1997年のクラシックは以前の記事で紹介した1981年の皐月賞、日本ダービーの2冠を達成したカツトップエースによく似た馬が登場し結果的にはこの年の4歳馬の主役になりました。
その馬はサニーブライアンです。ブライアンズタイムにスイフトスワローの血統で全兄に22番人気という超人気薄で日本ダービー2着のサニースワローがいます。
サニーブライアンは3歳(当時の馬齢)時は10月の新馬戦を勝ち上がりますが、その後は勝てず、明けて4歳の1月、オープン特別のジュニアカップで2勝目をあげました。続く弥生賞では5番人気ながらランニングゲイルの3着となり皐月賞の出走権を得ました。その後皐月賞トライアルの指定オープン若葉ステークスに出走するも1馬bb人気ながらシルクライトニングの4着に敗れます。
そして迎えた皐月賞。サニーブライアンはすっかり人気を落とし11番人気でした。1番人気は共同通信杯を勝ったメジロブライト、2番人気は弥生賞を勝ったランニングゲイル、3番人気は毎日杯2着のヒダカブライアン、以下オースミサンデー、エアガッツと続きました。この年は3歳王者のマイネルマックスも回避して混戦模様になっていました。冒頭で似ていると称したカツトップエースは皐月賞では16番人気でしたのでそれよりは少しだけ人気面では高かったようです。サニーブライアンは逃げた時には強さを発揮する馬で、逃げられなかったときには脆さが出ます。
レースは大外枠を引いたサニーブライアンが果敢に先頭に立ちます。一時先頭を譲る場面もありましたが3コーナー付近では再び先頭に立ちます。メジロブライトは最後方からの競馬。直線に入ってサニーブライアンが他馬を引き離しにかかり、あれよあれよとゴールに近づきます。そこにシルクライトニング以下が猛烈に追い込みますが、クビ差で逃げ切りました。2着に10番人気のシルクライトニング、3着に12番人気のフジヤマケンザン、メジロブライトは4着、ランニングゲイルは6着となり、大荒れの皐月賞になりました。馬連51,790円でした。
続く日本ダービー。皐月賞は敗れましたが人気はメジロブライトが1番人気に支持されました。2番人気はランニングゲイル。皐月賞と全く同じです。3番人気に直前の京都4歳特別を勝ったシルクジャスティスが入りました。皐月賞馬サニーブライアンはやはり皐月賞がフロック勝ちとみられ6番人気でした。それもシルクライトニングが競争除外となったためで、実質は7番人気でした。カツトップエースが日本ダービーでは3番人気になったのに比べ、評価は低いものでした。枠順も皐月賞と同じ大外枠を引き、騎手の大西直宏はこれで勝ったと思ったと言いますから凄い自信だったのでしょう。
レースは大外から一気に先頭に立ったサニーブライアンが平均ペースに持ち込み淡々と逃げます。メジロブライトは中団待機。同じ逃げ馬のサイレンススズカが抑えてくれたのもサニーブライアンにとっては大きかった。そして直線へ。サニーブライアンの脚色は衰えません。そのままゴールイン。メジロブライトも追い込みにかかりますが届かずの3着。ゴール手前、大外からシルクジャスティスが伸び2着に入りました。実況の「もはやフロックではない」が印象的でした。馬連4,860円の高配当でした。
サニーブライアンはこの後菊花賞を目指すはずでしたが、レース中に骨折していたことが判明、全治6カ月の診断で結局菊花賞を断念、翌年の春の天皇賞に目標を変更しますが、今度は屈腱炎を発症、結局そのまま引退することになりました。
日本ダービーが最後のレースとなった点もカツトップエースに類似していました。
この年の有馬記念をシルクジャスティスが勝ち、翌年の春の天皇賞をメジロブライトが勝ったところから、サニーブライアンはやっぱり強かったのだ、と再認識されました。
秋の菊花賞はマチカネフクキタルが勝ち、メジロブライトは3着。人気になりながらもどうしてもクラシックには手が届きませんでした。カツトップエースの時のサンエイソロンによく似ています。
種牡馬となってからは重要勝ち2頭を輩出、その他地方競馬での産駒が目立ちました。
2011年17歳で死去。
それでは今日はこの辺で。