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10年ぶりの三冠馬 ナリタブライアン

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1994年の4歳クラシックはナリタブライアンに始まりナリタブライアンで終わりました。

ナリタブライアンは1993年8月の函館の新馬戦でデビューしました。前年の菊花賞馬で年度代表馬ビワハヤヒデの半弟ということもあって、2番人気に押されましたが結果は2着でした。続く2戦目の新馬戦で勝ち上がり、函館3歳ステークスに臨みますが、6着に惨敗。次走の福島競馬場の特別戦を勝って、デイリー杯3歳ステークスに挑戦しますが3着どまり。

続く京都のオープン特別からナリタブライアンのシンボルであるシャドーロールを装着するようになりました。結果はレコード勝ちでした。これはナリタブライアンの臆病な性格を矯正するためでした。これがまんまと当たりました。

続く朝日杯3歳ステークスも1番人気で圧勝し、最優秀3歳牡馬に選出され、翌年のクラシック候補ナンバーワンに躍り出ました。

 

明けて4歳(当時の馬齢)になり、初戦は共同通信杯を選択しました。単勝1.2倍の断トツ人気で、2着のアイネスサウザーに4馬身の差をつける圧勝劇を演じました。

次走は皐月賞トライアル、フジテレビ賞スプリングステークスです。ここも単勝1.2倍で2着フジノマッケンオーに3馬身半の差をつけ圧勝しました。もはや敵なしの状態です。

 

そして迎えた3冠レースの1冠目、皐月賞。人気は単勝1.6倍でナリタブライアンが1番人気。2番人気に弥生賞2着のエアチャリオット、3番人気に弥生賞を勝ったサクラエイコウオーとなりました。3番人気はすでに単勝10倍を超えていました。

レースはサクラエイコウオーが逃げを打ち、ナリタブライアンは7~8番手。4コーナーで先頭集団に取り付き、直線に入るとあっさりと抜けだし、後続をみるみる引き離し1着ゴールイン。シャドウロールも鮮やかに踊っていました。2着には人気薄のサクラスーパオーが突っ込み、連れてフジノマッケンオーが3着に入りました。まずは1冠獲得でした。鞍上の南井克己は2度目の皐月賞制覇となりました。


第54回 皐月賞 ナリタブライアン

 

続く日本ダービー東京優駿は圧倒的人気のナリタブライアン一色になりました。単勝はなんと1.2倍。単勝支持率は61.7%でハイセイコーの66.6%に次ぐ記録でした。2番人気はトライアルのNHK杯を勝ったナムラコクオー、3番人気はサクラエイコウオーでした。3番人気は15.9倍にもなりました。

レースはメルシーステージが逃げるところをアイネスサウザーが掛かり気味に先頭に立ちます。ナリタブライアンは先行集団の7~8弁手追走。4コーナーからまくり気味に進出したナリタブライアンは直線に入り馬場の真ん中を通り、外にヨレながらも先頭に立ち、グングンと後続を引き離しそのままゴールイン。2着にはエアダブリン、3着にヤシマソブリンが入りました。ナリタブライアンの強さだけが目立ったレースでした。これで2冠目達成です。南井克己はダービー初制覇を果たしました。単勝払戻120円はシンボリルドルフの130円を抜いて当時の史上最低の配当でした。


第61回 日本ダービー ナリタブライアン

 

ナリタブライアンは3冠を目指して、秋初戦は菊花賞トライアルの京都新聞杯を選びました。単勝支持率77.8%、オッズは1.0倍の1番人気でした。しかし調教量不十分で一抹の不安を抱えていました。その予想が的中し、ゴール前スターマンに差され2着に敗れました。連勝は6で止まりました。

 

そして迎えた3冠目、菊花賞です。ナリタブライアンは1.7倍で1番人気、2番人気にはダービーの3着の後ラジオ短波賞、福島民放杯を連勝してきたヤシマソブリン、3番人気はダービー2着で京都新聞杯3着のエアダブリンでした。ナリタブライアンを破ったスターマンは4番人気でした。

レースはスティールキャストの大逃げで始まり、ナリタブライアンは大きく離れた7番手、その前にヤシマソブリンエアダブリンはその後、という態勢。4コーナーで一気に差が詰まるとナリタブライアンが楽々と抜けだし、7馬身の差をつけて圧勝。2着にヤシマソブリン、3着にエアダブリン、スターマンは5着でした。

フジテレビの杉本アナウンサーの「弟は大丈夫だ!」という実況が有名になりました。この年の秋の天皇賞で兄のビワハヤヒデが5着に敗れるという波乱があったためこのような実況になったのですが、弟ナリタブライアンは兄が昨年樹立した菊花賞レコードを破る快走を見せました。

