先日のキネ旬シアターは『愛に乱暴』でした。
原作:吉田修一
監督:森ガキ侑大
製作:2024年 日本
吉田修一の同名小説の映画化作品です。
あらすじはというと、初瀬桃子は夫・真守と共に夫の実家の離れに暮らしています。結婚8年目で子供はいません。義母からのストレスや夫の無関心を振り払うように、週に2度石鹸教室の講師をしたり、手の混んだ料理を作ったりと、丁寧な暮らしで毎日を充実させていました。
しかし、ゴミ置き場での相次ぐ不審火や飼い猫の失踪、夫からの突然の告白など、桃子の日常が崩れ始めるのです。
真守は桃子に浮気相手に会ってほしいと言い出すのです。さらに子供が出来たので離婚して欲しいと。取り乱す桃子は絶対に認めないと2人に言い放し立ち去ります。
桃子は床下から物音が聞こえるような気がして気になってなりません。そしてとうとうチェーンソーを購入して床下を掘り起こします。そこから出てきたものは・・・。
実はこの原作本は何年か前に読んだことがありました。ストーリーは忘れてしまった部分もありましたが、映画を観て思い出しました。えっ、こんな話だったかな、と思わず思ってしまいました。
原作ではこの離れは真守の祖父の愛人を住まわせていた場所なのです。真守の祖母は子供が出来ず、真守の父は愛人の子供なのです。真守の家は代々続く名家なのです。映画では床下から出てくるのはベビー服になっていますが、原作では出てくるのは壺でその中に新聞記事が入っているのです。それが最近頻繁に起きている不審火につながるのです。
このように原作では夫婦間の愛憎劇というよりは代々の「家」とその家の「女」という問題を取り扱ったような印象があったのですが、このように設定そのものが変わってしまうとまるで違う話になってしまいます。ここまで原作を変える意図は何故なのか疑問が残ります。
原作と映画は別物、とこれまで何度も書いてきましたが、このような映画を観ると、別段この原作ではなくオリジナルの脚本で映画を作った方がよいのでは、などと思ってしまいます。この映画もタイトルを変えて登場人物名を変えれば原作を思い起こす人はいないのではないでしょうか。
最近、江口のりこの映画やドラマを何故か見ることが多いのですが、このような役はピッタリです。
それでは今日はこの辺で。