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史上初の牝馬3冠 『メジロラモーヌ』

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1986年(昭和61年)の牝馬クラシックはメジロラモーヌ一色になりました。

デビューは3歳(現在の2歳)10月の東京の新馬戦でした。ダート1400メートル戦。血統の良さ(モガミ✖メジロヒリュウ)と調教タイムの良さから、圧倒的1番人気に支持されました。レースはいきなり先頭に立ち、直線に入っては他馬を突き放しなんと3.1秒(20馬身以上)の大差をつけて圧勝しました。

次走でいきなり重賞の京成杯3歳ステークス(GⅢ)に出走します。しかし、1番人気に支持されながら、スタート直後に他馬と接触し引っ掛かり、そのまま失速し4着に敗れました。さらに骨膜炎を発症し調教を休みます。

4週間後回復し、条件戦に出走し圧勝。暮れのテレビ東京賞3歳牝馬ステークス(GⅢ)に出走します。2番人気ながら2着ダイナフェアリーに3馬身半差をつけての快勝。その年の最優秀3歳牝馬に選ばれました。

明けて4歳、初戦を東京のクイーンカップ(GⅢ)に出走します。圧倒的1番人気に支持され、単枠指定されますが、騎乗騎手も首をひねるくらいの惨敗(4着)を喫しました。

次走を桜花賞トライアル4歳牝馬特別(GⅡ)に定め西下します。レースでは1番人気に支持されます。後方から進み、直線を向いた時には最後方。しかし直線で一気のごぼう抜きで優勝。胸のすくようなレースでした。

迎えた本番、桜花賞では単勝1.6倍の1番人気、単枠指定されました。

レースは中団を進み4コーナーで先頭集団に獲りつき、直線で先頭に立ち、マヤノジョウオー以下を振り切り優勝しました。まずは1冠目。桜花賞男の河内洋も初めての桜花賞制覇、メジロ牧場も初のクラシック制覇でした。

 

オークスを目指すにあたって、これまで2敗を喫している東京競馬場に対する不安を払しょくするためにオークストライアル4歳牝馬特別(GⅡ)に出走することにしました。レースでは直線でダイナアクトレスを一気に交わし先頭に立ち優勝しました。

そしていよいよオークスへと向かいます。オークスでは単勝1.4倍と桜花賞を上回りました。もちろん単枠指定です。

レースは後方からの競馬を強いられますが、徐々に進出して直線半ばで先頭に立ち、ユウミロクを押さえて優勝、3着にダイナアクトレスが入りました。2冠達成です。テスコガビー以上じゃないか、などという声も聞かれるようになりました。

 

牝馬3冠目、京都のエリザベス女王杯を目指し夏場休養し、トライアルのローズステークス(GⅡ)に出走します。レースはポットテスコレディに首差勝ちと苦しいレースでした。

そしていよいよエリザベス女王杯本番です。未だかつて3冠目を手にした馬はいません。エリザベス女王杯はその前身であるビクトリアカップが創設されたのが1970年と比較的新しいレースであるため、3冠馬が出ていないということもありましたが、ここにきてようやくそのチャンスが訪れました。10年目のテイタニヤも桜花賞オークスを連覇しこのレースに臨みましたが4着に敗れています。それ以来のチャンスです。

レースは1.3倍と圧倒的な1番人気を背負ったメジロラモーヌが第3コーナーの下り坂で仕掛け、先頭に並びます。実況の杉本清アナは「河内、これでいいのか」と叫びます。直線先頭に立ち追いすがるスーパーショット以下を振り切り優勝。ついに3冠達成です。

メジロラモーヌは3冠レースのトライアルもすべて制し、完全3冠とも言われました。重賞6連勝も記録でした。

 

このあとジャパンカップの出走も期待されましたが、陣営は当初から有馬記念で引退と決めており、最終レース有馬記念を目指します。

有馬記念ではファン投票3位、レースオッズではミホシンザンに次ぐ2位となりました。

レースは後方を進んだメジロラモーヌが直線抜けだしを図るところに、数頭が固まり進路がふさがれ、そのまま態勢を立て直せず9着と大敗しました。勝ったのはその年のダービー馬ダイナガリバーでした。

この年の年度代表馬に、久々に牝馬(トウメイ以来25年ぶり)が選ばれるかと期待されましたが、結局ダービーと有馬記念を勝ったダイナガリバーが選出されました。

 

引退後は繁殖入りしますが目立った馬は輩出できませんでした。22歳の時に老衰で死亡しました。

 

戦歴 12戦9勝 桜花賞オークスエリザベス女王杯

 


1986 桜花賞 メジロラモーヌ


1986 オークス メジロラモーヌ


1986 エリザベス女王杯 メジロラモーヌ