10年ぶり、史上5頭目3冠馬の誕生の瞬間でした。セントライトシンザンミスターシービーシンボリルドルフに続く快挙です。


1994 菊花賞 ナリタブライアン

 

ナリタブライアンはこの後有馬記念に進みます。ここも1.2倍という有馬記念では珍しい圧倒的1番人気になりました。2番人気は秋の天皇賞を勝ったネーハイシーザー、3番人気はアイルトンシンボリ、4番人気は久々となるライスシャワー、女傑ヒシアマゾンは6番人気でした。

レースはツインターボの大逃げで始まります。ナリタブライアンは先行集団につけます。4コーナーでツインターボが飲み込まれ、一気に団子状態。直線に入ってナリタブライアンが抜けだし、3馬身差で優勝。2着には追い込んだヒシアマゾン、3着にライスシャワーが入りました。ここでもナリタブライアンは圧倒的強さを見せました。


第39回 有馬記念 ナリタブライアン

 

ナリタブライアンはこの年の年度代表馬に選ばれました。

 

明けて5歳になり、春初戦は3月の阪神大賞典になりました。単勝1.0倍で2着に7馬身の差をつける圧勝で、順調な仕上がりを見せました。

ところがその後子関節炎を発症し、春の天皇賞は断念せざるを得ませんでした。

その後も北海道で調整をはかるもなかなか思うような調教が出来ないような状態でした。しかし陣営は秋の天皇賞への出走を決めました。

それでも天皇賞では2.4倍ながら1番人気に支持されました。2番人気はサクラチトセオー、3番人気はアイリッシュダンスでした。しかしレースでは最後全く伸びず12着と惨敗しました。

続いてジャパンカップにも出走。再び1番人気に支持されるもランドの6着。

そして有馬記念にも出走。さすがに人気を落としますが2番人気に支持されます。結果はマヤノトップガンの4着。

こうしてナリタブライアンの5歳時は1つの勝鞍でで終わりました。

 

明けて6歳、初戦は前年と同じく阪神大賞典を選びました。ここには前年の菊花賞馬で有馬記念にも勝ったマヤノトップガンが出走してきました。1番人気はマヤノトップガン、差が無くナリタブライアンが2番人気でした。

レースは3コーナーで先頭に立ったマヤノトップガンを4コーナーでナリタブライアンが並びかけ、そのまま直線へ。直線は2頭のデッドヒートが続きます。抜きつ抜かれつで最後はナリタブライアンがアタマ差抜け出し優勝しました。歴史に残る名勝負になりました。


競馬 阪神大賞典 ナリタブライアン vs マヤノトップガン - 高画質 -

 

そして迎えた春の天皇賞。当然ナリタブライアンが1番人気に返り咲きました。1.7倍と圧倒的支持を集めました。2番人気はマヤノトッブガンで2.8倍、3番人気は中山記念を勝ってきたサクラローレルで、14.5倍と2頭が人気を集めました。

 

レースは先行馬2頭が大きく他馬を引き離し逃げます。ナリタブライアンマヤノトップガンは中団。向う正面でじわじわ上がっていき、4コーナーから直線の入り口ではこの2頭が先頭に躍り出ます。また阪神大賞典の再現かと思われましたが、マヤノトップガンが意外と伸びず、ナリタブライアンが先頭。そこに外から満を持してサクラローレルが襲い掛かり、あっさりかわし先頭ゴールイン。2馬身半差をつけられナリタブライアンが2着、ホッカイルソーが3着、マヤノトップガンは5着に敗れました。


1996 天皇賞(春)

 

そしてこの後、ナリタブライアンはあろうことか、この年からGⅠに格上げされ、距離も1200メートルの短距離戦に変わった高松宮杯(当時の呼び名)に出走してきました。これには皆驚かされました。1番人気は前年のGⅠスプリンターズステークスを勝ったヒシアケボノナリタブライアンは2番人気、3番人気はフラワーパークでした。この無謀とも思われる挑戦でナリタブライアン武豊に乗り替わったものの4着に敗れました。大久保調教師への批判も相次ぎました。

レース後屈腱炎を発症し、結局、馬主の山路は引退を決断しました。大久保調教師はもっと走らせたかったようですが、最後は引退に同意しました。

4歳時の輝かしい実績に比べ5歳以降は寂しい成績に終わりました。それでも史上5頭目三冠馬という名誉は消えることはありません。

 

その後種牡馬になりますが、目立った産駒は出せませんでした。

1998年、腸閉塞から胃破裂を起こし、安楽死処分で死亡しました。波乱万丈の馬生でした。

 

ナリタブライアンの戦績 21戦12勝 2着3回 朝日杯3歳ステークス 皐月賞 東京優駿日本ダービー 菊花賞 有馬記念

 

それでは今日はこの辺で。