1991年の牡馬クラシック戦線は前年の朝日杯3歳ステークスを勝って最優秀3歳牡馬に輝いたリンドシェーバーが、同じく阪神3歳ステークスを勝って最優秀3歳牡馬の座を争ったイブキマイカグラに弥生賞で敗れ、なおかつ骨折が判明しそのまま引退となってしまいました。クラシック戦線は一気に混戦模様を呈してきました。
正月の京成杯はダイナマイトダディ、シンザン記念はミルフォードスルー、共同通信杯はイイデセゾン、きさらぎ賞はシンホリスキー、弥生賞がイブキマイカグラ、毎日杯がイイデサターン、トライアルのスプリングステークスがシンホリスキーと重賞勝ち馬が目まぐるしく変わりました。
そしてそこに現れたのが3冠馬シンボリルドルフの仔トウカイテイオーです。この年から皐月賞の指定オープンに定められた若葉ステークスを単勝1.2倍の圧倒的人気で4連勝を飾りました。そして重賞未出走ながら皐月賞に駒を進めました。主戦騎手の安田隆行はそれまでローカルが主戦場のあまり目立たない騎手でしたがトウカイテイオーに騎乗して一躍有名騎手の仲間入りを果たしました。
そして迎えた皐月賞。トウカイテイオーは当然の1番人気。イブキマイカグラが2番人気、シンホリスキーが3番人気で続きました。トウカイテイオーはイブキマイカグラと共に単枠に指定されました。
レースは終始先頭集団の外を回ったトウカイテイオーが直線あっさり抜け出し、人気薄のシャコ―グレードの追い込みを交わし優勝しました。3着にはイイデセゾン、イブキマイカグラは4着でした。
続くダービーに向けてNHK杯ではイブキマイカグラが圧倒的人気で快勝も、レース後骨折が判明し、ダービーを断念。代わって指定オープンの青葉賞を勝ったレオダーバンが出走し、人気を集めました。1番人気は当然トウカイテイオーで単勝1.6倍と圧倒的人気でした。2番人気にレオダーバン、3番人気に皐月賞で穴をあけたシャコ―グレードが入りました。当然ながらトウカイテイオーは皐月賞と同じく大外8枠での単枠指定です。
レースは終始好位の外を回ったトウカイテイオーが直線力強く伸び、レオダーバンに3馬身の差をつける圧勝でした。3着にイイデセゾンが入りました。人気通りの決着でした。それにしても強い勝ち方でした。これで一気に親子2代の3冠も夢が現実化してきました。ダービーは8枠は勝てないというジンクスがありましたが、そんなものは関係ないとばかりの勝ち方でした。
しかし、このレース後骨折が判明。年内休養が必要との診断、3冠の夢は断たれました。と同時に親子2代の三冠制覇なりませんでした。
明け5歳になって、トウカイテイオーは4月のサンケイ大阪杯から始動します。約1年ぶりにレースです。8頭立てでしたが圧倒的1番人気で快勝しました。そして春の天皇賞に向かいます。このレースから鞍上は岡部幸雄に替わりました。
このレースには前年の春の天皇賞を勝ち、さらに秋の天皇賞では大差でゴールインも斜行による失格となりましたがその強さを見せつけたメジロマックイーンが春の天皇賞2連覇を目指し出走してきました。人気の方はトウカイテイオーが単勝1.5倍の圧倒的1番人気、メジロマックイーンは2.2倍の2番人気。この2頭が人気を集め3番人気のイブキマイカグラはなんと18.2倍でした。
レースはメジロマックイーが先頭集団、それをマークするようにトウカイテイオーが後方から。3コーナー手前で早くもメジロマックイーンが先頭に立ちます。それに並びかけるようにトウカイテイオーも上がってきます。そして直線へ入り、メジロマックイーンの末脚が冴え、後続馬を引き離します。トウカイテイオーは直線全く伸びず、5着に沈みます。メジロマックイーンの圧勝、2着にはカミノクレッセが入りました。イブキマイカグラが3着です。
レース後トウカイテイオーは骨折が判明、春は休養となりました。
