以前書いたサクラショウリとバンブトンコートと同期でしたが、クラシック戦線には全く出走が叶わなかった馬、それがホウヨウボーイです。
ホウヨウボーイは3歳(今の2歳)の暮れの中山でデビュー、1番人気で6馬身の差をつけて圧勝します。ところがレース後右前脚の骨折が判明、春のクラシックは絶望となりました。秋を目指しますが、再び今度は左前脚を骨折してしまいます。これで年内の出走は絶望となりました。
ホウヨウボーイがようやく復帰できたのは5歳の夏の函館でした。最下級の400万下を勝ちますが、続く400万下特別は2着、次の特別戦を勝ち上がり、800万下特別を2連勝して5歳を終わります。これまで6戦5勝、2着1回とすべて連対を果たしています。しかもすべて1番人気でした。
明けて6歳になって、1200万下の特別戦を2着、続く同条件の特別戦を勝ち、初の重賞、日経賞に臨み、見事優勝します。重賞初挑戦での圧勝でした。
夏に降級し1200万条件戦を勝ち上がると、いよいよ天皇賞への緒戦を目指します。秋初戦のオープン戦を2着して、天皇賞への出走を決めます。天皇賞では前年のダービー馬カツラノハイセイコが1番人気、ホウヨウボーイは堂々の2番人気に押されます。レースの方はカツラノハイセイコとホウヨウボーイが互いにけん制し合う中、牝馬のプリティキャストがまんまと逃切り、2着にもメジロファントムが入り、カツラノハイセイコは6着、ホウヨウボーイは7着と初めて連対を外すという辛酸をなめました。
その後ホウヨウボーイはカツラノハイセイコと共に有馬記念に駒を進めます。天皇賞での惨敗が響き、カツラノハイセイコは3番人気、ホウヨウボーイは4番人気になりました。1番人気には天皇賞で2着に来たメジロファントム、2番人気に前年の有馬記念の勝ち馬カネミノブがなりました。
レースの方はスピード馬のサクラシンゲキが逃げ、天皇賞馬のプリティキャストは逃げられず2番手、ホウヨウボーイは終始3番手を進みます。カツラノハイセイコは後方待機。3~4コーナーで馬郡が一団になると、内からホウヨウボーイが抜けだし、外からジカツラノハイセイコが襲い掛かります。結局ホウヨウボーイがカツラノハイセイコをきわどくハナ差押さえて優勝しました。3着にはカネミノブでした。
この優勝が効いたのかホウヨウボーイはこの年の年度代表馬を6歳で獲得しました。
明けて7歳、ホウヨウボーイは初戦のAJCC杯を快勝、続く中山記念は2着になりましたが、春の天皇賞を目指します。しかし脚部不安を発症し、秋まで休養を強いられました。
秋初戦のオールカマーは1番人気で5着と敗れました。秋2戦目が天皇賞となりました。1番人気は春の天皇賞をカツラノハイセイコの2着して。宝塚記念は逆にカツラノハイセイコを下したカツアールでした。ホウヨウボーイは2番人気でした。3番人気にメジロファントム。前年ダービ―2着の無冠の帝王モンテプリンスは5番人気でした。
レースはモンテプリンスが果敢に先頭に立ち、ホウヨウボーイはしゅうし2,3番手を進みます。向う正面で一旦先頭を譲る形になったモンテプリンスですが、直線に入って再び先頭に立ちます。後続馬が一気に押し寄せます。そして内を通ってホウヨウボーイが忍び寄って、モンテプリンスとの激しいデッドヒートの末、ハナ差交わしてホウヨウボーイが優勝しました。レコード勝ちでした。
この年大回目のジャパンカップが開催されました。ホウヨウボーイもモンテプリンスも出走しますが、外国馬に敗れ去りました。ホウヨウボーイはこの時ゲートに顔をぶつけ歯を3本折っていました。
そして暮れの有馬記念を引退レースとして選び、出走しました。結果は同厩馬のアンバーシャダイの2着となりましたが、2年連続の年度代表馬に選ばれました。
引退後、8歳時に急死し、わずか48頭の種付けで終わってしまいました。
遅れてやってきたホウヨウボーイでいたが、退場後の生命はあまりにも早いものでした。
それでは今日はこの辺で。