1992年の牡馬クラシック戦線は短距離血統の格安馬ミホノブルボンの快進撃で始まりました。前年の朝日杯3歳ステークスを単勝1.5倍の超人気で勝ち3連勝で最優秀3歳牡馬に選出されました。
明けて4歳になって4カ月の休養を挟んで皐月賞トライアル、フジテレビ賞スプリングステークスの出走してきました。朝日杯の勝ち方が危うかったことから距離に対する不安説が流れていたためノーザンコンダクトに1番人気を譲る形になりました。
調教師の戸山為夫はスパルタ教育でミホノブルボンを鍛えました。当時出来たばかりの栗東の坂路コースで何本もトレーニングを繰り返し、距離に対する耐性を作り上げてきました。そしてトライアルでは果敢に逃げ2着に7馬身の大差をつけ優勝しました。こうして距離に対する不安説を払拭したのです。
一方リアルシャダイにマルゼンスキーという格別の長距離血統馬のライスシャワーは新馬戦は勝ったものの、次走の新潟3歳ステークスは11着の惨敗、オープン特別を勝って皐月賞トライアルに出走してきましたが、ミホノブルボンに9馬身の差をつけられ4着に敗れました。それでも皐月賞に出走を決めました。「距離が伸びれば必ず走る」という陣営の固い信念がありました。
迎えた皐月賞。ミホノブルボンは断トツの1番人気。単勝1.4倍でした。2番人気に弥生賞を勝ったアサカリジェント、3番人気はトライアルのオープン特別若葉ステークスを勝ったセキテイリューオーでした。ライスシャワーは11番人気となっていました。
レースはミホノブルボンが一度も先頭を譲らずゴールイン。2着ナリタタイセイに2馬身半差をつけ優勝。3着にスタントマン、アサカリジェントは4着。ライスシャワーは8着でした。ミホノブルボンは圧倒的強さを見せつけ5連勝を飾りました。
そしていよいよ日本ダービーです。当然ながらミホノブルボンは1番人気に支持されましたが、やはり距離延長が危惧され単勝は2.3倍となりました。2番人気は皐月賞2着でトライアルのNHK杯を勝ったナリタタイセイ、3番人気はNHK杯3着のサクラセカイオーでした。ライスシャワーはなんと16番人気まで人気を落としました。前走のNHK杯の8着という結果を考えれば致し方ないところです。ミホノブルボンとライスシャワーは同じ7枠に入りました。
レースは例によってミホノブルボンの逃げで始まります。ライスシャワーが果敢に2,3番手追走。直線に入ってミホノブルボンが後続馬を引き離しにかかり、グングン差を広げ4馬身差の圧勝でした。2着にはハナ差粘ったライスシャワーが入りました。3着はマヤノペトリュース、ナリタタイセイは7着に敗れました。結局いったいったの競馬になりました。馬連29,580円の大荒れでした。ライスシャワーから買っていた私は美味しい馬券をゲットしました。
ライスシャワーは長距離馬の片鱗を見せました。
秋に入ってミホノブルボンは菊花賞トライアル京都新聞杯からスタートし、単勝1.2倍の圧倒的1番人気になりました。
一方ライスシャワーの秋初戦はセントライト記念でした。レガシーワールドの2着して京都新聞杯に向かいます。そしてミホノブルボンとの4度目の対決になりました。結果はミホノブルボンが2着ライスシャワーに1馬身半差をつけて逃げ切り勝ちを収めました。
そして菊花賞です。ミホノブルボンが単勝1.5倍の1番人気、大きく引き離されてライスシャワーが2番人気でした。3番人気はダービー4着のマチカネタンホイザでした。しかし距離は3000メートル。鞍上の的場均は密かに狙っていました。こんどもまた両馬は4枠で同居しました。これも何かの因縁でしょうか。
レースはキョウエイボーガンがハナを奪い、ミホノブルボンは逃げられず2番手。ライスシャワーは4,5番手追走。4コナー手前でようやく先頭に立ったミホノブルボンが直線で逃切りを図ります。そこにライスシャワーとマチカネタンホイザが内と外から追い込みます。ゴール前3頭の競り合いの中から、ライスシャワーが抜けだし1馬身4分の1の差で優勝、しかもレコード勝ちでした。ミホノブルボンが2着、3着に頭差でマチカネタンホイザでした。ライスシャワーは5度目の対決でようやく宿敵ミホノブルボンに勝つことが出来ました。やはり3000メートルという長距離が決め手となりました。
その後ミホノブルボンは脚部不安を発症し、ジャパンカップ、有馬記念を回避しますが年度代表馬に選出されました。
明けて5歳になっても症状は回復せず、4月には骨折が判明し、結局そのまま引退となりました。調教師戸山為夫も5月にミホノブルボンの復帰を見ることなく逝去しました。
