1980年、昭和55年の牡馬クラシック戦線は大混戦となりました。不良馬場の皐月賞は道悪巧者の増沢ハワイアンイメージが制しました。2着に3番人気だったオペックホースが入り、モンテプリンスは4着でした。
モンテプリンスは距離が延びればこの馬だと騒がれた馬でした。シーホーク産駒の長距離血統のため期待されました。勝ちみが遅く3戦目での初勝利後も400万特別を勝っただけでクラシック路線に臨みました。しかし道悪がからっぺたで、クラシック路線の弥生賞も皐月賞トライアルのスプリングステークスも皐月賞も道悪に泣きました。
しかし、良馬場で行われたダービートライアルのNHK杯は2着のレッドジャガーに7馬身の差をつける圧勝でした。日本ダービーは堂々の1番人気で臨みました。
レースは最後の直線で先頭に立ったモンテプリンスがそのままゴールするかと思われましたが、強襲したオペックホースに首差交わされ無念の2着に終わりました。
秋初戦はセントライト記念を選び、函館記念を勝ったサーペンプリンスに続いての2番人気で出走も見事に優勝。続く菊花賞トライアル、京都新聞杯はまたしても不良馬場に泣かされ5着でした。それでも本番の菊花賞は1番人気に押されました。2番人気はキタノカチドキの子供タカノカチドキでした。
レースは直線にで5番人気のノースガストの強襲に遭い、再び首差の2着でした。モンテプリンスの4歳(今の3歳)は無冠に終わりました。「無冠の帝王」の呼び名はこの頃から始まりました。
明けて5歳になり、4月のオープンを2着したものの血行障害が見つかり、秋まで休養することになりました。
秋初戦の毎日王冠は3番人気ながら10着と大敗して、秋の天皇賞に出走します。5番人気と人気を落としての出走となりました。直線でホウヨウボーイとのマッチレースになり、またしてもハナ差の2着に終わりました。その後、この年から始まったジャパンカップを2番人気に押されながらも外国馬の7着、続く有馬記念はアンバーシャダイ、ホウヨウボーイに続く3着でした。この年も無冠は続きます。
明けて6歳、東京新聞杯を勝ち、続く中山記念は2着ながらも勇躍春の天皇賞に向かいます。天皇賞は1番人気に押されます。2番人気は前年の菊花賞馬ミナガワマンナ、3番人気に有馬記念を勝ったアンバーシャダイと続きます。4番人気には地方からやってきたゴールドスペンサーです。
レースではこれまでとは打って変わって、後方待機策をとりました。直線に入って一気に他馬を抜き去り、アンバーシャダイ以下を押さえて優勝しました。「無冠の帝王」返上の瞬間でした。
この後、春のグランプリ、宝塚記念も圧勝します。しかしレース後繋靭帯炎を発症し休養を余儀なくされました。年内休養の予定でしたが、有馬記念出走をとのファンの願いに応えて出走も11着と惨敗、引退を決めました。
通算成績24戦7勝、2着6回、3着2回 天皇賞(春)、宝塚記念
種牡馬になり、2頭の重賞ウィナーを輩出しました。
同期のダービー馬オペックホースはダービーを勝った後、32連敗という「史上最弱のダービ馬」という汚名を着せられました。
改めて馬の人生の厳しさを思い知らされます。
それでは今日はこの辺で。