そして秋の天皇賞。ぶっつけながらトウカイテイオーは1番人気に支持されました。2番人気にナイスネイチャ、3番人気はダイタクヘリオスでした。
レースは3コーナー手前から上がっていったトウカイテイオーですが直線に入っても伸びず7着と惨敗しました。勝ったのはあっと驚くレッツゴーターキンでした。それまでローカル重賞を2勝していましたが全くの人気薄でした。2着には5番人気のムービースターが入り、馬連17、220円の万馬券となりました。美味しい馬券でした。
続いてトウカイテイオーはジャパンカップに出走してきました。さすがに人気を落とし5番人気でした。1番人気はイギリスのユーザーフレンドリー、2番人気はニュージーランドのナチュラリズム、3番人気は同じくオーストラリアのレッツイロープ と外国馬が独占しました。
レースはトウカイテイオーが持ったまま直線半ばから抜け出し、ナチュラリズムとの接戦を制し優勝しました。3着にディアドクターが入りました。馬連4890円の高配当となりました。
トウカイテイオーは初めて1番人気を外しましたが、見事な優勝で場内は大歓声でした。
そして暮れの有馬記念へと向かいます。当然ながら再び1番人気に返り咲きます。騎乗停止中の岡部に替わり田原成貴が手綱をとります。
2番人気はこの年の菊花賞を勝ったライスシャワー、3番人気はジャパンカップ5着に健闘したヒシマサルでした。
レースは例によってメジロパーマーとダイタクヘリオスが大逃げを打ち、トウカイテイオーは後方からの競馬になりました。直線に入ってもメジロパーマーの脚色は衰えず、最後レガシーワールドは際どく追い込んでハナ差の2着、ナイスネイチャが3着。トウカイテイオーは全く伸びず11着の大敗でした。ライスシャワーは8着でした。
メジロパーマーは15番人気、宝塚記念の再現になりました。レガシーワールド5番人気で、馬連31、550円の大波乱になりました。
このあとトウカイテイオーは故障発生、さらに骨折が判明し約1年間の休養を余儀なくされ、復帰戦は再び有馬記念になりました。ちょうど1年のブランクです。騎手は同じく田原成貴。岡部はこの年の菊花賞馬ビワハヤヒデに決まっており、武豊もベガ騎乗が決まっていました。
1番人気はビワハヤヒデ、2番人気は昨年の2着馬でこの年ジャパンカップを勝ったレガシーワールド、3番人気はこの年のダービー馬ウイニングチケット、トウカイテイオーは4番人気でした。
レースは前年と同じくメジロパーマーの逃げで始まり、レガシーワールドが追走。ビワハヤヒデが早め4番手、トウカイテイオーは中団追走。3~4コーナーでビワハヤヒデが先頭に並びかけ、トウカイテイオーも上がって直線へ。ビワハヤヒデが抜けだしたところに、トウカイテイオーが懸命に追い込みます。壮絶な叩き合いの末半馬身交わしてトウカイテイオーが奇跡の優勝を飾りました。まさに奇跡でした。これまでに1年の休養後にG1を勝った馬などいなかったと思います。
翌年は春の天皇賞を目指し調整に入りましたが、再び骨折。結局そのまま引退となりました。まさに波乱万丈の競争生活でした。
種牡馬になってからは2頭のGⅠ馬(トウカイポイント、ヤマニンシュクル)を輩出しましたが、その他は目立った活躍場は出ませんでした。
トウカイテイオーは父シンボリルドルフが憎らしいほど強かったため、人気面ではその前年の3冠馬ミスターシービーに及びませんでしたが、子供のトウカイテイオーは弱さを併せ持っていたせいか、いつまでも心に残る人気馬として語り継がれました。
これまでに親子2代の3冠馬はディープインパクトとジェンティルドンナの親子だけです。牡馬ではまだいません。
シンボリルドルフ~トウカイテイオー~トウカイポイント・ジェンティルドンナは親子3代GⅠ制覇の偉業を達成しました。
トウカイテイオーの主な戦績 12戦9勝(皐月賞、日本ダービー、ジャパンカップ、有馬記念)
それでは今日はこの辺で。