハヤヒデの半弟ということもあって、2番人気に押されました…
1993年のクラシック戦線は3強対決に沸きました。 ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの3頭です。鞍上もそれぞれ途中からですが柴田政人、岡部幸雄、武豊と当時を代表する騎手でした。 まずはウイニングチケットとナリタタイシンの対決…
1992年の牡馬クラシック戦線は短距離血統の格安馬ミホノブルボンの快進撃で始まりました。前年の朝日杯3歳ステークスを単勝1.5倍の超人気で勝ち3連勝で最優秀3歳牡馬に選出されました。 明けて4歳になって4カ月の休養を挟んで皐月賞トライアル、…
1991年の牡馬クラシック戦線は前年の朝日杯3歳ステークスを勝って最優秀3歳牡馬に輝いたリンドシェーバーが、同じく阪神3歳ステークスを勝って最優秀3歳牡馬の座を争ったイブキマイカグラに弥生賞で敗れ、なおかつ骨折が判明しそのまま引退となって…
1990年、オグリキャップの人気に沸く中央競馬界。この年の4歳クラシック戦線もそのオグリキャップ人気にあやかって、盛り上がりました。 その主役は前年の朝日杯3歳ステークスを制し、最優秀3歳牡馬に選ばれたアイネスフウジン。アンバーシャダイの産…
私が芦毛馬と聞いてすぐ頭に浮かぶのは、シービークロス、メジロティターン、メジロマックイーン、ウィナーズサークル、クロフネ、最近ではゴールドシップあたりでしょうか。しかし忘れてならないのはやはりタマモクロスとオグリキャップでしょう。 1988…
1987年の牡馬クラシック戦線はやや戦国模様を呈していました。その原因は前年の最優秀3歳牡馬に選出されたメリーナイスが皐月賞トライアル、フジテレビ賞スプリングステークスで9着に大惨敗を喫するという結果に終わり、俄かに弥生賞を勝ったサクラス…
久しぶりの競馬記事になります。 前回は1986年の牝馬3冠に輝いたメジロラモーヌについて書きましたが、その陰で牡馬の3冠レースはどうだったのでしょう。 まず3歳時(今の2歳)に凄い馬が現れました。ダイシンフブキです。騎手は菅原泰夫。9月の中…
1986年(昭和61年)の牝馬クラシックはメジロラモーヌ一色になりました。 デビューは3歳(現在の2歳)10月の東京の新馬戦でした。ダート1400メートル戦。血統の良さ(モガミ✖メジロヒリュウ)と調教タイムの良さから、圧倒的1番人気に支持さ…
1985年(昭和60年)の牡馬クラシック戦線はシンザン産駒、ミホシンザンに注目が集まりました。 ミホシンザンの初戦は4歳(今でいう3歳)の1月中山1600メートル戦でした。2着に9馬身差の圧勝で、早くも素質の片鱗を見せました。続いて2戦目は…
1984年(昭和59年)、中央競馬会はこの年から重賞にグレード制を導入しました。八大競争をはじめ宝塚記念、ジャパンカップ、エリザベス女王杯、それにマイル戦の安田記念、マイルチャンピョンシップ、それと3歳馬の朝日杯3歳ステークスと阪神3歳ス…
1983年(昭和58年)はセントライト、シンザンに次ぐ史上3頭目、戦後2頭目、19年ぶり、そして父内国産馬としては初めての3冠馬の誕生に沸きました。 ミスターシービーは前年1982年11月の東京でデビューしました。もちろん圧勝でした。ミスタ…
1981年の牡馬3冠レースは不思議な結果に終わりました。1冠目の皐月賞はトライアルのスプリングステークスを1番人気で勝ったサンエイソロンが有力視されていましたが、レース前日に繋靱帯炎を発症し出走取り消しになり、大混戦ムードになりました。 案…
1980年、昭和55年の牡馬クラシック戦線は大混戦となりました。不良馬場の皐月賞は道悪巧者の増沢ハワイアンイメージが制しました。2着に3番人気だったオペックホースが入り、モンテプリンスは4着でした。 モンテプリンスは距離が延びればこの馬だと…
以前書いたサクラショウリとバンブトンコートと同期でしたが、クラシック戦線には全く出走が叶わなかった馬、それがホウヨウボーイです。 ホウヨウボーイは3歳(今の2歳)の暮れの中山でデビュー、1番人気で6馬身の差をつけて圧勝します。ところがレース…
1979年の4歳(今で言う3歳)牡馬クラシック戦線は、前年の朝日杯3歳ステークスを勝ったビンゴガルー、そして明けて4歳クラシック路線で重賞3連勝のリキアイオーの争いと見られていました。リキアイオーは朝日杯3歳ステークスはビンゴガルーの6着…
以前マルゼンスキーの記事を書いていて、カブラヤオーを思い出しました。 1975年のクラシック戦線は牡馬はカブラヤオー、牝馬はテスコガビー、騎手は菅原泰夫で沸きました。 カブラヤオーは3歳(今の2歳)のデビュー戦こそ2着に敗れますが、2戦目以…
マルゼンスキーが引退した年の、4歳牡馬(現在の3歳馬)の3冠レースは、皐月賞が3番人気のファンタストが優勝。1番人気のタケデンは9着と惨敗しました。タケデンはそれまで皐月賞トライアル、スプリングステークスを含み6勝、内重賞3勝2着1回と同…
1977年(昭和52年)、この年の牡馬4歳馬(現在の3歳馬)の牡馬3冠レースは、皐月賞がハードバージ、日本ダービーがラッキールーラ、菊花賞がプレストウコウでした。 しかし、これらの馬の評価が今一つ上がらないのは、この3冠レースに出走できなかっ…
またまた競馬のお話です。 1976年のT.T(トウショウボーイ、テンポイント)対決に沸く京都競馬場の菊花賞で、大番狂わせを演じ、T.T.Gと呼ばせるまでになったグリーングラス。しかしそれまでの道のりは長かったのです。 デビューは遅く、明け4歳(今の3…
いつも音楽や映画の記事ばかり書いていますので、たまには趣向を変えて、音楽や映画にも引けを取らないぐらい長い付き合いの競馬についてちょっと書いてみたいと思います。ちょうど秋の競馬シーズンを迎えるところで挑戦したいと思います。 今年も凱旋門賞に…