一方のライスシャワーはその年の有馬記念に出走するもメジロパーマーの大逃げの前に8着と敗れ、明け5歳になって東京の目黒記念からスタートします。これをマチカネタンホイザの2着して、続く日経賞を快勝。春の天皇賞を目指して西下します。
そして圧倒的人気の武豊騎乗のメジロマックイーンと対決します。マックイーンが1.5倍の超人気、ライスシャワーは5.2倍の2番人気、マチカネタンホイザが8.6倍の3番人気、以下メジロパーマー、タケノベルベットと続きます。
レースは例のごとくメジロパーマーの逃げで始まります。マックイーンは4,5番手追走。それをマークするようにライスシャワーとマチカネタンホイザがその後を進みます。直線に入って一旦マックイーンが先頭に躍り出ます。そこにライスシャワーが忍び寄り並びかけます。メジロパーマーも内で懸命に粘ります。直線半ばでライスシャワーがマックイーンを交わし先頭でゴールイン。2馬身半差でメジロマックイーン、さらに4分の3馬身差でメジロパーマーが入りました。
ライスシャワーはまるで刺客のようにマックイーンをぴったりとマークしきっちりと差し切りました。菊花賞でのミホノブルボンを差し切ったのを再現したかのようです。刺客ライスシャワーの呼び名がぴったりです。
メジロパーマーの強さが本物であることも証明されました。人気薄での有馬記念と宝塚記念の優勝でしたがやはり長距離では父親のメジロイーグルを思い起こさせます。
しかしこの後ライスシャワーは低迷します。秋初戦のオールカマーを3着の後、秋の天皇賞は1番人気ながら6着、ジャパンカップは14着、有馬記念8着と惨敗が続きます。
明けて6歳。春の天皇賞を目指し、2月の京都記念から始動します。京都記念5着、日経賞2着とやや復活の兆しを見せますが、このあと故障発生、天皇賞を断念。暮れの有馬記念に間に合い出走。その年の3冠馬ナリタブライアン、女傑ヒシアマゾンに次いで3着に入りました。
明けて6歳、京都記念、日経賞に出走。いずれも1番人気に支持されますが共に6着と敗退。斤量も59キロ、60キロと小さな体には響いたのかもしれません。そして2年ぶりに春の天皇賞出走を果たします。
前年の3冠馬ナリタブライアンが回避したことで混戦模様になりました。1番人気は長距離得意のエアダブリン。ステイヤーズステークス(3600M)、ダイヤモンドステークス(3200M)と長いところを勝ってきた実績が買われました。菊花賞も3着に来ています。2番人気は日経賞を勝ったインターライナー、3番人気は目黒記念を勝ったハギノリアルキング、ライスシャワーはその後の4番人気でした。
レースはエアダブリン、インターライナーが先頭集団を形成、ライスシャワーもその中にいます。3コーナーでライスシャワーが果敢に先頭に立ち、そのまま直線へ。直線でも後続を引き離し、楽勝かと思われましたが、ゴール前大外からステージチャンプとハギノリアルキングが猛烈に追い込みます。しかし、ステージチャンプをハナ差かわしライスシャワーが粘りま優勝しました。場内は大歓声でした。馬連4,090円の高配当、美味しい馬券でした。やはり長距離ではめっぽう強いところを見せてくれました。
[競馬] 1995/04/23 天皇賞(春) ライスシャワー
そして運命の宝塚記念です。天皇賞の後、疲れから休養を考えていましたが、ファン投票1位ということもあり出走に踏み切りました。またこの年阪神競馬場が大震災の影響で使用できず得意の京都競馬場に変更になったのも出走を後押ししたようです。当日は距離の短縮もあり3番人気になりました。
レースはいつもと違って後方につけたライスシャワー。鞍上の的場均はどうも様子がおかしいと感じたようです。そして悲劇は3コーナーで起こりました。ライスシャワーがつまずいて転倒落馬。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折で予後不良。その場で安楽死処分が行われました。何ともショッキングな出来事でレースどころではなくなりました。
フジテレビの中継ではその後のライスシャワーの様子を中継しています。
小さな体で闘志をむき出しにして狙った獲物を仕留める、まさに刺客のような馬でした。
ライバル、ミホノブルボンとの壮絶な戦いが今でも鮮明に蘇ります。馬券的には裏切られたことも多かったですが、最終的にいい思いをさせてもらいました。記憶に残る馬でした。
ミホノブルボンの戦績 8戦7勝(朝日杯3歳ステークス、皐月賞、日本ダービー)
ライスシャワーの戦績 25戦6勝(菊花賞、天皇賞(春)2回)
それでは今日はこの辺で。